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ラスト・サムライ死す

戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間任務を続けた元陸軍少尉小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが1月16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で亡くなり、91年の人生に幕を閉じられました。 小野田さんは1922年(大正11年)3月19日生まれで、1944年12月、第二次世界大戦の最中フィリピンに派遣されました。1945年8月15日正午の昭和天皇による玉音放送をもってポツダム宣言受諾を国民へ表明し、日本は降伏したのですが、フィリピンのジャングルに潜んでいて戦争はまだ続いていると信じていた小野田さんはその後も持久戦により在比アメリカ軍に挑み続け、島内にあったアメリカ軍レーダーサイトへの襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、合計百数十回もの戦闘を展開しました。 地元警察との戦闘では2人の部下を失い、最後の数年は密林の中を単独で戦闘を続行していましたが、そんな小野田さんも長年の戦闘と孤独に対して疲労を深めていき、1974年に日本の青年鈴木紀夫氏が現地を訪れ、2月20日に孤独に苛まれていた小野田さんとの接触に成功しました。鈴木氏は日本が敗北した歴史や現代の状況を説明して帰国を促し、小野田さんは受け入れました。 小野田さんはフィリピン軍基地に着くとフィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示しました。この時、小野田さんは処刑される覚悟でしたが、フィリピン軍司令官は一旦受け取った軍刀をそのまま彼に返しました。司令官は小野田さんを「軍隊における忠誠の見本」と評したのです。小野田の投降式にはマルコス大統領も出席し、その際彼を「立派な軍人」と評しました。こうして小野田さんにとっての戦争は終わり、1974年3月12日に日本への帰国を果たしました。 今回の小野田さんの死去に際し、ニューヨーク・タイムズ紙は、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐の尊さについて知らしめた」と書き、小野田さんが1974年3月に当時のフィリピンのマルコス大統領に、投降の印として軍刀を手渡した時の光景を、「多くの者にとっては格式のある、古いサムライのようだった」と賞賛しました。 また、ワシントン・ポスト紙も、多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田は任務に忠実であり続けたがゆえに「多くの人々の心を揺さぶった」と論評しました。 帰還後、大きく変貌した日本社会に馴染めなかった小野田さんは、帰国の半年後に次兄のいるブラジルに妻の町枝さんと共に移住して小野田牧場を開設し、84年にはルバング島のジャングルで習得したサバイバルやキャンピング技術を日本の子どもたちに伝えるために小野田自然塾を立ち上げました。 小野田さんが91年の生涯を通して見せた忍耐力、精神力、忠誠心といった特質は、現代の日本人が今一度見直し、培うべき「美しいサムライ精神」ではないだろうか。難しい状況にあっても簡単にあきらめない忍耐力、周りの人間に影響されず自分の生き方を貫き通す精神力、自分が生まれ育った国への誇りや配偶者・友への愛情を生きている限り抱き続ける忠誠心。戦争が終わり、平和な世の中になり、わたしたちを取り巻く環境は良い方向へと大きく変化しましたが、それでも日本人として決して失ってはならないものがある。一人でも多くの人々が小野田寛郎さんの生涯と死の意味を感じ取るなら、今後も美しい日本の魂がこの地球上で見られるかもしれない。そんな“ラストサムライ”のミサが日系団体によって執り行なわれます。みなさん、この機会にラストサムライの生き様に想いをはせ、自分の生き方を見つめ直してみるのはいかがでしょうか。 日程:3月12日(水)午前11時より 場所:サンゴンサーロ教会(1976年に小野田さんと町枝さんとの挙式が行なわれた教会) 共催:文協(ブラジル日本文化福祉協会) 協援(サンパウロ日伯援護協会) 県連(ブラジル日本都道府県人会連合会) 和歌山県人会(小野田さんは和歌山県出身) 日本会議 南米通信社 サンパウロ新聞 ニッケイ新聞

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白寿者表彰 – 2014年式典表彰者への案内

毎年恒例となっているように、今年度も文協は99歳の人たちを記念する、伝統となった「白寿者表彰」の準備を行なっています。文協は国内すべての日系団体に手紙を送付いたしますが、わたしたちの先駆者たち(1915年以前出生)が2014年の表彰式に参加できるよう、ご家族やご友人の方々が皆様の地方団体に、もしくは直接文協に、表彰者になり得る方の情報を知らせてくださるようお願いしたいと思います。 白寿表彰は2014年に106年を迎えるブラジル日本移民誕生を記念するために行なわれるイベントの一つであり、勇気ある先駆者たちやそのご家族にとって深い意味を持つ式典、わたしたちの愛するかけがえのない人たちがふさわしい敬意を表されるべく舞台に上がる感動的な瞬間となっています。 このイベントにおけるブラジル日系社会の任務は、一般社会からの承認と賞賛の下、表彰者への賞状と記念品の授与を行なうことです。多大の苦労と努力のうちに異国ブラジルで生き抜き、家族や仲間と助け合って繁栄を築き上げてきたわたしたちの偉大な先駆者たちに大きな喜びと満足をもたらす行為です。 1915年以前生まれ(満99歳、もしくはそれ以上)の人々がこの大切な式典に参加できるように、みなさんに該当者に当たる方の情報を提供してくださるようお願いいたします。 下の用紙を正しく記入し、3×4の写真1枚とRG 、RNE、パスポートなどの証明書類のコピーとともに 5月23日までに文協へお送りください。 – baixe o formulário用紙をダウンロードする 書類の送り先: Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social – Bunkyo Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – CEP 01508-900 – São Paulo – SP 問い合わせ: (11) 3208-1755, com Michele Eメール: contato@bunkyo.org.br 2014年6月22日(日)午前9時より、文協記念大講堂にて99歳の方々への表彰式を行ないます。表彰者本人の式への参加が難しい場合は、代理人の方の出席をお願い申し上げます。

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三輪昭大使の歓送会のご案内

この度、日本国特命全権三輪昭大使は当国ブラジルでの勤務を終えられご栄転のため日本に帰国されることになりました。 三輪大使と直接面識があるわけではない方々のために、三輪昭大使とその任務について少しご紹介させていただきます。 三輪大使は大阪府出身で、1974年に外交官試験に合格し、翌1975年に京都大学を卒業後、外務省に入られました。 2006年から2008年まで外務省中南米局長として、2008年から2010年まで在ポルトガル日本大使として、そして2010年8月から現在にいたるまで在ブラジル日本大使として勤務してこられました。 しかし、みなさんは三輪氏の現在の役職“特命全権大使”とはどのようなものかご存知でしょうか。特命全権大使とは外交使節団の長で最上級の階級です。接受国の元首に対して派遣され、外交交渉、全権代表として条約の調印・署名、滞在する自国民の保護などの任務を行ないます。国際連合などの国際機関の政府代表部に対しても派遣されます。 特命全権大使は特別職の国家公務員かつ外務公務員(=外交官)であり、その任免は、外務大臣の申出により内閣が行ない、天皇がこれを認証するのです。 この特命全権大使がどれほど重要で大切なポストか、またそんな重職を三輪大使がどれほど立派に果たしてこられたかが少しはお分かりいただけたのではないでしょうか。三輪大使は長年にわたり国外において日本政府と日本国民のために忠実、かつ尽力的に働いてこられたのです。 そんな三輪昭大使の働きに対する感謝を表すとともに、今後の更なる御活躍を祈念して、日系団体共催により、ささやかではありますが歓送会を開催いたします。 どなたでもご参加いただけます。この機会に三輪昭大使や日本の外交に接してみるのはいかがでしょうか。 日時 : 2014年2月24日(月)午後7時30分 (開始30分前に受付へお越し下さい) 場所 : ブラジル日本文化福祉協会(文協)・貴賓室 Rua São Joaquim, 381 – 2º andar – Liberdade – SP (地下鉄サンジョアキン駅より徒歩5分。駐車場あり Rua Galvão Bueno 540) 会費 : 70レアル 出席ご希望の方は、2月19日(水)までに氏名と役職を文協事務局 (担当: ヘジーナ/ミシェリ)までご連絡下さい。 連絡先 電話(11)3208-1755 E-mail: evento@bunkyo.org.br

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アルキミンサンパウロ州知事が第17回日本祭りを応援

2月3日午後、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)会長園田 昭憲氏、そして第17回日本祭り執行委員会委員長山田康夫氏と副会長市川利雄氏が、在サンパウロ日本国総領事館福島教輝総領事と州議会議員西本エリオ氏そしてブラジル日本文化福祉協会(文協)副会長呉屋春美氏を伴い、ジェラルド・アルキミンサンパウロ州知事によってバンデイランテス官邸に迎えられました。 その際、西本エリオ州議会議員は、移民エキスポセンターの管理業者変更ゆえに2013年には300,000レアルだった賃貸料が2014年には580,000レアルに値上げされたことが、現在日本国外で行なわれる最大の日本文化祭りとみなされている日本祭りの経済運営に悪影響を与えることの懸念を表しました。 サンパウロ州がそのような重要なイベントを主催することに強い関心を抱いているアルキミン知事は、直ちに地方発展計画の秘書ジュリオ・セメグヒニに電話し、その問題を検討し、西本エリオ議員にもっとも良い解決策を通達するよう指示しました。 アルキミン知事は新しい認可に伴って、過去においてサンパウロ州農業局が市中心の旧エスプラナーダホテルビルに移転させられたア二ェンビコンベンションセンターの場合のように、その場所に新しいホテルや付加的エリアが建設されるだろうと説明しました。 日本祭り副執行委員長市川利雄氏は「この短期間内に行なわれた不可解な再調整は計画に深刻な問題をもたらします。これまでずっと共同体文化の大きなイベントを支持されてきたアルキミン知事と共に西本エリオ議員の干渉を要請します」と指摘しました。 福島教輝総領事はブラジル日系社会に対するアルキミン知事の特別な気遣いに感謝し、2015年にはブラジル日伯修好条約(1895年11月5日)120周年を祝うことに触れました。領事はまた日本ブラジル両国政府間で計画される活動のためのサンパウロ州の支持を期待していることを強調しました。そして、知事の前向きな返答をいただきました。 文協副会長呉屋春美氏は6月28~29日に文協所有の国士舘大学スポーツセンター(サンロッケ市、サンパウロ市より西50Kmに位置)で予定されている第18回文協桜祭開会式の招待状を知事に手渡しました。 呉屋副会長は文協に属している所有権は1997年に日本の国士舘大学から贈与され、それ以来大学敷地内で日本の花のシンボルである桜の開花を記念してイベントが行なわれてきたことを説明しました。 呉屋副会長はまた、バンデイランテス官邸にて行なわれた2011年東日本大震災の被災者を援助するキャンペーン式典が表紙となっている文協2012年鑑誌コロニアを、そして2013年日本祭りと文協桜祭において展示されたブラジルの日本移民105周年エキスポが載っている2013年鑑誌を知事に手渡しました。 アルキミン知事は文協機関紙コロニアのページをめくりながら、文協やブラジル日本移民資料館を訪ねた時の現役天皇陛下の写真や移民100周年式典の写真を見て興味を引かれておられる様子でした。とりわけ、元内閣総理大臣小泉純一郎氏のバンデイランテス官邸訪問についてコメントされました。 福島領事は感謝の意を表すために日本の有名な磁器「有田焼」をアルキミン知事に贈りました。そしてお礼としてサンパウロ市に関する一冊の本をいただきました。 最後に知事は訪問者全員と一緒に写真を撮り、謁見者一同の心遣いに心から感謝を述べました。

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祝!日本政府からの勲章受章者!!

家族や友人たちや社会の人々と共に祝われるに値すると真に認められた人々。それこそが1月28日の夜、文協貴賓室において行なわれたブラジル日系社会32団体によって執り行われた式典の空気でした。 150人近くが詰め掛けたイベントは、在サンパウロ日本国総領館佐野浩明首席領事、安部順二ブラジル連邦議員、飯星ヴァルテルブラジル連邦議員、西本エリオサンパウロ州議員、そして野村アウレーリオサンパウロ市議員たちの威厳に満ちた存在によって、出席者の期待をはるかに上まわるものとなりました。 池田昭博氏は勲三等旭日中綬章を、志村豊弘氏は勲五等双光旭日章を、マウリシオ・デ・ソウザ氏は勲四章旭日小綬章を受賞されました。 日本政府を代表して佐野首席領事が挨拶の言葉を述べました。受章者3名を“先生”と呼び、彼らに対する親愛の気持ちと彼らの業績に対する深い敬意の念を表現した佐野首席領事。「ブラジル日系社会経済活動の先生である池田氏、ブラジル日本文化の先生であるマウリシオ・デ・ソウザ氏、そして日伯地域交流の先生である志村氏に心からの賛辞を呈したいと思います。」会場にいたすべての出席者はこの言葉に心から賛同し、拍手によって祝福の思いを表しました。 池田昭博氏はその挨拶の中で、1958年にアルバレス・マシャド地方から意を決してサンパウロに出てきた時のことをふり返り、「いつの日か自分が日本政府からこのような非常に名誉な章をいただくことになるとは想像すらしなかった」と語り、感無量の思いを表現されました。 池田氏によると、「旅の終わり」におけるこの受賞は「良い学校で勉学に励んできたことと良い仕事仲間に恵まれてきたことの結果、ブラジルと日本の関係における歴史的な瞬間に居合わせることを許してくれた状況の結果」だそうです。サンパウロに移住し、異なる環境の中で人生を成功させるのは決して容易なことではなく、池田氏は相当の苦労と努力をされてきたに違いありません。それでも、今まで自分を取り囲んできた人々や状況や時代への感謝の気持ちを決して忘れない池田氏。感謝の念を持たない利己的な人々が多い今の時代において、本当に“先生”と呼ばれるにふさわしい、広い視野を持った謙虚な方ではないでしょうか。 マウリシオ・デ・ソウザ氏は受賞の感謝を述べた後、幼少期のブラジル日系社会との密接な共存が自分の人生観を形作るうえで非常にプラスになったことを強調されました。「日系社会のシステムや習慣、日本人の誠実さ、高潔さ、美しく多彩な言葉遣いにいつも感心していました。だから日系人であるアリセと結婚しました!」とのマウリシオ氏の言葉は、会場内の日本人としての誇りを持つ人たちすべての心をばっちりつかみました。 ブラジル日本移民100周年記念マスコット“チカラ”と“ケイカ”を創作する機会を与れたことの喜びを強調したマウリシオ氏は、「日本とブラジルという二つの国とそれぞれの文化がさらに交流を深めていくことに今後も貢献したい」という心強い言葉を述べてくださいました。 志村豊弘氏はそのスピーチの中で、「福祉の分野に献身できたのは、18歳のときに父親から『社会のために尽くしなさい』と言われたことから。父親に負けないようにと思いながら50年やってきた」と述べて、自身の忘れられない思い出を明かしてくださいました。 現代の若い世代も、日系社会の中で必死に生き抜いてきた自分と同じ精神を抱いて、困難に面してもあきらめず、大きな壁にぶつかっても高い志を失わずにたくましく生きていってほしい。生来の能力ではなく、そういう力強い姿勢こそが社会への貢献につながる・・。そんなメッセージを、志村氏は伝えたかった、感じ取ってほしかったのでしょう。 このように、式典は単なる表彰式ではなく、出席者の心を揺さぶり、未来のために今を一生懸命生きるよう訴えかける、まさに“先生”たちからの有難いお言葉をいただく場となりました。今後もブラジル日系社会から、とりわけ今の若い世代から、将来の“偉大な先生”が現れることを願い、祈りたいと思います。

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秋の叙勲祝賀会:偉大な3人に心からおめでとう!!

1月28日火曜日19時半より、日本政府によって平成25年秋の叙勲に輝いた偉大な3氏を祝う盛大な記念パーティーが文協貴賓室にて行なわれました。 経済学者の池田昭博氏は勲三等旭日中綬章を、事業経営者の志村豊弘氏は勲五等双光旭日章を、漫画家・事業家のマウリシオ・デ・ソウザ氏は勲四章旭日小綬章を受賞されました。 厳粛な式は34のブラジル日系社会財団共同経営者によって奨励され、受賞者の家族や友人たちも喜びを分かち合うために出席し、会場はとても感動的な空気に包まれました。 筆者がとりわけ日本の方々に知っていただきたいのは、今回唯一ブラジル人受章者となった漫画家のマウリシオ・デ・ソウザ氏です。筆者も会場にいて御本人と直に挨拶することができましたが、とてもフレンドリーで明るい人でした。 日本ではそこまで知られていませんが、彼の作品「モニカと愉快な仲間たち」(筆者がタイトルを日本語に訳してみた)は、ブラジルの国民的漫画で、どの年齢層においてもブラジル人なら知らない人はいません。このモニカの人気があり過ぎるためにブラジルではディズニーキャラクターの人気がいまいち出ないと言われているほどです。 筆者は純粋な日本育ちなのでモニカ漫画のすごさを分かっていなかったのですが、「明日の式にマウリシオ・デ・ソウザさんが来るんだよ」と言ったら、ブラジル人の妻や小さな子供たちは大興奮して、「わたしも行きたい!」とか「写真とってきて!サインもらってきて!!」とこれはすごい騒ぎで、これで筆者も漫画モニカの“すごさ”を知りました。 そんなマウリシオ・デ・ソウザ氏がなぜ日本の天皇陛下からの章に選ばれたかというと、彼の作品“モニカ”の中で日本文化を広めることに貢献したからです。では、なぜブラジル人である彼は日本文化を伝えることができたのでしょうか。 実は彼が幼少時代を過ごした“モジ・ダス・クルーゼス”市は日系人が非常に多く、子供の頃から学校などで日本人の友達からたくさん影響を受けたそうで、そのうえなんと彼の奥さんは日本人なのです。 偶然か必然なのかは神のみぞ知るといったところですが、こうしてブラジル日系社会が織りなす興味深く感慨深い歴史ストーリーから誕生したのが、漫画モニカ作者マウリシオ・デ・ソウザ氏の今回の受章なのです。 これを機に是非みなさんも漫画“モニカ”を読んでみるのはいかがでしょうか。ブラジル文化を、そしてブラジル日系社会を楽しく学べること間違いなし!!

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剣道・卓球

文協体育館での剣道・卓球のレッスン 料金表 入会手続き R$ 25,00 月謝 (15歳以上) R$ 25,00 月謝 (15歳未満) R$ 20,00 施設使用料 (15歳以上) R$ 25,00 施設使用料 (15歳未満) R$ 20,00 以下の方々には、入会手数料と月謝の割引があります。 会員とその子弟(15歳まで)は10%割引。 家族3人の場合20%割引。 家族4人の場合 25%割引。 剣道は正式入会前に、3度無料体験を行います。 その後、指導者が正式な入会の可否をお知らせます。入会後は用具の持参が必要となります。用具を購入希望の方は指導者とご相談ください。 卓球は平日には指導者が付き添いますが、土曜日は自主練習となるため 施設使用料がR$5,00となります。ラケットをお持ちください。 お問合せ: (11)3208-1755 / bunkamatsuri@bunkyo.org.br  アウロラまで レッスン時刻表 剣道 火曜日 木曜日 土曜日 19時半~21時半 19時半~21時半 10時~12時 卓球(夜の部) 水曜日 金曜日 土曜日 19時半~21時半 20時半~22時半 14時~18時 卓球(午後の部) 水曜日 金曜日 土曜日

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井料堅治さん 初七日ミサのお知らせ

5月4日に老衰のためお亡くなりになった井料堅治さん(享年91)の初七日ミサが行われます 【日 時】5月11日(木)18時30分~【場 所】Paróquia São Francisco de Assis R. Borges Lagoa, 1209 – Vila Clementino, São Paulo – SP ご冥福をお祈りいたします 関連記事 – 訃報:井料堅治氏

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第15回文協総合美術展 – 4月1日より応募作品受付開始

文協総合美術展は、文協の美術委員会および工芸委員会によって、新人作家の育成と新進作家の発掘を目的に2007年から開催されています。昨年開催された第14回目の同展では、400を超える作品の応募作品の中から147名のアーティストによる279作品が選出され、文協文化ホールにて、それらの作品が展示されました。 本年度の第15回文協総合美術展は、ProAC(サンパウロ州文化活動プログラム)の支援を受け、10月に開催する予定です。それに向けた作品募集の受付は4月1日から開始、6月4日が受付最終日となります。 応募要項などの詳細については、3 月に、文協Web サイト (www.bunkyo.org.br) にて公開します。 お問合せ:工芸部門:artekoguei@bunkyo.org.br美術部門: artesplasticasbunkyo@gmail.com TEL: 文協事務局11 3208-1755 (担当-アウローラ) 2022年度 第14回文協総合美術展の作品は以下の通り。(画像をクリック)

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第66回パウリスタ賞授賞式

写真:第66回パウリスタ表彰の受賞者 ブラジル日報協会(林隆治会長)主催の「第66回パウリスタ賞授賞式」が3月4日、文協大講堂で開催され、38名が栄に浴しました。この「パウリスタ表彰」は、1956年、現在の邦字新聞である「ブラジル日報」のルーツともいえる今は無きパウリスタ新聞が、勝ち負け抗争によって分断状態にあった日系社会の融和を図ることを目的に、同紙創刊10周年記念事業として立ち上がりました。 写真:お祝いの言葉を述べるゲストとして出席した石川レナト会長 開始当時は「農民賞」「文学賞」「スポーツ賞」の3部門から、それぞれの分野の発展に貢献した日系人を表彰していました。時代の変遷とともに、「スポーツ賞」はそのままで、現在は「社会功労賞」「文化功労賞」となり、対象範囲も拡大されました。 文協関係者の中からは、今回、以下3名が受賞しました。おめでとうございます! 文協第一副会長 西尾 ロベルト 義弘 氏 南米銀行やホーワ工業に勤務。元クレスル(Creasul)取締役。元南米銀行取締役。元レイテ・トスト・バロス法律事務所弁護士。現ブラジル日本文化福祉協会(文協)の第一副会長。法務委員長。ブラジル日本移民史料館運営副委員長。宮坂国人財団理事長。伯日文化社会統合協会会長。サンタクルス日本病院審議員。日伯文化連盟評議会書記。旧南米銀行関係者の懇親団体である「なぎさ会」審議会員。日伯比較法学会評議員。ブラジル日系ゴルフ連盟副会長。伯日文化社会統合協会を通じた日系社会への支援の他、文協や移民史料館への貢献が評価され、2018年12月、日本政府より2018年の外国人叙勲「旭日双光章」を受勲。2019年4月、サンパウロ市議会から「パウリスタ名誉市民賞」を受賞した。(ブラジル日報より) 文協前会長 呉屋 新城 春美 氏 元ブラジル日本文化福祉協会(文協)会長。ブラジル沖縄県人会理事。沖縄県生まれで1958年、家族とともに来伯。1977年、バレットス中央教育大学建設エンジニア学科卒業。1986年に公務員試験合格。マリオ・コバス政権時に、サンパウロ州税務局の情報技術部門の創設に尽力した他、局長補佐などを務めた。1990年、JICA研修生として訪日。元JICA研修生OB会長。ウチナー民間大使。(ブラジル日報より) 第1常任理事 ウエダ マサミ 氏 1969年サンパウロ市生まれ。ゴルフ歴40年。文協第1常任理事。2015年からファゼンダ・ダ・グラマ・ゴルフ&カントリークラブ理事。幼少期からアルジャーゴルフクラブで、様々な大会に参加した。(ブラジル日報より)

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訃報:井料 堅治 氏

獣医として活躍した井料堅治さん(鹿児島県出身)が、5月4日の20時30分に老衰のためお亡くなりになりました。91歳でした。 去る2004年に、当時の小泉純一郎内閣総理大臣がご来伯された際に、1200人で埋め尽くされた文協大講堂での歓迎会の挨拶の中で「私にとってブラジルは外国ですが心情的には一番近い国なんです。」と話し、その理由として小泉首相が十代の時に親交が厚かったいとこの井料堅治さんがブラジルに移住したことを説明、「キャッチボールや勉強を教えてもらった。私にとって兄のような存在。いつかブラジルに行ってみたいと思っていた。」と話されました。それもあり、同氏は、文協では評議員会役員を務めるなど日系社会に対する貢献はもちろん、小泉純一郎元内閣総理大臣のいとことしても広く知られていました。 2023年5月5日(金)モルンビ墓地にて葬儀 午後3時に埋葬住 所: Rua Deputado Laércio Corte, 468 – Morumbi – São Paulo – SP 心よりご冥福をお祈りいたします

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四十九日法要のお知らせ:丹下セツ子先生

丹下セツ子先生 四十九日法要のお知らせ ブラジルで「丹下セツ子太鼓道場」を創設するなど日系社会の芸能分野において多大な貢献をされた丹下先生の四十九日法要が行われます  日 時:2023年5月7日(日)15時~ 場 所:文協ビル2階 貴賓室 丹下セツ子先生の記事はコチラ

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追悼:秀島 マルセロ 氏

文協の第二副会長の秀島マルセロ氏が、2023年2月1日の夜、共同経営するAlfa Alimentosの仕事から帰宅後、心臓発作により、自宅でお亡くなりになられました。53歳でした。妻と娘さんとの3人家族でした。 通夜は2月2日の14時~22時と3日の午前6時~午前8時、文協文化ホールにて行われました。(R. São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo 文協ビル地下1階) 葬儀は2月3日午前11時より、Jardim Horto Florestal墓地にて行われました。(Rua Luiz Nunes, 111 – Parque Ramos Freitas – SP) 秀島マルセロ氏 移民一世とは違い、日系社会に対して関心が薄くなりがちなブラジル生まれの日系人青年らを、上手くまとめていたのが青年時代の秀島氏でした。その人望と手腕を必要とした文協は秀島氏を招き入れ、早速秀島氏は、1997年の文協青年部の発足に際して、主導的役割を果たしました。その活動を軌道に乗せた後の2005年、今度は35歳という若さで文協の副会長に抜擢され、活動の幅を広げました。 以下、2006年11月25日に、文協貴賓室で行われた「文協創立50周年記念座談会」の冒頭に行われた参加者の自己紹介から抜粋します。 秀島マルセロ、36歳で既婚です。私の文化団体での活動は、 ツクルヴィ協会の日本語学校へ入った9歳の時から始まります。16歳でこの協会の青年会長になり、 イベントや各種競技の組織づくりを活発に行ない、 同協会の会長になりました。そして当時15団体を擁していたサンパウロ北部連盟に参加しました。統合こそ日系人の交流を促進し、 強化する手段だと考えるので、これは極めて重要な経験でした。ただ北部地区だけだったため他地区の団体は知りませんでした。そこで友人のグループとサンパウロ慈善インテルカイカンを設立しました。1994年にはサンパウロ各地にある11団体を集め、それが大きな交流の方法であると考え、1995年には16団体、スポーツ、文化、慈善など様々な部門の青年 1,200名をまとめました。1996年のイベント開催において、寄付のための食料品を19トン集めたときは最高の喜びでした。その後、林アンドレさんがいた文協の日系団体再活性化委員会に呼ばれ、議論したときに、将来の再活性化について、この委員会が所属している文協自体に青年がいないことを大いに話し合いました。そのため当時の山内会長は青年文協、現在の文協青年委員会を創立するため、 あらゆる支援をして下さいました。1997年のことで、当時の青年文協は青年団体リーダーたちの集りで、アイデアを交換する場でもありました。この交流は極めて健全であると考えたので1999年に役員になったとき、 ABEUNI、ASEBEX、 青年会議所、 文協青年委員会と慈善インテルカイカンの5団体の会長で、これらの団体を統一し、 それぞれのメンバーの育成を一層強化し、 共同活動を通じて日系社会および社会一般のために何かを促進するグループを結成するアイデアが生まれました。このアイデアの推進者であった林アンドレさんは、文協の政策を議論するため、 ABEUNI、 ASEBEX、青年会議所と青年文協を召集し、 私も再活性化委員会のメンバーとして参加しました。こうして結成したG5の統合は極めて重要であったと思います。2000年には5団体の会長が集って連合会を作り、 現在まで続いています。この間、 私は希望の家※に呼ばれ、 その第1副会長ををしており、 文協、 交流協会にも参加しております。 ※重度知的障害者が入居する福祉施設「希望の家福祉協会」         (2007年4月発行 ブラジル日本文化福祉協会創立50周年記念「文協50年史」より抜粋) このような秀島氏を、誰もが、近い将来、ブラジル日系社会全体を牽引する指導者になるだろうと信じて疑いませんでした。 その秀島氏の、突然で、そして早すぎる逝去の報は、日系社会全体にどれ程の衝撃と悲しみを与えたかは、言うまでもありません。 急遽開催した文協文化ホールでの通夜には、次から次へと届けられた77基の花輪で会場が埋め尽くされました。そして弔問客も途絶えることがなく、約1000人※が来館し、秀島氏との最後の別れのひと時を持ちました。※受付で記帳した方々は約600名ですが、記帳のために大勢の人々が並んでいたため、記帳をせずに帰られた方も沢山いらっしゃいました。また家族で来られた方は殆どが代表者1名のみの記帳でしたので、弔問客はゆうに1000人は超えていると推測します。

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ブラジル日本青年会議所 新会頭に照屋ウーゴ氏

写真:左から照屋ウーゴ新会頭 , 関口ひとみ文協顧問 , 岩本レアンドロ前会頭 ブラジル日本青年会議所(JCI Brasil-Japão、JCIBJ)は、2月13日に「2023年役員就任式」を文協貴賓室で開催、照屋ウーゴ新会頭(三世/34歳/弁護士)の就任を、集まった150人が祝しました。 照屋ウーゴ氏は、2010年に沖縄県人会ビラカロン支部の青年部のリーダーを務めて以来、日系社会とのつながりを維持しています。もともとサンパウロ大学生援護連盟(ABEUNI-Aliança Beneficente Universitária de São Paulo)※で活動しており、ブラジル日本青年会議所には2014年から所属。文協には、2019年から文協青年委員会の活動に加わるようになり、現在は文協理事会の専任理事を務めています。 ※ABEUNIは、50年代から活動していた日系医学生を中心とした「ABENIBRA」(日伯援護協会の大学生支部)が前身となる団体で、サンパウロ州の貧困地域、孤児院などで医療や教育のボランティア活動を行っている。前身のABENIBRAでは、日系人に対して無料健康相談を行っていたが、その枠を取り払いサンパウロ州全土の住民へとその対象範囲を拡大した。また、日系の医学生が中心だった活動メンバーの枠も広げ、学生もしくは学位取得者であればどの分野の専攻でも参加できるようになった。 照屋ウーゴ 新会頭 所信表明 新任の挨拶にたった照屋新会頭は、まず、前年度の岩本レアンドロ会頭とその執行役員らの労をねぎらい感謝の言葉を述べました。 そして、前執行役員が開始したプロジェクトを今後責任を持って展開していくと話しました。 また、日系団体およびスポンサーとの関係強化を図り、その上で、ブラジル日系団体とつながりのある学校との共同行動を模索し、次世代を率いる青年層のリーダーシップ資質向上のために、弁論練習の重要性を学校関係者に認識させる活動をしていきたい、と述べました。 また、会場に駆け付けた両親に対しては、夢を実現し続けられるよう常に最高の環境を提供するために努力してくれたことに、また、婚約者であるタミレスさんに対しては、いつもそばで励ましてくれることに対し、心からの感謝の意を表しました。 写真:左から婚約者のタミレスさん , 父親のイサオさん , 母親のマサコさんとウーゴ新会頭 そして最後に、照屋新会頭が兄のように慕っていた、2月1日に急逝した秀島マルセロ氏が、生前、常に語っていた言葉を引用し、所信表明を締めくくりました。 ベストを尽くそう! どんなことでも、簡単なことでも、常にベストを尽くそう。 どんな簡単な仕事でも、どんなことでも、常にベストを尽くそう!

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