報告:ブラジル日本移民110周年記念式典

mako sama記:2018年8月10日

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ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会・祭典委員長で、文協の会長でもある呉屋春美氏は、壇上に用意された9つの肘掛け椅子の端に座り、溢れそうになる涙を必死でこらえていました。7月21日、正午が少し過ぎる頃、白い軍服に身を包んだブラジル海軍が、ブラジルと日本、そしてブラジル海軍の旗を掲げ、式典会場に入場してきたその時、2017年4月から積み重ねてきた式典の準備の終了が告げられた時でもありました。

同時に、この式典を成功させるため、委員会を組織し、菊地義治実行委員長をはじめとする多くのボランティアメンバーと共に重ねた苦労の日々が喜びに変わった瞬間でもありました。
何より、壇上に眞子内親王殿下がお出ましになられ、110周年式典に特別な輝きを放たれた時、今までの苦労と努力が、全て報われた、もうひとつの瞬間でもありました。

日本側からは、眞子内親王殿下をはじめ、近藤茂夫首席随員および山田彰駐伯大使のほか、浜田恵造 香川県知事、三反園訓 鹿児島県知事、福田富一 栃木県知事、小川洋福岡県知事ら4名に続き、副知事7名、県議会議長9名、副議長3名の17の都道府県を代表者を含む合計35名が登壇しました。
ブラジル側からは、マルコス・ガルボン外務次官(前駐日大使)、マルシオ・フランサ聖州知事、ブルーノ・コーバス聖市市長をはじめ、飯星ワルテル下議、太田慶子下議、安倍順二下議、西本エリオ聖州議員、ペドロ・カカー州議ら日系政治家など、合計31名が登壇しました。

☆110周年アリーナ

話し合いを重ねる中、ブラジル日本移民110周年記念式典は、ブラジル日本都道府県人会連合会が毎年開催する日本祭りと、同時開催することに決定しました。またこの式典に一人でも多く参加できるよう、100人が登壇できる大な舞台と、一般観客席を備えるU字型のアリーナ形式の観客席を、日本祭り会場内に設置することにしました。

当日、約4,300人の収容が可能な110周年アリーナは、110周年委員会側と県連側とに別れ、それぞれに招かれたゲストで満席となりました。一般客用に無料配布した1000席分のチケットも、わずか3日間で終了となる程でした。
ちなみに、110周年委員会側のチケットは、トヨタ・プリウスおよび、ホンダ・シビックの協力券購入などに、企業単位で協力してくれたスポンサーやサポーターに、県連側のチケットは47都道府県関係者にそれぞれ配られました。

☆式典

正午を少し回った時、式典会場に船の汽笛の音が響き渡りました。その汽笛は式典開始を告げるものでしたが、同時に、静けさと共に荘厳な雰囲気へと、会場を一変させるのに役立ちました。

「希望の船、それは笠戸丸。大西洋の地平線で、日本人移民を歓迎したのは、青い海でカモメが羽ばたく羽の音とその鳴き声」と、司会者が語った後、ブラジル海軍の演奏にあわせて、ブラジル国旗、日本国旗、ブラジル海軍旗が入場してきました。 ブラジル海軍旗は110年前に船で到着した日本移民に対する敬意の現れでもありました。さらに、ブラジル海軍によるブラジル26州と1連邦区の旗の入場に続き、ボーイスカウトによる日本47都道府県旗が入場し、両国の友好を強調しました。両国の国家斉唱は、ブラジル創価学会インターナショナル・イケダヒューマニズム交響楽団による演奏とコーラスでした。

挨拶に立ったブラジル日本都道府県人会連合会の山田康夫会長は、集まった来賓と一般市民に対して歓迎の意を表し、「110周年を記念して、両国の関係を強化するよう努力した」と強調しました。 また、西日本豪雨の被害にあわれた西日本の人々に対して、お悔やみとお見舞いの言葉が述べられました。

次に挨拶に立った、ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会の呉屋春美 祭典委員長は、先人や今回式典に関わった全ての方へのお礼の言葉を述べると同時に、皇室の恒例行事である1998年度の「歌会始」の折、美智子皇后陛下がその前年にブラジルをご訪問下さった時のことを思い返して詠まれたお歌に触れました。

  御題「道」
   移民きみら辿りきたりし遠き道に イペーの花はいくたび咲きし

「このお歌に表されているように、日本移民が辿った道は決して楽な道ではなく、言葉では言い表せない程の苦労が多くありました。しかし、イペーの花が咲くのを何度も何度も目にするうちに、いつしかその苦労の時も過ぎ去り、今では多くの実りを感じるまでになりました。」と述べました。<<<呉屋春美祭典委員長挨拶全文

ブルーノ・コーバス聖市市長は、眞子内親王殿下に挨拶したあと、「サンパウロ市は日系移民が多く、それは市にとって大変名誉なことである」と話しました。

最近ブラジルへ帰国したばかりの前駐日大使のマルコス・ガルボン外務次官は「自身の職務に対する準備のため2010年の12月、天皇誕生祝賀会が開かれた文協に行きました。そこでブラジル日系人の小さなコーラス隊が歌うブラジルと日本のそれぞれの国歌から、深い愛情を感じました。その瞬間、私はもう既に日本に行く準備は整っている、と確信することができました。」と述べると共に「日本人は遥か遠くからやってきて、ブラジルの発展に大きく貢献していただいた」と移住者らを賞賛しました。また、2011年に東北を襲った大地震にも言及し「その当時、日本には25万4千人のブラジル人が住んでいましたが、彼らは日本人の苦しみを和らげるために支援するとし、帰国は考えませんでした。その姿を見た時、ブラジルはすぐにでも援助する準備が整っていることを知り、彼らを誇りに思いました。」と話しました。そして「国家の柱を強固にし、国家同士の相互理解を促進するのは、こういった人間同士の繋がりにほかなりません」とし、最後に、式典にご臨席頂き更なる輝きを与えて下さったとして眞子内親王殿下に対する感謝の言葉で締めくくりました。

マルシオ・フランサ聖州知事は、「私たちブラジルにとって最も貴重な財産である日本との関係をさらに強化することができたこと、 ブラジル国家が日本の移民に対して門を開いた事実が証明されたこと、この二重の喜びを感じることができる偉大なイベントだ」と話しました。

続いて、観客の大きな期待を一身に受け挨拶に立たれた眞子内親王殿下は「このような思い出深い年を皆様と共に祝うことができ、大変嬉しく存じます。」とお言葉を始められました。そして、既に挨拶に立ったブルーノ・コーバス聖市市長、マルコス・ガルボン外務次官、マルシオ・フランサ聖州知事に対し「日系社会に対する温かいお言葉を頂き深く感謝申し上げます。」と続けられました。<<<眞子内親王殿下お言葉全文

眞子内親王殿下のお言葉が、ポルトガル語の「ムイト・オブリガーダ」(どうもありがとうございました)で締めくくられると同時に、観客は総立ちとなり、会場は割れんばかりの拍手で包まれました。

その後、再びブラジル海軍の演奏にあわせて各旗が会場を後にすると、今度はグループ民の演奏にのって、レプレーザ連による阿波踊りが披露されました。それに続き、琉球國祭り太鼓、レキオス芸能同好会エイサー太鼓によるシンカヌチャーが会場に華を添えました。

この日の司会進行を担当した高橋カルロス氏が「今日のこの祭典に輝きを与えてくれた全ての人々にお礼申し上げます。特に眞子内親王殿下に、心からの感謝を申し上げます」という言葉と、沸きあがる観客からの大きな拍手の中、眞子内親王殿下と来賓は舞台を後にしました。

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