報告:海上自衛隊練習艦隊ご来伯

8月27日の午前、文協大講堂において、日本の海上自衛隊練習艦隊「かしま」「しまかぜ」の実習幹部の皆様を歓迎する式典が行われました。 

この交流は、1965年8月31日、海上自衛隊練習艦隊「あきづき」「てるづき」「ゆうだち」「むらさめ」の四隻、隊員1,200名がサントスに入港したのを皮切りに、現在も続いています。

1965年は、日伯修好通商航海条約締結70周年を記念する年であり、本年は同約締結130周年という節目でもあることから、ブラジル日系社会は、より大きな喜びを持って到着を待ちました。

写真 (サントス市役所 : 日本の海上自衛隊の艦船が訓練のためサントスに寄港 / サントス海岸で清掃活動 / 練習艦「かしま」と練習艦「しまかぜ」

まず、海上自衛隊練習艦隊「かしま」「しまかぜ」は、8月24日にサントス港に入港しました。

入港初日は公式行事に加えて、在サンパウロ日本国総領事館と練習艦隊が主催する、招待客を対象とした艦上レセプションが行われました。

翌日には、乗組員たちがサントス海岸で清掃活動やサッカー交流試合に参加し、また一般市民に向けて『かしま』艦内を公開する時間も設けられました。

写真 (Jornal Brasil Nikkei): 招待客による艦上レセプション

8月26日、27日はサンパウロ市での活動に充てられました。

26日の午前中には、日伯両国の海軍楽隊による合同音楽会がイピランガ博物館で開催されました。
午後には、サンパウロ州柔道連盟の選手たちとのスポーツ交流、夜にはサンパウロ州剣道連盟の代表者たちと交流しました。

写真 (Jornal Brasil Nikkei) : イピランガ博物館にて

27日の早朝、イビラプエラ公園内の「日本移民開拓者記念碑」を訪れ、献花を行いました。

午前10時30分からは、練習艦隊の実習幹部193名が文協大講堂に集まり、ブラジル主要5団体の主催による歓迎式典が行われました。

写真 (Jornal Brasil Nikkei) : ブラジル日本文化福祉協会・大講堂

式典には、海上自衛隊練習艦隊司令官 渡邉 浩 海将補、同司令部首席幕僚の大矢 実 一等海佐、練習艦「かしま」艦長の池田 忠司 一等海佐、練習艦「しまかぜ」艦長の小城 賢一一等海佐、そして実習幹部193名が出席しました。

また、在サンパウロ日本国総領事館の清水 享総領事および、日系主要五団体、ブラジル日本文化福祉協会-文協の西尾 ロベルト 義弘会長、サンパウロ日伯援護協会-援協の税田 パウロ 清七会長、ブラジル日本都道府県人会連合会-県連の谷口 ジョゼ会長、ブラジル日本商工会議所の羽地 貞彦会頭、日伯文化連盟の竹田 クラウジオ 勇会長 が日系社会を代表して歓迎の意を表しました。

司会は文協の福原カルロス副会長と、日伯文化連盟アリアンサの日本語教師小貫タイナ氏が担当しました。 (Foto 1)
両国歌斉唱のあと、ブラジル海軍第8管区のブルーノ軍曹のラッパの合図で、戦争で命を失った人々やブラジル日本移民先駆者に対して一分間の黙祷をささげました。(Foto 2).

ブラジル日本文化福祉協会 西尾ロベルト義弘 会長挨拶

ブラジルの日系諸団体を代表して歓迎の挨拶に立った文協の西尾会長は、「ちょうど本年、日伯修好通商航海条約締結130周年を祝賀しておりますが、この条約により、ブラジルにおける日本移民の歴史が始まったといえます。同条約により、ブラジルの港に日本船の寄港が可能となりました。その13年後の1908年6月18日、最初の日本移民781名を乗せた笠戸丸がサントス港に着岸しました。」と述べました。

そして、117年を経た今日、ブラジルの日系人口は約270万人と推定され、ブラジル社会において重要な一角を成していると話しました。日系人は、農業だけでなくあらゆる分野で目覚ましい貢献をし、ブラジルの発展に大きく寄与し、2007年から2015年まで、空軍を指揮したサトウ・ジュンイチ空軍中将を筆頭に、陸・海・空からなるブラジル軍部にも、予備役を含め、約25人の日系人将官がおり、皆、優秀な軍人として高く評価されていると説明しました。

西尾会長は、次の言葉で挨拶を締めくくりました。

「今回私たちを訪ねてくださった若き実習幹部の皆さまが、いかなる侵略に対しても祖国を守る覚悟を常にお持ちであることは十分承知しておりますが、皆さまが訓練を通じて得たすべての経験が、世界の平和のためだけに用いられることを心から強く願っております。そして、「かしま」、「しまかぜ」の皆さまが、ここブラジルと同じように、寄港するすべての国において、常に「友好の使者」として迎えられ、音楽や温かいもてなし、花束、喜びに満ちたご歓迎を受けることを願ってやみません。」

式典では、清水享在聖総領事(foto 3)および海上自衛隊練習艦隊司令官 渡邉 浩 海将補(foto 4)による挨拶も行われました。

式典の最後にブラジル日系5団体を代表して、援協の税田会長より、花束が贈呈されました。 (foto 5)。
万歳三唱は、県連の谷口会長の発声により行われました。

式典の後は、日系歌手の平田ジョーエ氏、パメラ・ユリエ氏、トヨタ・イサ氏によって「ふるさと」と「川の流れのように」が披露され、会場を盛り上げました。(foto 6)

式典の前には実習幹部193名全員が、式典の後には指導者らが、ブラジル日本移民史料館を見学しました。

式典の後、実習幹部らは各県人会幹部とともに、それぞれの昼食会場へ移動し、交流を楽しみました。

今回式典に参加した出身県別実習幹部生
北海道(2名), 青森(7名), 岩手(2名),宮城(1名),秋田(1名), 山形(1名),福島(5名),茨城(4名), 栃木(3名), 群馬(2名),埼玉(10名), 千葉(14名),東京(25名), 神奈川(18名),新潟(4名), 富山(2名), 石川 (3名),福井(2名), 山梨(4名),長野(1名),岐阜 (3名),静岡(5名), 愛知 (9 名),三重(2名), 京都(7名), 大阪(11名), 兵庫(11名), 和歌山(1名), 島根(1名),岡山(2名), 広島(9名), 山口(5名),香川(1名), 愛媛(3名), 高知(1名), 福岡(2名), 佐賀(1名), 長崎(1名), 熊本(1名),大分(1名), 宮崎(3名), 鹿児島(2名), 沖縄(4名),タイ国(1名)

この当日の交流会に先駆けて、実習幹部30名は、県人会会員の家にホームステイをするなど、親交を深めました。

関東ブロック(東京都、群馬、埼玉、茨城、千葉、栃木)と宮城県は、文協からすぐ近くに位置するマンションのパーティーサロンにて実習幹部約80名を招き、ブラジルの代表的な料理であるフェイジョアーダを振舞いました。食事のあとは、4台のバスで、イピランガ博物館へ向かいました。
近畿地方の実習幹部の皆さんは、和歌山県人会館で昼食をとり、カラオケで交流を深めました。

その他県人会の多くは、実習幹部の皆さんをブラジル風焼肉のシュハスカリアへ招待していました。その他、市中心部のサンタンデール展望台に案内する県人会もありました。

文協での歓迎式典の前日26日は、ブラジリアの大使公邸において自衛隊創立71周年自衛隊記念日レセプションが開催され、渡邉浩練習艦隊司令官が出席されました。

詳細:在ブラジル日本国大使館サイト - 自衛隊記念日レセプションの開催(8月26日)

ニュース

報告:筑波大学が石川レナト氏に筑波大学名誉博士号を授与

2026年2月9日、文協貴賓室には、日本の筑波大学の永田恭介学長をはじめとする大根田修副学長、福重瑞穂教授といった筑波大学関係者の錚々たる顔ぶれが揃いました。 今回の来伯は、筑波大学による「日本留学海外拠点連携推進事業(Study in Japan)」の南米拠点活動10周年記念式典開催のためでした。 滞りなく式典が進行され、コーヒーブレイクを挟んだ後、満を持して永田学長が、石川レナト文協名誉会長の登壇を促し、主催者である筑波大学によって準備されていた『サプライズ』が始まりました。そのサプライズとは、石川氏に対し、筑波大学名誉博士号を授与するというものでした。

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報告:石川レナト第13代会長プレート除幕式

写真左から:平野文協副会長,西尾文協会長,石田オルガ夫人,鈴木在聖総領事,野口在駐大使,石川レナト名誉会長,在浜松ブラジル国総領事館アルデモ・ガルシア総領事 2026年1月23日、文協理事会メンバーおよび文協地方理事らに加えて、野口泰駐ブラジル日本国大使、在サンパウロ日本国総領事館の鈴木誉里子総領事、ブラジルに帰国中であった在浜松ブラジル総領事館のアルデモ・ガルシア総領事といった来賓も出席する中、現文協名誉会長である石川レナト氏の会長在任期間を記念するプレート(銘板)の除幕式が執り行われました。 会長室には、歴代の文協会長を称えるギャラリーがあり、鋼鉄製のプレートが設置されています。プレートには会長の写真だけでなく、その任期中に理事会を務めたメンバーの名前も刻まれています。今回の式典の主役である石川氏は、2019年4月から2025年4月までの計三期にわたり、会長を務めました。 文協の西尾ロベルト義弘現会長は、組織の基盤を築き発展させてきた歴代会長たちを称えることの重要性を語るとともに、名誉会長である石川レナト氏のこれまでの献身的な功績を高く称えました。 続いて石川名誉会長は「6年間の任期中、若者の参加を促すこと、そしてここブラジル国内、ラテンアメリカ、日本の関連団体や人々との連携を強化することを最優先に考えてきました。」と語りました。そして、晴れやかな笑顔で「非常に濃密な6年間でした。今ではもう、あの頃が懐かしく感じられます。」と付け加えました。

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