2020年度白寿者表彰 鈴木昌子さんなど合計27名

文協の恒例行事の一つである 99歳の方をお祝いする「白寿者表彰」 に対し 各団体や新聞紙上で呼びかけたところ、本年は27名の方のお名前が寄せられました。

しかし、新型コロナウイルスパンデミックのため、6月28日に予定していた式典を開催することができず、表彰状および宮坂国人財団からのご祝儀は、郵送にてお送りしました。
それを受け取られた白寿の方々の写真や経歴などが届きましたので以下ご紹介します。

太田 平沢 かず子さん

1920年6月11日、静岡県に生まれる。より良い暮らしを求めて、両親、兄弟共に乗船した移民船サントス丸がサントス港に着岸したのは、1928年1月13日の午前8時半のことでした。
写真はリンス市の自宅で100歳の誕生日を祝った様子。
結婚した太田ヨシロウ氏との間に7人の子供、18人の孫、10人のひ孫に恵まれました。
2020年11月19日、100歳の生涯を全うし逝去されました。
心よりご冥福をお祈り致します。

ヒノ トウジロウ さん

1921年9月14日島根県沖の島に生まれる。 お金を稼いで帰国することを目的に、1934年9月20日当時13歳の時に、ハルシ、ナミ兄夫婦、そして弟のキサブロー氏と一緒にアラビア丸で神戸港を出港しました。サントス港に到着後は、サンパウロ州のカフェランディア地区のカフェソポリス、後にパラナ州のアラポンガス地方のコーヒー農園で開拓者として働きました。努力と多くの犠牲を払って、彼らは数年で日本移民家族の隣に小さな農場を購入することができました。 植民地の日本移民家族らが集まって、故郷の慣習に従って日本の文化である歌や踊り、運動会、相撲、餅つき、新年会などを常に開催していました。

1949年、トウジロウ氏はパラナ州コロラド市の義父となるナガオカ農場でミヨコ氏と結婚しました。 そこで彼は、森林の開墾、家の建設、井戸の掘削に取り組みました。 その後、コーヒー、米、豆の植え付けに取り組み、自分の土地を購入することができました。彼はコロラド市に引っ越し、義理の兄弟であるナガオカキユイチロウ氏と共同で精米所を購入しました。 また、コーヒーの苗木を扱う仕事を始めて、地域の農家に販売もしました。その後、ロンドリーナ市に引っ越す前に、生涯忘れることのない日本旅行をしました。ブラジルに到着してから38年という月日が流れるなか、一度も会っていなかった母親や兄弟たちを訪ねたのです。

1972年、彼は子供たちに質の高い教育を受けさせることを願いロンドリーナ市に引っ越しました。 彼は商売で生計を立て、それによって彼のすべての子供たちが高等教育を受けることが可能になり、彼の夢は実現しました。 トウジロウ氏は常に日系社会と繋がりを持っており、カラオケ、運動会、高齢者向けの活動などの文化イベントに参加しているほか、ロンドリーナ文化体育協会(ACEL)の顧問兼財務担当などを歴任しました。また数年間、北パラナ州島根県人会の代表も勤めました。1988年に引退後、民謡、歌謡、演歌など数種類の音楽を歌い始め、大会ではいくつかのトロフィーを授賞しました。2016年に妻が亡くなった後、彼はパラナ州ロンドリーナで娘と孫娘と暮らしています。 今年の9月14日に99歳になりましたが、まだまだお元気だそうです!

森西 茂行 さん

1921年6月6日、徳島県名西郡神山町に生まれる。当時13歳のときにブラジルに渡りました。
2020年5月24日に99歳の生涯を全うし逝去されました。
8月9日の「父の日」に家族で住んでいたイタチーバに集まってお供養をした際の写真を送ってくださいました。
生前は教育勅語の普及に大変熱心に取り組んでいたそうす。
ご冥福をお祈り致します。

ドイ マスエ さん

1920年9月6日、愛知県名古屋市に生まれる。当時7歳のときにブラジルに渡りました。
2020年6月3日に100歳の生涯を全うし逝去されました。

写真は息子さん夫婦や近くに住むお孫さんご夫婦などが集まったときに取った写真を送ってくださいました。
ご冥福をお祈り致します。

安永 忠邦 さん

1921年3月25日にサンパウロ州プロミッソン市に生まれる。1914年に熊本から飛伯した父良耕・母セキ夫妻の間に生まれた11人兄弟の3番目。
安永家は、1918年、皇国殖民会社の現地代理人であった上塚周平氏が、プロミッソン駅に近いイタコロミーに土地を購入し、上塚第一植民地を創設した時に共に行動しました。それ以来ずっと忠邦氏はプロミッソンに根を下ろし、日本人移民がこの国に広がるのと同じように、8人の子供、29人の孫、13人のひ孫を持ち安永家を繁栄させました。そればかりでなく、現在父良耕・母セキ夫妻の子孫である「安永家」を合計すると、現在ブラジルのさまざまな場所に、合計450人以上となりました!そしてそれらの殆どが、地元のブラジル日系社会の活動に関与しています。忠邦氏も1978年から1994年まで、プロミッソンのCooperativa Agrícola Sul-Brasilの社長を務めながら、スポーツやコミュニティ活動にしっかりと協力していました。特に1945年から1991年までボランティアで日本語の教師をしていました。これは日本移民の父と称される上塚周平氏の哲学である地域活動の重要性を次世代へ継承という使命感から来る行動でした。

安倍晋三前内閣総理大臣から100歳を祝賀する銀盃が届いたその2日後の2020年10月23日、100歳の生涯を全うし逝去されました。
心よりご冥福をお祈り致します。

山西 伊藤 玉枝 さん 

大きな決意と忍耐の人生

1921年6月23日に愛知県名古屋市に生まれる。伊藤舜三、ゆの夫妻の最初の初子として生まれた玉枝さんは、1930年に両親と妹の須美子さん、父の兄弟義一さんと共にサントス港に到着、サンパウロのコーヒー農園に配属されました。殆どの日本人移民がそうであったように、多くの困難を経験しましたが、時が経つにつれて状況も良くなりサンパウロのアシス地方の農場の所有者となりました。その間、妹のエミコさんと弟のショウジさんも生まれ、家族もにぎやかになりました。
1943年、玉枝さんはサンパウロ州のアシス市で商売を営んでいた山西豊氏と結婚。戦争の最中に、4人の子供、サチコ、ティドリ、ジュリオ、パウロを生み育て、1956年にパラナ州のアラポンガスに移転すまでアシスで過ごしました。その後1958年4月にサンパウロ州のサントアンドレ市に新しい家を購入し移転しました。この街では、野菜の栽培に専念していました。当時の厳しい経済状況の中、彼女は夫とクレソンとレタスを育てるために一生懸命働きました。彼女は「教育は親が子どもに残せる最高の財産」と思う一人で、子供の教育にも熱心でした。また夫の豊氏と共にサントアンドレの文化協会、特にサントアンドレのホンパホンワンジ寺院に積極的に参加しました。彼女の夫の豊氏は2009年に95歳で亡くなりました。
玉枝さんは100歳を迎えた32日後の2020年7月25日に生涯を全うし逝去されました。心よりご冥福をお祈り致します。

平澤 正人 さん

1921年3月19日長野県上伊那郡に、安次郎、婦じ乃夫妻の次男として生まれる。15歳の時にモンテ・ビデオ丸に乗ってブラジルへ渡り、ノロエステ線ミランドポリス市第三アリアンサ渡辺農場に入植しました。その後ソロカバナ線パラグアス市文化植民地に移転し1942年まで農業に従事。1942年10月にはパウリスタ線マリリア市に移転し農機具工場を共営、1946年には同線ペテルネイラ市に移転し製糸工場を共営。1951年にはパラナ州ロンドリーナ市に移転しラジオの出張販売業を手がけました。1972年には不動産事務所を共営するなどし、1987年に定年退職するまで熱心に働きました。
その間、在伯長野県人会やロンドリーナ文化体育協会、パラナ日伯文化連合会などにも積極的に参加しました。2008年には日本国外務大臣表彰も受賞しています。

樋口 愛子 さん

1921年1月3日、山口県に生まれる。パラナ在住。

滋野 とよ さん

1921年3月25日生まれ。サンパウロ州タツイ市在住。

鈴木 昌子 さん

1921年3月10日に、島根県能義郡に生まれる。サンパウロ州バストス市在住。

タカハシ ハル さん

1921年10月17日に山形県に生まれる。パラー州ベレン市在住。

大野 美佐子 さん

1921年9月28日に北海道に生まれる。サンパウロ州ペレイラバレット市在住。

坂 美代恵 さん

1921年3月12日和歌山県に生まれる。サンパウロ市在住。

トヤマ マサオ さん

1921年11月20日に沖縄に生まれる。サンパウロ州サントス氏在住。

カナヤマ トキ さん

1920年2月23日に北海道に生まれる。サンパウロ州コチア市在住。

和田 茂恵 さん

2021年8月7日に高知県土佐郡に生まれる。サンパウロ州ジャルジンサンタローザ在住。

ニュース

報告:筑波大学が石川レナト氏に筑波大学名誉博士号を授与

2026年2月9日、文協貴賓室には、日本の筑波大学の永田恭介学長をはじめとする大根田修副学長、福重瑞穂教授といった筑波大学関係者の錚々たる顔ぶれが揃いました。 今回の来伯は、筑波大学による「日本留学海外拠点連携推進事業(Study in Japan)」の南米拠点活動10周年記念式典開催のためでした。 滞りなく式典が進行され、コーヒーブレイクを挟んだ後、満を持して永田学長が、石川レナト文協名誉会長の登壇を促し、主催者である筑波大学によって準備されていた『サプライズ』が始まりました。そのサプライズとは、石川氏に対し、筑波大学名誉博士号を授与するというものでした。

続き

報告:石川レナト第13代会長プレート除幕式

写真左から:平野文協副会長,西尾文協会長,石田オルガ夫人,鈴木在聖総領事,野口在駐大使,石川レナト名誉会長,在浜松ブラジル国総領事館アルデモ・ガルシア総領事 2026年1月23日、文協理事会メンバーおよび文協地方理事らに加えて、野口泰駐ブラジル日本国大使、在サンパウロ日本国総領事館の鈴木誉里子総領事、ブラジルに帰国中であった在浜松ブラジル総領事館のアルデモ・ガルシア総領事といった来賓も出席する中、現文協名誉会長である石川レナト氏の会長在任期間を記念するプレート(銘板)の除幕式が執り行われました。 会長室には、歴代の文協会長を称えるギャラリーがあり、鋼鉄製のプレートが設置されています。プレートには会長の写真だけでなく、その任期中に理事会を務めたメンバーの名前も刻まれています。今回の式典の主役である石川氏は、2019年4月から2025年4月までの計三期にわたり、会長を務めました。 文協の西尾ロベルト義弘現会長は、組織の基盤を築き発展させてきた歴代会長たちを称えることの重要性を語るとともに、名誉会長である石川レナト氏のこれまでの献身的な功績を高く称えました。 続いて石川名誉会長は「6年間の任期中、若者の参加を促すこと、そしてここブラジル国内、ラテンアメリカ、日本の関連団体や人々との連携を強化することを最優先に考えてきました。」と語りました。そして、晴れやかな笑顔で「非常に濃密な6年間でした。今ではもう、あの頃が懐かしく感じられます。」と付け加えました。

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