

2025年6月20日午後、病気療養中であった文協元会長(第12第会長 /2015~19)の呉屋 新城 春美 氏 ( 沖縄県出身 ) が逝去されました。享年72。
通夜は6月21日、深夜の午前1時から早朝の午前8時まで、サンパウロ市ベラ・ヴィスタ地区のフネラルホーム 376 にて執り行われました。
葬儀および埋葬は同じく6月21日、16時より、サンパウロ州オウリーニョス市の市営墓地(Cemitério Municipal de Ourinhos)、Rua Gaspar Ricardo s/n, Vila Nova Sá にて行われました。
文協初の女性会長 呉屋 新城 春美 氏
呉屋元文協会長は、沖縄県で生まれ、5歳の時に家族と共にブラジルへ渡りました。
コーヒー農場での仕事に勤しむ家族を手伝いながら、徐々にポルトガル語を習得し、大学はバヘートスのエンジニア大学の土木工学に入学。卒業後の1986年にサンパウロ州政府税務局の試験に合格し、財務代理人として務みました。
マリオ・コーバス政府(1995~2001年)の1998年に情報技術部門を設立し、2000年には、当時のサンパウロ州財務長官・中野好明教授の右腕として活躍し、サンパウロ州財務局の技術部門の調整を担当。同局の運営において貴重な改革と近代化を実現し、2013年に引退しました。
呉屋元会長は、こういった聡明さに加えて、いつも笑顔で、親切で、そして寛大、さらに非常に献身的で情熱的な意志の持ち主でした。
呉屋元会長の美点は数え切れないほどありました。
上品で洗練された雰囲気を持ち、料理やいけ花の腕前もひときわ優れていました。
また、故郷である沖縄を大切に思う気持ちが強く、文協での活動に合わせて、ブラジル沖縄県人会においても理事として活躍、2000年には、沖縄県ウチナー民間大使に任命されました。
何より、当時まだまだ男性中心であったブラジル日系社会において、その中心的機関である文協に初の女性の会長として呉屋氏が就任し、それまでの流れを変えた歴史的な出来事として記憶されています。
またそれだけでなく、呉屋元会長はABJICA(JICA研修員同窓会)の初の女性会長も務めています。
ブラジル、そしてブラジル日系社会への献身と功績を称える祝賀会


昨年の2024年9月、ブラジル沖縄県人会館において、約300名有志が集まり、呉屋元会長の祝賀会が開催されました。これは、日本政府より授与された「旭日双光章」の受章を祝うものでした。
この式典は、呉屋元会長の資質を称え、特にブラジル日系社会における功績と遺産をたたえる場となりました。
当時文協の副会長であり、現在の文協会長である西尾ロベルト義弘氏は挨拶の中で、呉屋氏が理事会の構成において見せた強い意志について言及しました。「当時の社会にはまだ男尊女卑の名残があり、文協も例外ではありませんでした。しかし、彼女は自分のやり方で、自分の理想と目的に沿った理事会を築き上げることに成功しました。」と語りました。
呉屋元会長の任期中の2015年には、日伯修好通商航海条約樹立120周年を記念してご来伯された当時の秋篠宮両殿下を、さらに2018年には、ブラジル日本移民110周年を記念してご来伯された当時の眞子内親王殿下を、2度にわたり、ブラジル日系社会を代表して奉迎する大役をこなしたことも特筆すべき出来事です。
文協会長を退任する際に、4年間を振り返り、呉屋元会長は次のように話しています。「多くの人が想像するのとは異なり、女性であることによる特別な扱いは感じませんでした。常に皆さんから敬意と配慮をもって接していただきました。」
呉屋新城春美元文協会長の長年にわたる献身に対し心より感謝申し上げます。
ご冥福をお祈りいたします。
2024年9月の祝賀会での呉屋元会長の挨拶文全文
みなさま、こんばんは。
本日、天皇陛下の御名において、私が、日本政府より賜わりました栄誉を、このように、たくさんの先輩方や、友人、家族があつまり、祝 賀してくださることに対し、感謝の気持ちで、胸がいっぱいです。
このたび、「令和5年春の叙勲」において、「 旭日小綬章」を賜るという名誉を得ましたのも、ともに歩み、ささえてくださった皆さまのおかげでございます。
さて、私の人生における、転機のひとつは、2003年、上原幸啓先生より文協の理事会に参加するよう、お誘いを受けた時だといえます。
先生は、樋口トモコ氏を、文協初の女性副会⾧に任命するなど、女性の視点を重んじる方でした。そして「いつか、女 性が、この団 体の 会⾧になるのが、私の夢だ」と、まるで、マントラのように、くりかえし 話されていました。
そのような 先 生の 後押しを うけ、私は、ブラジル日 系社 会で重要な役割を果たしている 文協 において、初の 女性会⾧を拝命する栄誉に恵まれました。 幸いにも、一部の人が想像していたのとは異なり、私は、「女 性である」という理由で、差別的な扱いをうけたことは 一度もなく、常に、まわりの皆様から、敬意をもって 接していただきました。
私が、 会 ⾧をつとめた、2期、2015年から 2019年は、多岐にわたる活動で、たいへん 忙しく、しかし、やりがいのある 日々でございました。
その中でも、日本とブラジルの 関 係を深めるうえで、2つの重要な ことが、ございました。ひとつは、2015 年10 月、「日伯外交関係樹立120周年」の記念式典の際に、秋篠宮さまと紀子さまのご訪 問を 賜ったことです。Ibirapuera 公 園の日本館をご案 内した際には、秋篠 宮さまより、「いままでに、何度も沖縄にいっていますよ」と、お言葉をかけていただきました。
今思えば、殿下がよく行かれていた場所を、たずねることもできたかもしれません。しかし、そのときは、感動するだけで、言葉がでませんでした。また、文協の移民史料館では、展示の楽器をみて 「これは沖縄の三線ですか」と、沖縄に 心を 寄せてくださっていることが 伝わり、大変うれしく思いました。
もうひとつは、2018 年の「ブラジル日本移民110周年記念式典」にご訪 問くださった眞子さまをご案内さしあげたことです。昼食時には、眞子さまの隣に座らせていただきました。「こちらからは、話しかけては いけない」という アドバイスを受けておりましたが、実は、守ることができませんでした。
式典のあと、眞子さまは着物から黄色い花柄のドレスに着替えましたが、そのドレスが あまりにもお似合いで美しかったので、おもわず「素敵ですね!」と お声をかけてしまいました。しかし、そのおかげで、 食事中の会話がとてもスムーズでした。眞子さまは沖縄のおどり、Hamatidori、Kanayou 、Nutibana を 習ったことがあると、お話してくださいました。皇室のみなさまが、沖縄の文化に心をよせて くださっていることを、大変うれしく思いました。
さて、文協の会⾧として、私は、日本政府が サンパウロに創設したJapan House の評議委員会のメンバーとして参加するという惠にもあずかりました。これは世界で最初に創設されたもので、大きな成功をおさめました。
もうひとつ、日本の有名な歌手である五木ひろしさん、橋幸夫さん、そして美川憲一さんをお迎えしたことも良い思い出です。彼らは、「平凡」や「 明星」という雑誌でよく目にしていた、あこがれの アイドルたちでした。
そのような芸能人と、文協の会⾧として、日系社会を代表し、ディナーに参加し、お話しできたことも、貴重な経験でした。あのころ、まさかこのようなことが、いつか 実現するとは考えてもおりませんでした。とくに、五木ひろしさんの歓迎夕食会が総領事公邸で開かれた際、五木さんに「まるで夢をみているようです」と言ったことを覚えています。すると、五木さんも「私も、こうして サンパウロにいるのが夢のようだ。」とこたえてくださいました。
もうひとつの重要な経験は、実行委員⾧として、数々の「ブラジル日本移民110周年記念事業」をやりとげた ことです。多くの人々や企業の協力のおかげで、私たちの先駆者への敬意を表する素晴らしいものと なったと思います。
文協の会⾧を退いた現在も、私は 「ブラジルいけ花協会」の副会⾧として、また 「ブラジル沖縄県人会」の副会⾧として、 日系社会への協力を継続 しています。
あらためまして、本 日、この場におこしくださった みなさまに、 心からの 感謝の気持ちを表したいと思います。
Curitiba, Cambará, Ourinhos, Itirapina, Campinas そして Santo André など、遠くから おこしくださった 私の親戚の皆さん、本当にありがとうございます。
忙しいなかおこしくださった、 私の大切な友人たちにも、 心から感謝申しあげます。
私の辞退にも かかわらず、このような心のこもった式典を計画してくださった 沖縄県人会の Takara Ritsutada 会⾧にも感謝申しあげます。
あわせて、Uehara Tério 副会⾧をはじめ、この式典の実現に向けて尽力してくださった理事会の皆さまにもお礼申しあげます。
また、この場をおかりいたしまして、私の人生において、大切な存 在であった方々に感謝の意を表したいと思います。
夫の Milton、あなたからは常に、無条件の支援を受けてきました。ありがとう!
私の兄弟姉妹を代表し、妹のMarie に心からの「ありがとう」をおくります。
また、私の亡き両親、そして私のいとこたちを代 表して、Makino Fumiko おばさんにも感謝いたします。
そして、 私のおさななじみ全員の代表である Quirie、ほんとうにありがとう!
最後にあと2つ、感謝の意を表したいと思います。
まずは、この名誉ある叙勲を賜りました日本政府に感謝申しあげます。
そして、何より、言葉に できないほどの、 貴重な経験をさせてくださった「ブラジル日本文化福祉協会 – Bunkyo」に、 心より感謝いたします。文協での経験は、私の人生に深みと、 輝きを、もたらしてくださいました。
本日は、どうもありがとうございました。