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井料堅治さん 初七日ミサのお知らせ

5月4日に老衰のためお亡くなりになった井料堅治さん(享年91)の初七日ミサが行われます 【日 時】5月11日(木)18時30分~【場 所】Paróquia São Francisco de Assis R. Borges Lagoa, 1209 – Vila Clementino, São Paulo – SP ご冥福をお祈りいたします 関連記事 – 訃報:井料堅治氏

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第15回文協総合美術展 – 4月1日より応募作品受付開始

文協総合美術展は、文協の美術委員会および工芸委員会によって、新人作家の育成と新進作家の発掘を目的に2007年から開催されています。昨年開催された第14回目の同展では、400を超える作品の応募作品の中から147名のアーティストによる279作品が選出され、文協文化ホールにて、それらの作品が展示されました。 本年度の第15回文協総合美術展は、ProAC(サンパウロ州文化活動プログラム)の支援を受け、10月に開催する予定です。それに向けた作品募集の受付は4月1日から開始、6月4日が受付最終日となります。 応募要項などの詳細については、3 月に、文協Web サイト (www.bunkyo.org.br) にて公開します。 お問合せ:工芸部門:artekoguei@bunkyo.org.br美術部門: artesplasticasbunkyo@gmail.com TEL: 文協事務局11 3208-1755 (担当-アウローラ) 2022年度 第14回文協総合美術展の作品は以下の通り。(画像をクリック)

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第66回パウリスタ賞授賞式

写真:第66回パウリスタ表彰の受賞者 ブラジル日報協会(林隆治会長)主催の「第66回パウリスタ賞授賞式」が3月4日、文協大講堂で開催され、38名が栄に浴しました。この「パウリスタ表彰」は、1956年、現在の邦字新聞である「ブラジル日報」のルーツともいえる今は無きパウリスタ新聞が、勝ち負け抗争によって分断状態にあった日系社会の融和を図ることを目的に、同紙創刊10周年記念事業として立ち上がりました。 写真:お祝いの言葉を述べるゲストとして出席した石川レナト会長 開始当時は「農民賞」「文学賞」「スポーツ賞」の3部門から、それぞれの分野の発展に貢献した日系人を表彰していました。時代の変遷とともに、「スポーツ賞」はそのままで、現在は「社会功労賞」「文化功労賞」となり、対象範囲も拡大されました。 文協関係者の中からは、今回、以下3名が受賞しました。おめでとうございます! 文協第一副会長 西尾 ロベルト 義弘 氏 南米銀行やホーワ工業に勤務。元クレスル(Creasul)取締役。元南米銀行取締役。元レイテ・トスト・バロス法律事務所弁護士。現ブラジル日本文化福祉協会(文協)の第一副会長。法務委員長。ブラジル日本移民史料館運営副委員長。宮坂国人財団理事長。伯日文化社会統合協会会長。サンタクルス日本病院審議員。日伯文化連盟評議会書記。旧南米銀行関係者の懇親団体である「なぎさ会」審議会員。日伯比較法学会評議員。ブラジル日系ゴルフ連盟副会長。伯日文化社会統合協会を通じた日系社会への支援の他、文協や移民史料館への貢献が評価され、2018年12月、日本政府より2018年の外国人叙勲「旭日双光章」を受勲。2019年4月、サンパウロ市議会から「パウリスタ名誉市民賞」を受賞した。(ブラジル日報より) 文協前会長 呉屋 新城 春美 氏 元ブラジル日本文化福祉協会(文協)会長。ブラジル沖縄県人会理事。沖縄県生まれで1958年、家族とともに来伯。1977年、バレットス中央教育大学建設エンジニア学科卒業。1986年に公務員試験合格。マリオ・コバス政権時に、サンパウロ州税務局の情報技術部門の創設に尽力した他、局長補佐などを務めた。1990年、JICA研修生として訪日。元JICA研修生OB会長。ウチナー民間大使。(ブラジル日報より) 第1常任理事 ウエダ マサミ 氏 1969年サンパウロ市生まれ。ゴルフ歴40年。文協第1常任理事。2015年からファゼンダ・ダ・グラマ・ゴルフ&カントリークラブ理事。幼少期からアルジャーゴルフクラブで、様々な大会に参加した。(ブラジル日報より)

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訃報:井料 堅治 氏

獣医として活躍した井料堅治さん(鹿児島県出身)が、5月4日の20時30分に老衰のためお亡くなりになりました。91歳でした。 去る2004年に、当時の小泉純一郎内閣総理大臣がご来伯された際に、1200人で埋め尽くされた文協大講堂での歓迎会の挨拶の中で「私にとってブラジルは外国ですが心情的には一番近い国なんです。」と話し、その理由として小泉首相が十代の時に親交が厚かったいとこの井料堅治さんがブラジルに移住したことを説明、「キャッチボールや勉強を教えてもらった。私にとって兄のような存在。いつかブラジルに行ってみたいと思っていた。」と話されました。それもあり、同氏は、文協では評議員会役員を務めるなど日系社会に対する貢献はもちろん、小泉純一郎元内閣総理大臣のいとことしても広く知られていました。 2023年5月5日(金)モルンビ墓地にて葬儀 午後3時に埋葬住 所: Rua Deputado Laércio Corte, 468 – Morumbi – São Paulo – SP 心よりご冥福をお祈りいたします

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四十九日法要のお知らせ:丹下セツ子先生

丹下セツ子先生 四十九日法要のお知らせ ブラジルで「丹下セツ子太鼓道場」を創設するなど日系社会の芸能分野において多大な貢献をされた丹下先生の四十九日法要が行われます  日 時:2023年5月7日(日)15時~ 場 所:文協ビル2階 貴賓室 丹下セツ子先生の記事はコチラ

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追悼:秀島 マルセロ 氏

文協の第二副会長の秀島マルセロ氏が、2023年2月1日の夜、共同経営するAlfa Alimentosの仕事から帰宅後、心臓発作により、自宅でお亡くなりになられました。53歳でした。妻と娘さんとの3人家族でした。 通夜は2月2日の14時~22時と3日の午前6時~午前8時、文協文化ホールにて行われました。(R. São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo 文協ビル地下1階) 葬儀は2月3日午前11時より、Jardim Horto Florestal墓地にて行われました。(Rua Luiz Nunes, 111 – Parque Ramos Freitas – SP) 秀島マルセロ氏 移民一世とは違い、日系社会に対して関心が薄くなりがちなブラジル生まれの日系人青年らを、上手くまとめていたのが青年時代の秀島氏でした。その人望と手腕を必要とした文協は秀島氏を招き入れ、早速秀島氏は、1997年の文協青年部の発足に際して、主導的役割を果たしました。その活動を軌道に乗せた後の2005年、今度は35歳という若さで文協の副会長に抜擢され、活動の幅を広げました。 以下、2006年11月25日に、文協貴賓室で行われた「文協創立50周年記念座談会」の冒頭に行われた参加者の自己紹介から抜粋します。 秀島マルセロ、36歳で既婚です。私の文化団体での活動は、 ツクルヴィ協会の日本語学校へ入った9歳の時から始まります。16歳でこの協会の青年会長になり、 イベントや各種競技の組織づくりを活発に行ない、 同協会の会長になりました。そして当時15団体を擁していたサンパウロ北部連盟に参加しました。統合こそ日系人の交流を促進し、 強化する手段だと考えるので、これは極めて重要な経験でした。ただ北部地区だけだったため他地区の団体は知りませんでした。そこで友人のグループとサンパウロ慈善インテルカイカンを設立しました。1994年にはサンパウロ各地にある11団体を集め、それが大きな交流の方法であると考え、1995年には16団体、スポーツ、文化、慈善など様々な部門の青年 1,200名をまとめました。1996年のイベント開催において、寄付のための食料品を19トン集めたときは最高の喜びでした。その後、林アンドレさんがいた文協の日系団体再活性化委員会に呼ばれ、議論したときに、将来の再活性化について、この委員会が所属している文協自体に青年がいないことを大いに話し合いました。そのため当時の山内会長は青年文協、現在の文協青年委員会を創立するため、 あらゆる支援をして下さいました。1997年のことで、当時の青年文協は青年団体リーダーたちの集りで、アイデアを交換する場でもありました。この交流は極めて健全であると考えたので1999年に役員になったとき、 ABEUNI、ASEBEX、 青年会議所、 文協青年委員会と慈善インテルカイカンの5団体の会長で、これらの団体を統一し、 それぞれのメンバーの育成を一層強化し、 共同活動を通じて日系社会および社会一般のために何かを促進するグループを結成するアイデアが生まれました。このアイデアの推進者であった林アンドレさんは、文協の政策を議論するため、 ABEUNI、 ASEBEX、青年会議所と青年文協を召集し、 私も再活性化委員会のメンバーとして参加しました。こうして結成したG5の統合は極めて重要であったと思います。2000年には5団体の会長が集って連合会を作り、 現在まで続いています。この間、 私は希望の家※に呼ばれ、 その第1副会長ををしており、 文協、 交流協会にも参加しております。 ※重度知的障害者が入居する福祉施設「希望の家福祉協会」         (2007年4月発行 ブラジル日本文化福祉協会創立50周年記念「文協50年史」より抜粋) このような秀島氏を、誰もが、近い将来、ブラジル日系社会全体を牽引する指導者になるだろうと信じて疑いませんでした。 その秀島氏の、突然で、そして早すぎる逝去の報は、日系社会全体にどれ程の衝撃と悲しみを与えたかは、言うまでもありません。 急遽開催した文協文化ホールでの通夜には、次から次へと届けられた77基の花輪で会場が埋め尽くされました。そして弔問客も途絶えることがなく、約1000人※が来館し、秀島氏との最後の別れのひと時を持ちました。※受付で記帳した方々は約600名ですが、記帳のために大勢の人々が並んでいたため、記帳をせずに帰られた方も沢山いらっしゃいました。また家族で来られた方は殆どが代表者1名のみの記帳でしたので、弔問客はゆうに1000人は超えていると推測します。

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ブラジル日本青年会議所 新会頭に照屋ウーゴ氏

写真:左から照屋ウーゴ新会頭 , 関口ひとみ文協顧問 , 岩本レアンドロ前会頭 ブラジル日本青年会議所(JCI Brasil-Japão、JCIBJ)は、2月13日に「2023年役員就任式」を文協貴賓室で開催、照屋ウーゴ新会頭(三世/34歳/弁護士)の就任を、集まった150人が祝しました。 照屋ウーゴ氏は、2010年に沖縄県人会ビラカロン支部の青年部のリーダーを務めて以来、日系社会とのつながりを維持しています。もともとサンパウロ大学生援護連盟(ABEUNI-Aliança Beneficente Universitária de São Paulo)※で活動しており、ブラジル日本青年会議所には2014年から所属。文協には、2019年から文協青年委員会の活動に加わるようになり、現在は文協理事会の専任理事を務めています。 ※ABEUNIは、50年代から活動していた日系医学生を中心とした「ABENIBRA」(日伯援護協会の大学生支部)が前身となる団体で、サンパウロ州の貧困地域、孤児院などで医療や教育のボランティア活動を行っている。前身のABENIBRAでは、日系人に対して無料健康相談を行っていたが、その枠を取り払いサンパウロ州全土の住民へとその対象範囲を拡大した。また、日系の医学生が中心だった活動メンバーの枠も広げ、学生もしくは学位取得者であればどの分野の専攻でも参加できるようになった。 照屋ウーゴ 新会頭 所信表明 新任の挨拶にたった照屋新会頭は、まず、前年度の岩本レアンドロ会頭とその執行役員らの労をねぎらい感謝の言葉を述べました。 そして、前執行役員が開始したプロジェクトを今後責任を持って展開していくと話しました。 また、日系団体およびスポンサーとの関係強化を図り、その上で、ブラジル日系団体とつながりのある学校との共同行動を模索し、次世代を率いる青年層のリーダーシップ資質向上のために、弁論練習の重要性を学校関係者に認識させる活動をしていきたい、と述べました。 また、会場に駆け付けた両親に対しては、夢を実現し続けられるよう常に最高の環境を提供するために努力してくれたことに、また、婚約者であるタミレスさんに対しては、いつもそばで励ましてくれることに対し、心からの感謝の意を表しました。 写真:左から婚約者のタミレスさん , 父親のイサオさん , 母親のマサコさんとウーゴ新会頭 そして最後に、照屋新会頭が兄のように慕っていた、2月1日に急逝した秀島マルセロ氏が、生前、常に語っていた言葉を引用し、所信表明を締めくくりました。 ベストを尽くそう! どんなことでも、簡単なことでも、常にベストを尽くそう。 どんな簡単な仕事でも、どんなことでも、常にベストを尽くそう!

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