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慶応義塾大学法学部国際シンポジウム – サンパウロ 大学(USP)

3月13,14日、サンパウロ大学法学部(FDUSP)と伯日比較法学会(IDCBJ) は日本の慶応義塾大学法学部と共催して、「21世紀における法律の進展」というテーマのもとにKEIO-USP法学部国際シンポジウムを行ないます。入場は無料で、関心ある方はどなたでも参加することができます。 活動は民事訴訟法、国際法、裁判外紛争解決手続 – ADR、民法、法の歴史、消費者法の6つのパネルに分かれています。 慶応義塾大学からの招待講演者は日本語で話を行ない、ポルトガル語への同時通訳が行なわれます。プログラムの予定は次のとおりです。 2014年3月13日 – 木曜日 場所: サンパウロ大学法学部1階講堂 9h15 ~ 9h25 オープニング 9h30 ~ 12h30 民事訴訟法 パネル司会: Prof. Dr. Kazuo Watanabe (USP) 日本語アクションクラスの形成 講演者:三木浩一 (慶応) ブラジルにおける集団訴訟の現在と将来 講演者: Ada Pellegrini Grinover (USP) 討論 講演者: Susana Henriques da Costa (USP) 14h30 ~ 16h45 国際法 パネル司会: Dr. Tuyoci Ohara (IDCBJ)

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ワールドカップ日本人訪問者支援

2月28日(金)午前11時より、文協貴賓室にてブラジルワールドカップ日本人訪問者サンパウロ支援委員会が報道記者たちを招いて合同記者会見を開きました。在サンパウロ日本国総領事館の協力をいただき、ブラジル日本文化福祉協会・サンパウロ日伯援護協会・ブラジル日本都道府県人会連合会・ブラジル日本商工会議所・アリアンサ日伯文化連盟の日系5団体によって形成されるこの委員会は、ワールドカップ開催期間中に日本人訪問者を迎えるために計画している活動の詳細について説明しました。 会見で行なわれた発表の主な内容は、日本人訪問者の安全で快適な観戦ツアーを援助するために、ポルトガル語が話される当国において、ブラジルワールドカップ日本人訪問者サンパウロ支援委員会の公式サイトを通して日本語での情報を提供するというものです。 ブラジルワールドカップ日本人訪問者サンパウロ支援委員会公式サイト https://bunkyo.org.br/ja-JP/worldcup フェースブック https://www.facebook.com/worldcup.brazil.nikkey 広報・交流事業情報に関しては文協 緊急医療支援に関しては援協 緊急宿泊支援に関しては県連 翻訳通訳支援に関してはアリアンサ ビジネス経済情報に関してはブラジル日本商工会議所 安全治安情報に関しては在サンパウロ日本国総領事館が責任を持って提供。 NHK: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140301/k10015631491000.html

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三輪昭大使、任務全う!

昨夜(2月24日・月曜日)文協貴賓室にて、ブラジルでの勤務を終え、ご栄転のため日本に帰国される三輪昭日本国特命全権大使の歓送会が行なわれました。2010年8月から3年半、ブラジル日本大使として両国のために立派に勤務されました。 冒頭に、木多喜八郎文協(ブラジル日本文化福祉協会)会長が送別の辞の中で言及されたように、この3年半の間に三輪大使は数多くのことを成し遂げられましたが、その中でもとりわけわたしたちの印象に強く残っていることが二つあります。一つは、2011年3月11日に起きた東日本大震災の際の迅速かつ熱心な援助活動で、もう一つは、2012年3月に発効した日伯社会保障条約の締結です。前者は日本の被災者、そして日本全体をおおいに慰め、勇気づけるすばらしい働きでしたし、後者はブラジルに進出する日本企業の福利だけでなく、日本に在留する多くのブラジル人に対する社会保障の適正化を保障するもので非常に大きな意義がありました。3年半の任務期間に三輪大使は日本ブラジル両国民のために実に価値ある仕事を成し遂げられました。 いて、三輪大使への感謝状授与が行なわれましたが、手渡す時にブラジル日本商工会議所藤井晋介会頭が述べた、「温かい指導と温かい支援で二国を結んだ」という表現はとてもふさわしいものでした。なぜなら、最後に行なわれた三輪大使ご本人の挨拶にも、彼の優しい人柄がにじみ出ていたからです。「慣れ親しんだ」とか「さみしくなる」という三輪大使の口から何度となく出た言葉に、“日本大使という職務”への、また“ブラジルという国”への彼の《愛着と思い入れ》を感じずにはいられませんでした。また、「100年以上前から培われてきたものを大切にしたい、守りたい」という三輪大使の言葉は、ブラジル日本移民1世の人たちや日本文化に対する《深い敬意》の気持ちが表れていましたし、「ワールドカップの成功を心より祈っております」という言葉には、自分がこの国を去った後もブラジルや日系社会のことが気になって仕方ないという、父親が子供に対して抱く愛情のような《親心》が表れていました。 三輪大使が成し遂げたことを知っている人は日本国内においてもブラジル国内においても決して多くはないでしょう。でも、みなさんは新聞配達の人が自分の家のポストに新聞を入れていく瞬間を見たことがあるでしょうか。意外にあまり見る機会がないものです。朝起きたらポストに新聞が入っていて、それを取って読むというのが当たり前になっています。でも、配達の人は朝早く、まだ暗いうちに、暑い日も寒い日も、雨の日も雪の日も、毎日同じように各家のポストに新聞を残していきます。だからわたしたちは会社や学校へ行く前に新聞を読むことができます。大使の仕事というのはある意味そういうものです。大使が仕事している様子を目にすることは通常ありませんが、彼はわたしたちの知らないところで日本ブラジル二国の架け橋となって貴重な働きをしており、わたしたちはみなその恩恵に与っているのです。 日系社会がこうして三輪大使の歓送会を実現したことは、一人でも多くの人が三輪大使の3年半のご活躍を知る良い機会になりましたし、また、この記事を通してさらに多くの方々が三輪大使の働きを認識することができれば、喜ばしいことです。三輪昭大使、本当にお疲れ様でした!ブラジル日本両国民の幸福のための骨折りに心より感謝いたします。ありがとうございました!!今後のご活躍を一同もろともお祈りいたしております。

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国士舘:文協とマレットゴルフは譲渡契約を結ぶ

12月1日、文協(ブラジル日本文化福祉協会)と国士舘マレットゴルフ協会は使用権利の譲渡契約を結びました。日本の国士館大学によって設立されたサンパウロ州サンロッケ市国士舘大学スポーツセンターは1997年に文協に寄贈されましたが、文協は地域の活性化を目指して、58ヘクタールという国士舘大学スポーツセンターのこの広大な土地を他の団体や企業に譲渡して有効に利用してもらうことを計画しており、今回のマレットゴルフ協会への譲渡はその最初の試みとなります。 ブラジルでマレットゴルフを愛好する競技者は約1200人。日系人口の最も多いサンパウロを中心にその輪は広がりつつあるようです。今人気を集めているそのマレットゴルフ団体に正式に場所を提供することで、マレットゴルフ熱が勢いを増し、その競技者である日系社会とブラジル社会がさらに結びつきを強め、地域を活性化させていく。それが文協の願うところです。国士舘大学スポーツセンター内に所在するマレットゴルフ協会本部にて結ばれたこの契約は、国士舘大学スポーツセンター所有の敷地26.725 m²の法的譲渡手段確立のための、マレットゴルフ構成員による以前の返還請求の結果です。 スポーツセンターの正面入口側に位置するこの敷地は、地元住民のグループの一つがこの場所でマレットゴルフを楽しむようになった1999年以来、協会によって使用されるようになりました。 最近、国士舘本部ではみなさんにより快適に施設を利用していただくために環境を改善する様々な工事が行なわれており、豊かな木と芝で覆われたそれぞれが18コースを有する2つのマレットゴルフ場も創設されました。1年間の活動内容としましては、会員たちは毎週の練習(週末に重点を置いて練集中)に加えて、12の公式マレットゴルフチームを巻き込んだ地元トーナメントと地方選手権大会を行なっております。 使用権の譲渡契約は文協木多喜八郎会長と国士舘マレットゴルフ協会井上久弘会長によって結ばれ、契約期間は2013年12月1日からの25年間、つまり2038年までとなっています。契約はさらに契約20年目に当事者が契約を更新するか終了するかの旨を表明することを定めています。今年1月より、福沢明新会長がマレットゴルフ協会の指揮をとっています。

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日本移民史料館の最新化と便利さを追求

去る12月2日、文化奨励法(ルアネー法*)の適用が認可され、来館者がさらに利用しやすいようにブラジル日本移民史料館の展示スペースを最新のものとするリフォーム計画がブラジル文化省により承認されました。 ブラジルにおける日本人移民記録に関する最重要機関として認められているブラジル日本移民史料館は、車椅子利用者の通行を容易にするためにエレベーターを設置することや、展示コースに新しい技術を採用することを主体とした、総工費404.820,41レアルの企画を承認されました。 企画に基づいて、設備などを運ぶ業者や、年配の方のような移動に困難のある人たちの通行を可能にするためにビル8階と9階の間にエレベーターが設置されます。 また視界をよくするため展示エリアの照明が取り替えられ、壁の説明文や文章に点字が設置され、ポルトガル語・英語・日本語の3ヶ国語で音声案内システムが導入されます。企画はさらに、長い展示コース中にひと休みできるようにソファの設置や、双方向マルチメディアスタンドの設置、点字を添付した展示ルートのカタログ出版も視野に入れています。 史料館最新化と便利化のための総額徴収は12月31日(2013年)までに行なわれる予定でしたが、12月2日から20日足らずですでに全額に近い額が集められました。住友三井銀行が18万レアル、ヤクルトが10万レアル、さくら醤油が6万レアルの貢献をしてくれたのです。 日本移民史料館は、移民70周年祭の記念事業として1978年6月18日にオープンしました。当時の皇太子・明仁親王殿下(今上天皇)と美智子妃殿下(皇后様)、エルネスト・ガイゼルブラジル大統領(故人)によって開館されました。2015年の文協創立60周年に向けての文化空間プロジェクトの一つとして、移民史料館リニューアルを実現させたいと考えています。 史料館の建設は、日本人移民の苦労と成功を日系社会のみならずブラジル社会においても伝え、一人でも多くの人々に知っていただき、その貴重な歴史を保存することを目的とした、ブラジル日本文化福祉協会による事業でした。今後も同じ目的と思いで、文協は移民史料館の維持に努めてまいります。現在、展示エリアは1250m²の総面積を有し、さらに329m²の移民史料館収蔵庫・事務室があります。どうぞみなさん、ブラジル日本移民史料館をご利用ください。 *ルアネー法=企業が文化事業に所得税の一部を充てることが出来る寄付免税制度

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講演会「日系社会の活性化」3月6日19時~

 「日系社会の活性化」。今、ブラジル日系社会の“中”にいる人、またはブラジル日系社会の“近く”にいる人は、この言葉に目を奪われずにはいられないでしょう。なぜなら、現在の日系社会の現状を知っているあなたは、活性化の緊急な必要性を肌で感じているからです。 みなさんがご存知のとおり、1908年の笠戸丸を皮切りに日本人のブラジル移民の歴史がスタートしました。二度の世界大戦の後、1951年に日本とブラジルの国交が回復したことを受けて、ヴァルガス大統領は日本人移民の受け入れ再開を認め、1953年から移民の送り出しが再開され、日本政府による施策が行われたこともありブラジルへの移民数は年々増加し、1959年に日本人移民は年間で7000人を超え、延べ移民総数は13万人に達しました。この時点でブラジル日系社会は最盛期を迎えました。多くの日系人は大学を卒業し、ブラジル一般社会で大きな成功を収めました。 そして、最初の正式移民がブラジルに渡って100年を超えた現在は、日系ブラジル人6世も誕生した他、日系人以外のブラジル人と結婚するケースも増え、約140万人にのぼる日系ブラジル人は完全にブラジル社会に同化し、多民族国家であるブラジル社会に大きな存在感を示し続けています。この様な同化の流れを受けて日系コロニアは縮小したり、周辺地域と同化して消滅する傾向にあります。さらに日系人の中心地であったリベルダージにおける日系人の空洞化も顕著になり、いくつかの商店は後に来た中国系や韓国系の新移民に買い取られ、日本人街は東洋人街(Bairro Oriental)と名を変えました。 では、一体何が問題なのでしょうか。日系社会が減少・縮小していることが問題なのではありません。それは人類の歴史の流れの中で起きていることであり、誰かや何らかの団体が必死に努力したところでその流れを変えられるわけではありません。今問題となっているのは、その縮小しつつある日系社会が“活気”をなくしていることなのです。社会や家族の単位が小さくなるとそれまでの元気、活気、意欲が失われていくのは自然なことです。しかし、そうなるがままに任せておくなら、いずれ日系社会は抜け殻になってしまいます。日本の文化、伝統、精神という、1908年以来多大の努力と犠牲を引き換えに代々継承されてきた“1世からの相続遺産”は消滅し、日系社会というのは名前だけで実質のない存在となってしまうでしょう。 だからこそ今回行なわれる三木氏による「日系社会の活性化」というテーマのもとに行なわれる講演は、わたしたち日系社会を構成する者たちの注意を引き付け、日系社会の一部をなす者としての意識や生き方に良い影響を与えるものとなるに違いありません。人生の成功、日系社会の未来はあなたの“思考”にかかっているのです。 このタイムリーな講演会にみなさんをご招待いたします。 講演者のプロフィールをご紹介いたします。 1.名前:三木義男(69歳) 2.現職:価値創造経営研究所 代表 (コンサルタント会社) ・JICA委託業務KITA(北九州国際技術協力協会)のコースリーダー ・西日本工業大学非常勤講師 ・日本規格協会専任講師など 3.職歴:TOTO(株)業務改革推進本部 東和大学特任教授 KITAコースリーダー 4.コンサルタント実績:中小企業総合事業団、日本能率協会、日本規格協会、行政機関、中小企業、病院など 日時:3月6日(木)19時 会場:文協貴賓室 Rua São Joaquim, 381 Liberdade – SP (地下鉄サンジョアキン駅より徒歩5分。駐車場あり→Rua Galvão Bueno 540)

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祝・日本館60周年 記念行事その1.裏千家大宗匠を招待

日本人なら子供からお年寄りまで誰もが大好きなお茶。茶道とは湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為。また、それを基本とした様式と芸道のことです。 茶道といえば、みなさんの頭の中に出てくるのはかの有名な千利休でしょう。彼は1500年代、激乱の戦国時代に織田信長や豊臣秀吉に茶頭として仕え、茶道を完成させた人物です。 裏千家の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にある意。宗家は京都市上京区小川寺之内上ルにあり、表千家宗家と隣接しています。その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもあります。 大阪府との境界に位置する京都府大山崎町に日本最古の茶室建造物が存在するのですが、それは千利休の作と信じうる唯一の現存茶室です。この茶室「待庵(たいあん)」は国宝に指定されています。 茶道というのは単に茶を点て、茶を味わうという行為ではなく、茶道が物語る日本の精神に本質があります。千利休の有名な逸話をひとつ。ある朝、秀吉が利休に茶会に招かれると庭の朝顔が全て切り取られていました。不審に思いながら秀吉が茶室に入ると、床の間に一輪だけ朝顔が生けてあり、一輪ゆえに際立てられた朝顔の美しさに秀吉は深く感動したのです。 茶道の美しく深みのある精神は世界に伝えられなければならない。そんな思いで茶道流派の一つである裏千家は活動してきました。その結果、今日では北米、中南米、アジア、オセアニア、アフリカそしてヨーロッパへと広がり、世界30数ヶ国100ヶ所ほどに裏千家の拠点があります。裏千家寄贈の茶室も、ハワイ、バンクーバー、パリ、ロンドン、ミュンヘン、ブリュッセル、ヘルシンキ、リマ、サンパウロ、北京、天津など多くの主要都市にあり、茶道普及のみならず日本文化の紹介と友好のシンボルとして大きく貢献しています。 京都に本部を置く裏千家ブラジル協会は、1954年、サンパウロ市制400年の折に発足しました。当時から、サンパウロで憩いの場として親しまれていたイビラプエラ公園に、日本移民が総力をあげて「日本館」を建設し、これをサンパウロ市に寄付しました。その茶室で裏千家十五代家元が茶を立てたところから、裏千家ブラジル協会の歴史が始まりました。ですから、今年2014年は記念すべき日本館の60周年を迎える年となり、そして同時に裏千家ブラジル発祥60年の年となるわけです。 その大切な節目の記念行事を企画すべく会議が2月11日文協貴賓室にて行なわれました。 ブラジル日本文化福祉協会代表者たち(木多喜八郎会長、呉屋春美副会長、松尾治副会長)と裏千家関係者の方々(日本本部、アメリカ支部、メキシコ支部、ブラジル支部)が会合を持ち、8月29日に行なわれる裏千家記念式典において、兼ねてから文協木多会長が招待していた、60年前に真新しい日本館で茶を点てた裏千家千玄室大宗匠がご出席されることが決定いたしました。木多会長が招待したフェルナンド・アダッドサンパウロ市長の出席も見込まれています。もちろん文協ビル4階「伯栄庵」でもイベントが行なわれる予定です。大切な節目の年となる日本館60周年記念は、お茶に限らず、他にも色々なイベントが行なわれる予定となっています。それらのイベントに関しましては随時お伝えいたしますので、みなさん楽しみにお待ちください。

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井料堅治さん 初七日ミサのお知らせ

5月4日に老衰のためお亡くなりになった井料堅治さん(享年91)の初七日ミサが行われます 【日 時】5月11日(木)18時30分~【場 所】Paróquia São Francisco de Assis R. Borges Lagoa, 1209 – Vila Clementino, São Paulo – SP ご冥福をお祈りいたします 関連記事 – 訃報:井料堅治氏

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第15回文協総合美術展 – 4月1日より応募作品受付開始

文協総合美術展は、文協の美術委員会および工芸委員会によって、新人作家の育成と新進作家の発掘を目的に2007年から開催されています。昨年開催された第14回目の同展では、400を超える作品の応募作品の中から147名のアーティストによる279作品が選出され、文協文化ホールにて、それらの作品が展示されました。 本年度の第15回文協総合美術展は、ProAC(サンパウロ州文化活動プログラム)の支援を受け、10月に開催する予定です。それに向けた作品募集の受付は4月1日から開始、6月4日が受付最終日となります。 応募要項などの詳細については、3 月に、文協Web サイト (www.bunkyo.org.br) にて公開します。 お問合せ:工芸部門:artekoguei@bunkyo.org.br美術部門: artesplasticasbunkyo@gmail.com TEL: 文協事務局11 3208-1755 (担当-アウローラ) 2022年度 第14回文協総合美術展の作品は以下の通り。(画像をクリック)

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第66回パウリスタ賞授賞式

写真:第66回パウリスタ表彰の受賞者 ブラジル日報協会(林隆治会長)主催の「第66回パウリスタ賞授賞式」が3月4日、文協大講堂で開催され、38名が栄に浴しました。この「パウリスタ表彰」は、1956年、現在の邦字新聞である「ブラジル日報」のルーツともいえる今は無きパウリスタ新聞が、勝ち負け抗争によって分断状態にあった日系社会の融和を図ることを目的に、同紙創刊10周年記念事業として立ち上がりました。 写真:お祝いの言葉を述べるゲストとして出席した石川レナト会長 開始当時は「農民賞」「文学賞」「スポーツ賞」の3部門から、それぞれの分野の発展に貢献した日系人を表彰していました。時代の変遷とともに、「スポーツ賞」はそのままで、現在は「社会功労賞」「文化功労賞」となり、対象範囲も拡大されました。 文協関係者の中からは、今回、以下3名が受賞しました。おめでとうございます! 文協第一副会長 西尾 ロベルト 義弘 氏 南米銀行やホーワ工業に勤務。元クレスル(Creasul)取締役。元南米銀行取締役。元レイテ・トスト・バロス法律事務所弁護士。現ブラジル日本文化福祉協会(文協)の第一副会長。法務委員長。ブラジル日本移民史料館運営副委員長。宮坂国人財団理事長。伯日文化社会統合協会会長。サンタクルス日本病院審議員。日伯文化連盟評議会書記。旧南米銀行関係者の懇親団体である「なぎさ会」審議会員。日伯比較法学会評議員。ブラジル日系ゴルフ連盟副会長。伯日文化社会統合協会を通じた日系社会への支援の他、文協や移民史料館への貢献が評価され、2018年12月、日本政府より2018年の外国人叙勲「旭日双光章」を受勲。2019年4月、サンパウロ市議会から「パウリスタ名誉市民賞」を受賞した。(ブラジル日報より) 文協前会長 呉屋 新城 春美 氏 元ブラジル日本文化福祉協会(文協)会長。ブラジル沖縄県人会理事。沖縄県生まれで1958年、家族とともに来伯。1977年、バレットス中央教育大学建設エンジニア学科卒業。1986年に公務員試験合格。マリオ・コバス政権時に、サンパウロ州税務局の情報技術部門の創設に尽力した他、局長補佐などを務めた。1990年、JICA研修生として訪日。元JICA研修生OB会長。ウチナー民間大使。(ブラジル日報より) 第1常任理事 ウエダ マサミ 氏 1969年サンパウロ市生まれ。ゴルフ歴40年。文協第1常任理事。2015年からファゼンダ・ダ・グラマ・ゴルフ&カントリークラブ理事。幼少期からアルジャーゴルフクラブで、様々な大会に参加した。(ブラジル日報より)

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訃報:井料 堅治 氏

獣医として活躍した井料堅治さん(鹿児島県出身)が、5月4日の20時30分に老衰のためお亡くなりになりました。91歳でした。 去る2004年に、当時の小泉純一郎内閣総理大臣がご来伯された際に、1200人で埋め尽くされた文協大講堂での歓迎会の挨拶の中で「私にとってブラジルは外国ですが心情的には一番近い国なんです。」と話し、その理由として小泉首相が十代の時に親交が厚かったいとこの井料堅治さんがブラジルに移住したことを説明、「キャッチボールや勉強を教えてもらった。私にとって兄のような存在。いつかブラジルに行ってみたいと思っていた。」と話されました。それもあり、同氏は、文協では評議員会役員を務めるなど日系社会に対する貢献はもちろん、小泉純一郎元内閣総理大臣のいとことしても広く知られていました。 2023年5月5日(金)モルンビ墓地にて葬儀 午後3時に埋葬住 所: Rua Deputado Laércio Corte, 468 – Morumbi – São Paulo – SP 心よりご冥福をお祈りいたします

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四十九日法要のお知らせ:丹下セツ子先生

丹下セツ子先生 四十九日法要のお知らせ ブラジルで「丹下セツ子太鼓道場」を創設するなど日系社会の芸能分野において多大な貢献をされた丹下先生の四十九日法要が行われます  日 時:2023年5月7日(日)15時~ 場 所:文協ビル2階 貴賓室 丹下セツ子先生の記事はコチラ

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追悼:秀島 マルセロ 氏

文協の第二副会長の秀島マルセロ氏が、2023年2月1日の夜、共同経営するAlfa Alimentosの仕事から帰宅後、心臓発作により、自宅でお亡くなりになられました。53歳でした。妻と娘さんとの3人家族でした。 通夜は2月2日の14時~22時と3日の午前6時~午前8時、文協文化ホールにて行われました。(R. São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo 文協ビル地下1階) 葬儀は2月3日午前11時より、Jardim Horto Florestal墓地にて行われました。(Rua Luiz Nunes, 111 – Parque Ramos Freitas – SP) 秀島マルセロ氏 移民一世とは違い、日系社会に対して関心が薄くなりがちなブラジル生まれの日系人青年らを、上手くまとめていたのが青年時代の秀島氏でした。その人望と手腕を必要とした文協は秀島氏を招き入れ、早速秀島氏は、1997年の文協青年部の発足に際して、主導的役割を果たしました。その活動を軌道に乗せた後の2005年、今度は35歳という若さで文協の副会長に抜擢され、活動の幅を広げました。 以下、2006年11月25日に、文協貴賓室で行われた「文協創立50周年記念座談会」の冒頭に行われた参加者の自己紹介から抜粋します。 秀島マルセロ、36歳で既婚です。私の文化団体での活動は、 ツクルヴィ協会の日本語学校へ入った9歳の時から始まります。16歳でこの協会の青年会長になり、 イベントや各種競技の組織づくりを活発に行ない、 同協会の会長になりました。そして当時15団体を擁していたサンパウロ北部連盟に参加しました。統合こそ日系人の交流を促進し、 強化する手段だと考えるので、これは極めて重要な経験でした。ただ北部地区だけだったため他地区の団体は知りませんでした。そこで友人のグループとサンパウロ慈善インテルカイカンを設立しました。1994年にはサンパウロ各地にある11団体を集め、それが大きな交流の方法であると考え、1995年には16団体、スポーツ、文化、慈善など様々な部門の青年 1,200名をまとめました。1996年のイベント開催において、寄付のための食料品を19トン集めたときは最高の喜びでした。その後、林アンドレさんがいた文協の日系団体再活性化委員会に呼ばれ、議論したときに、将来の再活性化について、この委員会が所属している文協自体に青年がいないことを大いに話し合いました。そのため当時の山内会長は青年文協、現在の文協青年委員会を創立するため、 あらゆる支援をして下さいました。1997年のことで、当時の青年文協は青年団体リーダーたちの集りで、アイデアを交換する場でもありました。この交流は極めて健全であると考えたので1999年に役員になったとき、 ABEUNI、ASEBEX、 青年会議所、 文協青年委員会と慈善インテルカイカンの5団体の会長で、これらの団体を統一し、 それぞれのメンバーの育成を一層強化し、 共同活動を通じて日系社会および社会一般のために何かを促進するグループを結成するアイデアが生まれました。このアイデアの推進者であった林アンドレさんは、文協の政策を議論するため、 ABEUNI、 ASEBEX、青年会議所と青年文協を召集し、 私も再活性化委員会のメンバーとして参加しました。こうして結成したG5の統合は極めて重要であったと思います。2000年には5団体の会長が集って連合会を作り、 現在まで続いています。この間、 私は希望の家※に呼ばれ、 その第1副会長ををしており、 文協、 交流協会にも参加しております。 ※重度知的障害者が入居する福祉施設「希望の家福祉協会」         (2007年4月発行 ブラジル日本文化福祉協会創立50周年記念「文協50年史」より抜粋) このような秀島氏を、誰もが、近い将来、ブラジル日系社会全体を牽引する指導者になるだろうと信じて疑いませんでした。 その秀島氏の、突然で、そして早すぎる逝去の報は、日系社会全体にどれ程の衝撃と悲しみを与えたかは、言うまでもありません。 急遽開催した文協文化ホールでの通夜には、次から次へと届けられた77基の花輪で会場が埋め尽くされました。そして弔問客も途絶えることがなく、約1000人※が来館し、秀島氏との最後の別れのひと時を持ちました。※受付で記帳した方々は約600名ですが、記帳のために大勢の人々が並んでいたため、記帳をせずに帰られた方も沢山いらっしゃいました。また家族で来られた方は殆どが代表者1名のみの記帳でしたので、弔問客はゆうに1000人は超えていると推測します。

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ブラジル日本青年会議所 新会頭に照屋ウーゴ氏

写真:左から照屋ウーゴ新会頭 , 関口ひとみ文協顧問 , 岩本レアンドロ前会頭 ブラジル日本青年会議所(JCI Brasil-Japão、JCIBJ)は、2月13日に「2023年役員就任式」を文協貴賓室で開催、照屋ウーゴ新会頭(三世/34歳/弁護士)の就任を、集まった150人が祝しました。 照屋ウーゴ氏は、2010年に沖縄県人会ビラカロン支部の青年部のリーダーを務めて以来、日系社会とのつながりを維持しています。もともとサンパウロ大学生援護連盟(ABEUNI-Aliança Beneficente Universitária de São Paulo)※で活動しており、ブラジル日本青年会議所には2014年から所属。文協には、2019年から文協青年委員会の活動に加わるようになり、現在は文協理事会の専任理事を務めています。 ※ABEUNIは、50年代から活動していた日系医学生を中心とした「ABENIBRA」(日伯援護協会の大学生支部)が前身となる団体で、サンパウロ州の貧困地域、孤児院などで医療や教育のボランティア活動を行っている。前身のABENIBRAでは、日系人に対して無料健康相談を行っていたが、その枠を取り払いサンパウロ州全土の住民へとその対象範囲を拡大した。また、日系の医学生が中心だった活動メンバーの枠も広げ、学生もしくは学位取得者であればどの分野の専攻でも参加できるようになった。 照屋ウーゴ 新会頭 所信表明 新任の挨拶にたった照屋新会頭は、まず、前年度の岩本レアンドロ会頭とその執行役員らの労をねぎらい感謝の言葉を述べました。 そして、前執行役員が開始したプロジェクトを今後責任を持って展開していくと話しました。 また、日系団体およびスポンサーとの関係強化を図り、その上で、ブラジル日系団体とつながりのある学校との共同行動を模索し、次世代を率いる青年層のリーダーシップ資質向上のために、弁論練習の重要性を学校関係者に認識させる活動をしていきたい、と述べました。 また、会場に駆け付けた両親に対しては、夢を実現し続けられるよう常に最高の環境を提供するために努力してくれたことに、また、婚約者であるタミレスさんに対しては、いつもそばで励ましてくれることに対し、心からの感謝の意を表しました。 写真:左から婚約者のタミレスさん , 父親のイサオさん , 母親のマサコさんとウーゴ新会頭 そして最後に、照屋新会頭が兄のように慕っていた、2月1日に急逝した秀島マルセロ氏が、生前、常に語っていた言葉を引用し、所信表明を締めくくりました。 ベストを尽くそう! どんなことでも、簡単なことでも、常にベストを尽くそう。 どんな簡単な仕事でも、どんなことでも、常にベストを尽くそう!

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