呉屋 新城 春美 氏・大原 毅 氏に捧げるレクイエム

去る2025年7月2日付けでブラジル日報に掲載されたブラジル日本文化福祉協会の林まどか理事による投稿「レクイエム(鎮魂歌)=ブラジル日本文化福祉協会 理事 林 まどか(宗円)」を以下転載いたします。

眞子内親王殿下のご臨席を賜り開催されたブラジル日本移民110周年記念式典にて、同祭典委員長として挨拶に立つ呉屋新城春美氏
(2018年7月21日)

ゴーギャンの有名な言葉に「我々はどこから来たのか、我々は何物か、我々は、どこに行くのか」という、1897〜1898年に南太平洋のタヒチ島で製作された絵画があります。これは、彼の代表作で、人生の存在と意味を問う言葉として知られています。


 この6月に、文協の巨星が二つ墜ちました。故呉屋新城春美さんと故大原毅さんです。


 側にいた私は、この二人の亡くなられた方を悼み、その魂の安らかな眠りを願うためにこの拙文を捧げます。その思い出をここに語り、鎮魂の意とします。

先ず、故呉屋新城春美さんですが、2015年に、第12代女性初の文協会長として、選出されました。州財務局の高級官僚でありましたが、半年前の10月に退職して、文協の役職に就くための準備をしておられました。当方も呼ばれ、文協第三副会長としてお手伝いをしました。


 とにかく春美さんは正義感の強い方で、文化というものに対して、審美眼を持っておられました。一緒に着物ショーをしたときも結構チェックが厳しかったように思います。そうして、メインは、2018年のブラジル日本移民110周年の眞子さまをお迎えした時でした。式典委員長を務められ、実行委員長の菊地義治様と、式典を盛り上げられました。


 会長職は、財務というかお金がかかります。この時代につくられた奉加帳(カデルノ・オーロ)には、多額の寄付をされたこの二人と現文協会長(当時、宮坂国人財団理事長)の西尾ロベルトさん等の名前も記載されています。


 春美さんは名ばかりの会長では無く、毎日会長室に来て、文協の動きを見ておられました。この時代、忠実に毎日詰めておられたのが、当時第一副会長だった松尾治様です。会長職はボランティアで、時間とお金がかかります。よって関心はあるが、一般的に、誰も、役職は、あまり引く受けたくないのかもしれません。


 今年5月に旅行先から戻り、春美さんの容態を聞いた時、ずいぶん迷いましたが、お見舞いに行きました。長く頑張られた春美さんに是非会いたかったのです。病室には、最愛の夫のミルトンさんが控えておられました。彼女は、何度も「病院にいることを人に知らせないで」、と言いました。


 彼女の矜持が、この言葉を吐いたのかもしれません。佳子様ご来伯の式典の時は、壇上に並ぶはずの春美さんがいませんでした。見舞いから三週間後に他界されました。


 このお会いした時の、春美さんの静かな、面持ちを忘れることができません。もう役目は終わったと思われたのか? 


 親戚のおられるオーリンニョスで、埋葬されました。しずかに安らかに、御眠りください。貴女は偉大でした。  合掌

大原 毅 氏

故大原毅先生は長年、総領事館の顧問弁護士を勤められ、文協、滋賀県人会、ふるさと創生会、サンパウロ援護協会、ブラジル日本移民史料館、人文研など多くの役職を持ち、お手伝いしておられました。その温和な人柄と、俊敏な弁護士の腕は、多くの方から尊敬を得ておられました。


 当方も長年お世話になり、裏千家淡交会の幹事でもあられました。故妙子夫人とは、とても仲の良いご夫妻でしたが、妙子さんが、早く逝去されたのでさぞ、お寂しかったのでは、と思われます。


 良妻賢母の妙子さんは稀にみる日本女性でした。真の大和なでしこでした。大原先生のお葬式には、多くの方が集まり、別れを惜しみました。亡くなられても、そのお顔は高潔でした。そのご母堂は百歳近くまで存命でした。大原先生も、もう少し生きていてほしかった。

満開の こぶしの下に 知己は逝く 夢庵

 近くにこのお二方の死を目にして、つくづく思いました。


 死ぬと言うことは? 生きるということは? 冒頭のゴーギャンの言葉が思いうかびます。


 ブラジル日本文化福祉協会の偉大な人を二人失い、寂莫とした思いです。


 そして生きることの意義を、思い起こしています。

ニュース

新年特別企画!文協水曜シネマ2本立て&フリマ 1月21日(水)

文協水曜シネマ&フリマ 文協会員拡充員会が提供する「文協水曜シネマ」、そして、文協図書委員会が運営する「文協水曜フリマ」。 かつて、それぞれが別々の日に開催していたましたが、相乗効果を考えて、毎月第1水曜日に同時開催をするようになり、大変好評を得ています。 2026年1月は新年特別企画として、映画を2本上映いたします。 もちろん、フリーマッケトも行います!

続き

年末年始休業のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。誠に勝手ながら、弊会では下記の期間を年末年始休業とさせていただきます。皆様にはご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。 なお、日本館は現在、メンテナンスのため閉館しております。 良いクリスマス、良い新年をお迎えください。

続き

祝!文協創立70周年

ちょうど今から70年前の1955年12月17日、文協の前身となる「サンパウロ日本文化協会」が、第17号サンパウロ市民登記所に正式に登録されました。 文協の誕生は、サンパウロ市制400周年祭への参加を目的に結成された「日本人協力委員会」による、イビラプエラ公園内日本館建設の成功がもたらした、きわめて意義深い成果の一つであったと言えます。山本喜誉司氏が率いた同委員会の解散総会は、そのまま、3年後に控えたブラジル日本移民50周年記念式典の開催を主要な目的の一つとする「サンパウロ日本文化協会創立準備委員会」発足の場へと引き継がれました。 そして1955年、初代会長に山本氏を迎え、文協は正式に発足し、今日に至っております。 文協歴代会長についてはコチラ≫≫≫歴代会長 これまで協会の歩みを支えてくださったすべてのボランティア、会員、支援者、スポンサーの皆様に、心より感謝申し上げます。

続き

アニソン・ダンス教室 生徒募集中!

現在、文協では、国際協力機構-JICAより派遣されたのアニソン・ダンス・インストラクターのYUKINA先生をお迎えしています! レッスンは一般の方に広く開放されており、15歳以上であればどなたでも参加できます。レベルは問いません。初心者も大歓迎です! J-POPやアニメソングなどの日本の音楽に合わせたダンスを通じて、身体的・精神的健康の促進、さらにはコミュニケーションや自己表現力の向上も期待できます。 日本から来た専門家から学べるこの機会を、ぜひお見逃しなく! JICAボランティア YUKINA

続き

報告:130周年記念コンサート

Foto:Gabriel Inamine 去る11月28日に、サンパウロ市立劇場にて開催された「日伯修好通商航海条約締結130周年」を祝うクラシックコンサートには、約1,500名が来場し、忘れられない夜となりました。 舞台には、指揮者のチアゴ・タヴァレス氏、サンパウロ市立青年交響楽団員とともに、ソリストとして尺八奏者のシェン・ヒベイロ氏と箏奏者の西陽子氏が登壇し、美しい音楽を奏でました。 「友好」をテーマに掲げたこのコンサートはブラジルと日本を結ぶ完璧な音楽的つながりを築き、会場全体を感動させる楽曲を来場者に届けました。

続き