安倍晋三元内閣総理大臣は2022年7月8日午前、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で参院選の応援演説中に銃撃され、同午後5時3分に搬送先の病院で死亡が確認されました。67歳でした。
変革と若さの象徴であった安倍晋三氏は、2006年、当時52歳の若さで日本国内閣総理大臣に就任しました。
これは戦後最年少、戦後生まれとしては初めてのことでした。
しかしながら、持病の潰瘍性大腸炎の悪化が原因で約1年で総理大臣を辞任。
その後、持病に対する特効薬が開発されると、その恩恵を受け体調が回復、2012年に再度内閣総理大臣に就任しました。
それから2020年に、持病の潰瘍性大腸炎が再発し辞任に至るまで、実に七年間にもわたって日本の政治を牽引し連続在職日数は2822日、通算在職日数は3188日と、いずれも歴代最長の記録を残しました。
以下、2014年にブラジルを訪問された際の安倍元総理のあたたかなお人柄を振り返ります。
2014年8月 安倍総理ご夫妻がブラジルへ
当時の安倍総理は、2014年7月25日から8月2日にかけて中南米のメキシコ合衆国、トリニダード・トバゴ共和国、コロンビア共和国、チリ共和国を歴訪されました。
ブラジルへは7月30日に入国され、8月1、2日とかけてルセーフ大統領やアルキミン・サンパウロ州知事との会談をはじめ、政財界の主要団体との意見交換を精力的にこなされました。
日本館へ
その忙しいスケジュールの合間をぬって、イビラプエラ公園の日本館にご来館された当時の安倍総理に、記念としてパウブラジルを植樹して頂きました。
安倍総理は15回ほど根元に土をかけ、
シャベルでしっかり土を固めました。
木に水を与えられた後、
昭恵夫人とともに幹に触れながら、
立派に成長するよう願いを込められていました。
続いて、日本館内の展示室に案内された安倍総理は、
同館創立60周年を迎えるにあたり展示されていた1枚のパネルの前に立ち止まりました。
そのパネルは、これまでにご来伯された著名人らを紹介したものでした。
そこに1959年にご自身の祖父である当時の岸信介総理大臣の写真が収められていたのです。
日系企業の展示会に参加する様子や、観衆3000名の前で挨拶をする写真の中で、
当時のジュセリーノ・クビチェック大統領と岸信介総理大臣が収められている写真に
特に関心を抱かれてた安倍総理はその場で昭恵夫人を呼ばれ、
正装をまとう祖父の姿を嬉しそうに指差しました。
そして
この頃私は幼かったけれど、
祖父がこのブラジル訪問について熱心に話していたことは覚えています。
と当時のことを思い返されていました。
2014年8月2日
ブラジル日本文化福祉協会へ
写真:歓迎会出席のために文協ビルに到着された当時の安倍総理
ブラジル日本移民史料館へ
文協ビルに到着した安倍総理は、まず、7,8,9階にあるブラジル日本移民史料館へ向かいました。
同館運営委員会の山下リジア副委員長の解説に熱心に耳を傾けながら、展示物をご覧になりました。
9階では、ブラジル日系社会の次世代を担う青年および、当時のリーダーらと懇談されました。
文協大講堂にて歓迎会
「ジャポネーズ・ガランチード」とは
皆さんが築いてこられたものです。
日系人の皆様がおられることによって
日本とブラジルは
まさに魂と魂の交流を続けることができます。
当時の安倍総理は時に笑いも交えながら場を和ませつつ、上記の言葉を熱く語られました。
また、この歓迎会では、前例のないイベントがありました。
それは一般の出席者全員を20人づつのグループにわけ、安倍総理ご夫妻との写真撮影を総理自ら提案してくださったのです。
全グループとの写真撮影が終了する約1時間以上もの間、椅子に座り通しであったにもかかわらず、総理ご夫妻は嫌な顔一つせず撮影に応じてくださいました。
なお、この写真撮影は、公式な写真家のみとされていたため、参加者には後日きちんと現像した写真が贈られました。
2016年 リオ オリンピック 閉会式
リオオリンピックの次の開催地は、東京。
そのバトンを受け取るため、閉会式において日本が世界的に誇るゲームのキャラクター「スーパーマリオ」に扮した当時の安倍総理が、同様に世界的に知られた「ドラえもん」の協力を得て地球の裏側から駆け付けてリオのオリンピックステージに現れた演出は傑作でした。
日伯繁栄 JUNTOS
JUNTOS = 共に
安倍総理が提唱した中南米外交における三つの指導理念
プログレジール・ジュントス(progredir juntos・発展を共に)
リデラール・ジュントス(liderar juntos・主導力を共に)
インスピラール・ジュントス(inspirar juntos・啓発を共に)
安倍元総理は2014年の中南米歴訪の最終地となったブラジルサンパウロにおいて、上記の「三つの指導理念」を宣言し、こう述べました。
これから日本は、中南米との協力に、限りない深化をもたらします。
その営みを、常に導く理念です。
日本とブラジルが、日本と、中南米の国々が、手を結び、心を通わせあって、時として苦労を、また努力を、できるなら歓喜を共にすること、――「juntos」の大切さを、私は強調したいと思います。
全文は次の外務省のホームページをご覧ください。安倍総理の中南米政策スピーチ Juntos!! 日本・中南米協力に限りない深化を 対中南米外交・三つの指導理念
心より哀悼の意を表します
安倍晋三元総理の訃報に触れた際は、大変大きなショックをうけました。
文協の石川レナト会長は、そう話しました。
石川会長は、2014年、当時の安倍総理ご夫妻がご来伯された際には、サンタクルス病院(現:サンタクルス日本病院)の理事長として同病院にて昭恵夫人のご訪問を受けた経験があります。
安倍元総理は、これからまだまだ日本を繫栄に導かれる力をお持ちだった。
それを思うと、残念でなりません。
そう言って肩を落としました。
文協では心からの哀悼の意を表するために弔旗を掲げました。
バンドニュースのインタビューに応じる石川会長
世界中に安倍元総理の訃報が伝えられた当日、ここブラジルでも大変なショックをもってそのニュースが伝えられました。
バンドニュースからの出演依頼に対し急遽生中継にて石川レナト会長が応じました。
司会者が
銃撃によって逝去されたことについて、大変なショックを受けておられると思います。
同じく私たちも大きなショックを受けています。
と話すと、
最も安全な国、暴力からほど遠い国と誰もが信じて疑わない日本において、こういった事件が起きたことが信じらず、とにかく驚き、悲しみに包まれました。
安倍晋三元総理大臣は、大変偉大な政治家でした。
彼を失ったことは、日本のみならず、世界の損失であると思っています。
と石川会長は話しました。そして
ブラジルはもちろん中南米全体と日本の友好関係強化に対し常に関心を寄せ、この友好関係を今後も継続させるためには次世代を担う若者の教育が何より重要とし、2014年に中南米を歴訪された後すぐに、青年を対象にした交流プログラムを作成して下さいました。その活動は現在も続いています。
と述べました。
安倍晋三元内閣総理大臣のご冥福を心よりお祈り致します。