Ultimas Publicações

海外日系人協会からのお知らせ:「クイズ!NIKKEI around the WORLD」第2弾開催-クイズ回答〆切は6月9日

公益財団法人海外日系人協会から、以下のお知らせが届きました。 今年も、6月20日の「国際日系デー」が近づいて参りました。当協会では、昨年開催し好評を得た「クイズ!NIKKEIaround the WORLD」の第2弾を開催します。今回は、世界各地の日系コミュニティよりお寄せいただいた情報を元にクイズを出題しています。全問正解者へは賞品もご用意していますので、ぜひとも挑戦してみてください♪ ▼イベントの詳細・参加方法(クイズの回答送付)はコチラから!! 主に日本国内へ向けたPRイベントのため、日本語のみによる出題と動画配信となっておりますが、海外からもふるってご参加いただけますと幸いです。 クイズの回答は、上記URLよりフォームで受付け中!!(応募〆切:6月9日) 解答の発表と解説は、6月15日より当協会Youtube チャンネルにて動画配信します。答え合わせと解説は、6月15日からの動画配信をぜひお楽しみください!(現在配信しているクイズショーの動画は、昨年度のものです) たくさんのみなさまのご参加、お待ちしておりま〜す!!

SAIBA MAIS >

第54回文協工芸展 作品募集中-6月2日まで延長

文協の工芸委員会(委員長:石田オルガ)は、第54回文協工芸展への出展作品の募集を3月29日から開始しました。〆切は、5月17日まで。   6月2日まで延長します。 例年、工芸展と美展および現代美術展を合わせ、「総合美術展」として開催していましたが、それぞれの部門において作品の応募がかなり多く、才能溢れる作品も多数あるため、今年度は「工芸展」として別の日に単独開催することになりました。なお、工芸展は2024年10月12~27日を予定しています。(美術展は2024年11月23日~12月8日) 工芸展への作品出展に関する規定はコチラ≫≫≫ 54ª EXPOSIÇÃO DE ARTE KOGUEI BUNKYO 第54回 文協工芸展 スケジュール作   品   受   付  : 3月29日~5月17日 6月2日作 品  事 前   選 定 : 6月10~14日事 前 選 定   作品発表 : 6月21日事 前 選 定 作品持ち込み : 7月17,18日入 選  作 品   選 出 : 7月19,20日入選および   入賞作品発表 : 7月26日工芸展オープニングセレモニー : 10月12日工 芸 展    最 終 日 : 10月27日 作品受付に関する質問はメールで受け付けます :  artekoguei.bunkyo@gmail.com ☆ぜひフォローしてください!☆・文協工芸委員会 – @artekoguei.bunkyo・文協美術委員会 – @bunkyo_artesplasticas・文協 – @bunkyodigital

SAIBA MAIS >

パッセイオ5月21日(火) 🚌 参加申込受付中!

イミグランティス・エコロジックパーク&ブラジル日本移民史料館を巡るパッセイオ 【日 時】2024年5月21日(火)8時~15時30分【料 金】一人150レアル(前払い)※貸切りバス(ガイド付き)、各所入場料込、弁当代込【申込方法】文協事務局 (11) 3208-1755(担当:ユウリ)までお電話ください お待たせいたしました!文協の会員拡充委員会が主催する大好評のイミグランティス・エコロジック・パーク&ブラジル日本移民史料館をめぐる次回のパッセイオは2024 年5月21日(火)です! このパッセイオは貸切バスで行われ、ガイドが同行し、料金には各所入場料と昼食代(弁当)が含まれています。 現在、参加申し込み受付中です。貸し切りバスの座席に限りがありますので、お申し込みはお早めに! *** 日程 *** 8h 文協出発 (R. São Joaquim, 381 – Liberdade –SP) 9h イミグランティス・エコロジック・パーク到着 (1グループ(10人)毎にガイド1人で散策) 12h イミグランティス・エコロジック・パーク出発 13h 文協ビル到着 / 昼食 (弁当) 14h ブラジル日本移民史料館見学(ガイド付) 15h30 解散 お問合せ:文協事務局 (11) 3208-1755  担当 / ユウリ

SAIBA MAIS >

2024年度版4ºLIVE-日本の心を学ぶ – 8月10日(土)16h~

4 ª Palestra Live-Online『日本食からみる日本の心』 日 時:2024年8 月10日(土) 16時から約1時間(質疑応答含む)講演者:藤原 美明 氏(日本食レストラン 居酒屋COCORO と KATSUYA を経営)テーマ:日本食からみる日本の心(主にポルトガル語)プラットフォーム:zoom※ 当日はフライヤーのQRコードより直接アクセスしてください!   もしくは、https://us02web.zoom.us/j/81547321588 から直接お入り頂けます。   注)アクセス数に限りがあるため、先着100名様までとなっております。予めご了承ください。 問い合わせ:site@bunkyo.org.br ブラジル日系社会を担うリーダー育成プログラム 既にご存知のように、ブラジル日本移民116周年を迎えた今日、その子孫は約270万人を数えるまでになりました。しかしながら、時の流れと共に日本語を理解しその精神文化に精通する日系人は著しく減少しているのが現状です。それに伴い、ブラジル全土に広がる約400の日系団体は、今後のブラジル日系社会を支える次世代の後継者育成が急務との、共通の課題を有しております。 そこで文協国際交流委員会では、後継者にとって必要なことは先ず祖国「日本」を知ることに始まると考え、昨年より毎月一回、合計11回のオンライン勉強会を開催したところ、大変好評であったため、本年も引き続き開催することと致しました。(2か月に1回 / 第2土曜日)もちろん、日本文化に関心のある非日系人の方々の視聴も歓迎しています。 昨年行った全11回のLIVEおよび、2024年度の第1回と第2回のLIVEはこちらからご覧いただけます⇓ – BunkyoDidital -Nihon no kokoro wo Manabu- 藤原 美明 (Fujiwara Yoshiaki)さん 大学卒業後、ゼンショーホールディングスへ入社。初期配属ですき家の店長からスタートし、福島・山形・埼玉ですき家のエリアマネージャーを経験。入社6年目からは本社・人事部へ異動し、新卒採用を担当。海外研修制度を経て、ブラジル駐在時代には、すき家の店舗拡大に従事。その後、ブラジルで独立し、現在はサンパウロに日本食レストラン2店舗を運営。ブログやYouTubeも行う。(2023年12月現在)~SAMURAI-STRANGERより抜粋

SAIBA MAIS >

訃報:ブラジル被爆者平和協会創立者 森田 隆 氏

ブラジル被爆者平和協会の創立者であり、元会長の森田隆さん(広島県出身)が、8月12日、サンパウロ市内のサンタクルス日本病院で、老衰のため、お亡くなりになりました。100歳でした。 告別式は13日に聖市内のプレナ葬儀場で行われ、ご遺体は同日、コンゴニアス墓地に埋葬されました。 昨年2023年の6月には、毎年文協が移民の日を記念して開催する99歳の方々を祝賀する「白寿者表彰」にて表彰状を贈呈、また今年の3月2日には、ご家族やご親族によって、森田さんの100歳の誕生日を祝ったばかりでした。 なお、5月4日に岸田首相がサンパウロを訪問された際は、ここ文協にて、岸田首相との面談の場が特別に用意され、短い時間ではありましたが、言葉を交わされていました。 森田さんについての詳細:ブラジル日報 訃報=ブラジル被爆者平和協会創立者 森田隆さん 心よりご冥福をお祈りいたします。

SAIBA MAIS >

Sato Company提供『ファミリア』@文協大講堂🎥上映中

文協とパートナーシップを結んでいる「Sato Company」とは Sato Companyは1985年にホームビデオの映画配給会社として設立され、その後、映画、テレビ、コンテンツ制作、商品ライセンスなど他の分野にもコンテンツを拡大していきました。同社は「アキラ」、「攻殻機動隊」、「ナショナルキッド」、「ウルトラマン」、「ジャスピオン」、「ジライヤ」、「サイバーコップ」など、多くの印象的な特撮作品を配給することで、日本文化の普及における先駆け的存在となっています。同社は、独立系プロダクションの国内外の映画、シリーズ、およびドキュメンタリーを選定することで、ラテンアメリカで最初のNetflixのコンテンツアグリゲーターとなり、ブラジルの制作物を国際市場で代表しています。また現在はTelefe、KBS、NTV(日本テレビ)などの国際的な放送局をブラジルで代表しています。 文協大講堂 8月の上映作品は『ファミリア』 Sato Companyは、文協大講堂にて、映画『ファミリア』の上映をしています。 作品の詳細はファミリア公式サイトをご覧ください。 お問合せ:Sato Company

SAIBA MAIS >

SAVE THE DATE! 文協文化祭り 5月25(日),26日(土)

文協文化祭り 日 時:2024年5月25日(土)10~18時           26日(日)10~17時    場 所:文協ビル  R. São Joaquim, 381 – Liberdade入場料:無料 毎年恒例となった、大好評の文協文化祭りを、今年も5月25日(土)と26日(日)に開催します! 歌、ダンス、ワークショップ、展示、バザー、もちろん日本食コーナーもご用意して皆様をお迎えします。 プログラムはこちら≫≫≫文協文化祭りプログラム 文協大講堂ステージでの催し ☆☆☆☆ オタク プライドデー ( Dia do Orgulho Nerd / Geek Pride Day )☆☆☆☆ オタク プライドデー( Dia do Orgulho Nerd / Geek Pride Day )は、毎年5月25日に祝われる、オタク文化とオタク コミュニティを祝う記念日です。日本語では オタク プライドデー ですが、世界的にはギーク プライドデー として認識が広まっています。 本年の文協文化祭り開催日は、偶然にもこの日に重なったため、コスプレコンテスト、アニソンダンスなどの一連の関連アトラクションを行い、この記念日を祝したいと計画しています! 写真:2023年の文協文化祭り 【 オタク プライドデーとは 】1998 年から 2000 年にかけて、ティム・マクイーチャーン氏が、ニューヨーク州アルバニーのバーで、ギーク プライド フェスティバルと呼ばれるイベントを主催しました。これらが、ギーク プライド デーの前身とみなされることもあります。

SAIBA MAIS >

第3回文協アート・フリーマーケット🎨6月22(土) ,23(日)@文協文化スペース

第3回 文協 アート・フリーマーケット 日 時:2024年6月22日(土),23(日)    10~17時 場 所:文協文化ホール ( 文協ビル地下1階 )※Rua Galvão Bueno 596からお入りください 入場料:無料 第3回 文協 アート・フリーマーケット 当日、様々なアーティストらによる絵画、彫刻、写真、デジタルプリントなど様々なジャンルの作品が、アーティストらによって所狭しと並べられます。 なお、このアートフリーマッケトは、何よりアーティストの育成を目的として開催します。アーティストにとって、一般の人々の自分の作品に対する反応を間近で見、感想を聞くことが出来るチャンスは、またとない貴重なものです。 一般の人々にとっても、アーティストと話し、彼らの創造性に触れることは刺激的なものとなるでしょう。 また同日、文協大講堂では、「第57回芸能祭」を開催します。 どちらも入場無料となっておりますので、どうぞお気軽にお越しください! 出店を希望するアーティストはこちら≫≫≫google forms お問合せ:bunkyoartesplasticas@gmail.com

SAIBA MAIS >

オンライン講座「日本の歴史」全20回

この歴史講座はブラジル漫画家協会とブラジル三重県人文化援護協会が2017年から共催しており 「 縄文、弥生時代から 現在に至るまでポルトガル語で日本の歴史が学べる」と毎回好評を博しています。 昨年2020年はCOCID-19の影響を受けオンラインによる講座に変更、本年も引き続きオンラインにて開催します。なお、講座は全20回(有料)です。 第1回オンライン講座「日本の歴史」  日 時:2021年2月21日(日)9時~10時半  プラットフォーム:zoom  言 語:ポルトガル語  受講料:1回につき 27.50レアル      (受講料25レアル + システム使用料2.50レアル) 受講申し込み / お問い合わせ:ここをクリック 

SAIBA MAIS >

ライブ配信「ブラジルの祭り」2月10日(水)20時~

ライブ配信 ブラジルの祭り:テーマ「人々を繋ぐハーモニー」日 時:2021年2月10日(水) 20時~リンク: https://www.facebook.com/festivalbunkamatsuri/     ※ポルトガル語のみ ブラジルでは「祭り」が熱い! 「七夕祭り」「文化祭り」「桜祭り」 「盆踊り」 「秋祭り」「いちご祭り」。。。など、ブラジルでは今、各地の日系人が様々な「祭り」を開催しています。 年々規模も拡大し、各地の政府当局による「観光カレンダー」に掲載されるまでに成長した「祭り」も枚挙にいとまがありません。 今回は、その中「祭り」の中から6つの祭りとその代表者が集います。どうぞお楽しみに! 「JUNGLE Matsuri」 : トミオカ・エリカ(マナウス)「Festival Cultural Japonesa de Salvador」 : ミズシマ・ロベルト(サルバドール)「FESTIVAL DO JAPÃO 日本祭り」:キャロル・アヤコ(ポルト・アレグレ)「盆踊り BONODORI」 : マスダ・レオナルド(ゴイアス)「AKIMATSURI 秋祭り」 : アオヤギ・ダニエル(モジ・ダス・クルーゼス市 SP) 「BUNKA MATSURI」:カトウ・タカユキ ( サンパウロ )  

SAIBA MAIS >

訃報 本山省三氏 

サンパウロ州立総合大学(USP)教授で、科学史センター理事、ブラジル日本移民史料館館長、サンパウロ人文科学研究所理事長を務めた本山省三氏(二世)が、1月26日(火)午後8時50分頃、自宅でお亡くなりになられました。81歳でした。1月5日に81歳の誕生日を迎えたばかりでした。 夕方になっても、昼寝から起きてこないのを心配し、家族が部屋に様子を見に行ったところ、意識の無い状態で発見されました。救急車で緊急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。死因は不明です。 葬儀は翌日27日に執り行われ、ゲッセマニ・アニャングエラ墓地に埋葬されました。 本山・ミズノ・ジュリア夫人との間に2人のご子息(ショウイチさん、シンジさん)そして、3人のお孫さんに恵まれました。 飽くなき探究心 本山氏はサンパウロ大学(USP)にて物理学を専攻(1967年卒業)、1971年には同大学の科学博士号を取得しています。日本の早稲田大学理工学研究室博士研究員(招待研究員)でもありました。1975年には東京大学の宇宙線研究室に在籍しています。1976年にはサンパウロに戻りUSPで無料指導を行っていました。また本山氏は、USPの哲学・文学・人間科学部の歴史学部の教授(1999/2009)として教鞭をとり、ユニット間科学史センターの所長も努めました。 1966年からサンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事を務め、2004年から2019年まで会長の職を担いました。それ以外にも ブラジルの日本移民史料館の館長(1991/1997および2008/2009)およびアカデミアパウリスタデヒストリアの議長15番のメンバーでもありました。 執筆活動 今までに、科学技術史をテーマにした32冊以上の本を執筆し、2011年は、第二次世界大戦の到来までの日本の移民の歴史について執筆した「日の出の象徴の下で(Sob o Signo do Sol Levante)」を出版しました。 その後、2016年にジャーナリストのホルヘ・オクバロとともに、1941年から2008年までの日本の移民の歴史を取り上げた「戦中戦後編『対立から統合へ』(Do Conflito à Integração – Uma História da Imigração Japonesa no Brasil)」も出版しています。これらは、ポルトガル語版のブラジル日本移民『百年史』全5巻中3巻目です。 現在は、USPおよびブラジル日本移民史料館で主任研究員を務め、日本移民文化研究センターに参加し、史料館の9階に設置される展示会のキュレーターコーディネーターを務めていました。 本山省三氏のブラジル日系社会に対する数々の貢献に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。

SAIBA MAIS >

追悼 石井賢治氏

去る1月17日、澄んだ青空が広がった日曜日の朝8時58分、石井賢治氏は2か月間の癌との闘いに終止符を打ち、イスラエリタ・アウベルト・アインシュタイン病院(SP)にて息を引き取られました。88歳でした。翌日、家族葬によってゲツマニ墓地(SP)に埋葬されました。 奥様のミネコさんとの間に、息子のロベルトさん、フェルナンドさん、娘のイザベルさんを授かり、7人の孫にも恵まれました。 石井賢治氏とブラジルをつないだ「陸上」 日本の長野県に農家の末息子として生を受けた石井賢治氏は、慶應義塾大学時代、エリート陸上競技チーム(5千メートルと1万メートルの選手)に所属し、日本の全国陸上競技大会で2度も優勝するなど、将来を期待された選手でした。 アスリート達がフィンランドのヘルシンキで開催される1952年のオリンピックに向けての準備に専念するなか、陸上では、様々な国から名だたる選手が参加することで世界的に有名となった「サンシルベストル国際レース」に、1951年の大晦日、多くの国から選手が送り込まれました。 ブラジルの反対側である日本からは、オリンピック出場候補選手として慶應義塾大学が負担した費用のもと、石井賢治氏と高橋進氏が送り込まれました。 石井氏は既に多くのレースに参加し、ボストンマラソンを含む国際的なレースでのメダルを獲得していましたが、日本人として初参加となったこのレースにて、8位入賞という快挙を成し遂げました。 そしてこのレースに参加するために来伯したことがきっかけとなり、当時日本より豊かで無限の可能性に満ちたブラジルにすっかり魅了され移住を決意、大学を卒業するとすぐ移民船「さんとす丸」に乗りブラジルへと移住しました。 ブラジルでの第2の人生の始まり 石井氏はまず、サンパウロ内部の穀物販売店で働きました。続けてマウアー農業共同組合、リオデジャネイロのヤマガタエンジン建設会社で働く中、南米銀行の創設者でありラテンアメリカにおける日本人移民の中で大きな力を持っていた宮坂国人氏に出会いました。 その宮坂国人氏に勧められ宝石販売業に従事することとなり、1967年に独立し「ジョイアロレーナ石井宝石店」が誕生しました。 ちなみにこの宝石店は、石井氏の3人の子供が後継者になることに興味を示さなかったため、2017年に閉店、50年という歴史に幕を閉じました。 石井氏とブラジル日系社会の関わり 石井氏が文協に入会したのは1959年10月2日のことでした。1987年からは審議委員会の委員を務めるなど、常に協力を惜しみませんでした。それ以外にも、在伯長野県人会およびと慶應義塾大学三田会の会長も務めました。 また「ブラジル法の会」の会員であり、慶應義塾大学ロースクールとの関係に大きく貢献しました。 そして、1960年代半ば以降、ブラジル日系社会において発行される全ての出版物には、「JóiasLorena」のバイリンガル広告が掲載されていたと言っても過言ではありません。そしてこれは石井氏自身の宝石店のマーケティング戦略というよりも、ブラジル日系社会の活動に対する支援が動機となっていることは誰の目から見ても明らかでした。 石井氏と小渕恵三元首相との友情 現在、お二人の友情物語はブラジル日系社会において有名な話ですが、それが公になったのは、1997年のことでした。当時外務大臣だった小渕氏が、東京で開催された石井賢治氏の長男ロベルト氏の結婚式に出席されたのです。ロベルト氏は「父との約束を小渕氏が守ってくださったのです。」と話しました。同じく結婚式に出席していた石井氏の長年の友人であるサンフェルナンドゴルフクラブ創設者であるフリオ・クルス・リマ氏は「二人の間に築かれた友情の物語を交えた祝辞は、そこにいた全員の胸を打った。」と話しました。 そんなお二人の出会いは、1960年代のはじめにさかのぼります。 かばんひとつでぶらりとブラジルへやってきた、当時早稲田大学院生、小渕恵三氏。政治家を志していた若い小渕氏は、世界情勢を実際に肌で感じる必要があると、熱い想いを胸に秘めつつアメリカなど36カ国を訪れ、ブラジルにも足を伸ばしました。ここでは早稲田大学の先輩方に宿を借りながら、約2ヵ月間に亘り日本移住地を見て回りました。そこで思いがけず触れた多くの日本人移民の暖かさに、すっかり心を奪われたとのことです。その「暖かな日本人移民」の一人が石井氏でした。当時、慶應義塾大学の同窓会「三田会」の会長であった石井氏は、日本から来伯するアスリートや若者達の宿や食事などの面倒を快くみることで有名でした。 そんなある日、突然、小渕青年のもとに日本の母親から「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ。」という電報が届きました。 帰国前に食事を共にした石井氏に小渕氏は「偉大な政治家になってまたここに必ず訪れる!」と宣言し、ブラジルを後にしたそうです。 帰国後、小渕氏は父親の地盤を引き継ぎ、26歳で衆議院に当選し4年後に議員として来伯。見事に石井氏との約束を果たしました。 またそれだけでなく1998年のブラジル日本移民90年際には、今度は外務大臣として来伯し記念式典に出席されました。 後に、小渕恵三氏の娘である優子議員は当時の様子を「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです。」と、話しています。 石井氏とスポーツ また息子のロベルト氏は、「父親は常に、バレーボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな分野のスポーツマンに支援し続けていた。」と述べています。 「父は故松平康隆氏※と同級生で、松平氏を通して日本とブラジルの交流を強化しようと一生懸命でした。『エスコラ・ブラジレイラ』という学校を設立し、その結果わが国でバレーボールのチャンピオンが生まれました。」と付け加えました。 ※松平康隆氏(22/01/1930~31/12/2011)とは、日本のバレーボール全日本選手で、後にバレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任した人物 シンプルで正しい人 「石井さんは、サンフェルナンドゴルフクラブのメンバーのために常に率先して協力してくださいました」と同クラブ創立者のフリオ・クルス・リマは、いつも意見を交換していた石井氏について、感謝の言葉を述べました。 「何十年もの間、石井氏は青年たちの宿泊、食事の世話はもちろん、良きアドバイザーとして存在していました。 私たちの倶楽部の青年のためのボール、ティー、キャディが不足することは決してありませんでした。そして石井氏は、誰も知らないうちにそれをするのです。」と話しました。 「これは、常に他人を助けることに関心を持っていた、素朴で正しい人である石井さんのありのままの姿です。 彼は植民地で卓越した尊敬と称賛を勝ち取り、その後数十年でここに到着したすべての移民は、自分達が事業を始める前や、または自分達の家族をブラジルに連れてくる時など、人生の一番大事な事柄は、石井さんに相談しに行きました。」と述べました。 このように、石井氏の人生は常に他者を思いやる大変面倒見のよいスポーツマンだったといえます。 日伯交流への多大なる貢献およびブラジル日系人社会に対する深い愛情に心より感謝するとともに、石井賢治氏のご冥福をお祈り致します。

SAIBA MAIS >

訃報 岡野修平氏

ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。82歳でした。同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。 岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。 岡野氏と柔道 1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。 東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。 ブラジル柔道への貢献 岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。 サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。 72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。 柔道を通して日伯交流にも貢献 ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。 なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

SAIBA MAIS >

追悼 栗原猛氏

去る1月13日に開催した文協理事会において、昨年12月27日午後7時40分に78歳で逝去された栗原猛氏(東京都出身)を追悼する時間を設けました。 石川島ブラジル造船所(略称イシブラス) の出向社員として 栗原氏は明治大学を1965年に卒業後IHI(石川島播磨重工業)に就職、1985年にはリオ・デ・ジャネイロに現地政府当局とIHIの出資による日本・ブラジル合弁の造船・重工業会社「石川島ブラジル造船所(略称イシブラス)」へ出向、1994年にIHIがブラジルから撤退するまで現地で勤務しました。1998年からは、サンパウロのIHI事務所所長として働き、そこで定年を迎えました。その間、妻のヨウコさんとはサンパウロで結婚式を挙げています。ブラジルと日本の両国を常に往来する人生で、日伯交流にも尽力されました。栗原氏はブラジルに長く暮らしていたにもかかわらず、常に日本の上級幹部職者のような雰囲気を醸し出し続けていました。トレードマークでもある上品な白い頭髪と白いあごひげが、それを強調していたと言えます。また常に控えめな態度であるにもかかわらず、誰からも一目置かれる人物でした。 一人息子であった栗原氏は、100歳の母親の介護にも熱心でしたが、とうとう自分自身の体調を崩され4年ほど前から、熊本県にて治療を受けていました。 文協と栗原氏 理事会では、文協において栗原氏と最も多く行動を共にした中島事務局長より、文協での栗原氏の活動の様子が以下の通り語られました。 「栗原氏が文協の活動に加わったのは2004年のことで、当時のサンパウロ新聞社社長で、強力な文協会員だった水本ヘレナ氏が推薦、そして当時の松尾治副会長からの紹介がきっかけでした。推薦理由としては、栗原氏は文協の多岐におよぶ日本語での事務作業における強力な助っ人となってくれるだろうということでした。実際、日本語での文書作成や日本の関連機関との連絡、そして主に当時の文協会長であった上原幸啓氏の心情を日本語の挨拶文に翻訳する作業に携わり、期待以上の活躍をしてくれました。特に、2004年、日本国の小泉純一郎内閣総理大臣が来伯された際に、大変力になって下さいました。このように、日本からの要人の受け入れ時はもちろん、在伯の大使館や領事館、JICA、国際交流基金などとの連絡窓口としての役割も果たして下さいました。 また、上原会長の第二期目(2005-2006)に、会長より会長顧問に任命されました。 それ以外にも、日本政府による叙勲受章者祝賀式、新年祝賀会、天皇誕生日祝賀式典、ブラジル日本移民開拓先亡者追悼大法要などの式典にも携わりました。2005年の文協創立50周年記念における様々な企画と運営、そして文協図書委員会が主催する古本市をはじめとする、様々な委員会への協力、また本人の趣味もかねて、にっけい文芸委員会や音楽委員会などは特に積極的に協力してくださいました。 上原会長(2007-2008)の第3期目に、会長顧問を務めるだけでなく、ブラジル日本移民史料館運営委員長にも就任しました。2008年に、ブラジル日本移民百周年記念式典にご臨席されるためご来伯された徳仁皇太子殿下(当時)が同館をご視察された際には、館内をご案内するという大役もこなされました。 ブラジル移民百周年を記念するために組織された「ブラジル移民百周年記念協会」の執行委員長に松尾治氏が就任して以来、栗原氏は松尾氏の良きアドバイザーとして存在感を示しました。同時に、5巻におよぶ「ブラジル日本移民百年史」を手がけた移民百年史日本語版編纂刊行委員会にも多大な協力をして下さいました。」と語りました。  百周年時に、栗原氏と共に史料館の運営に携わった現ブラジル日本移民史料館運営委員会の山下リジア委員長は「徳仁皇太子殿下(当時)や小泉純一郎内閣総理大臣などの重要な方々のご案内をはじめ、ブラジルを拠点とする日本企業の幹部との関係を築き、重要な財源を史料館に齎してくださいました。」とその活躍ぶりを強調しました。そして「百周年記念事業の一環として栗原氏と共に立ち上げた『足跡プロジェクト』が大変印象に残っております。12年経った現在もこのプロジェクトは多くの方々に利用されており、同館の重要な活動のうちのひとつです。」と話しました。 合わせて、「このように栗原氏が2004年以来、なぜここまで献身的に文協の活動に携わったのかと言えば『コロニー=ブラジル日系人社会』の一員として初めて歓迎された文協事務局との連携を継続すべきだと確信していたからです」と中島事務局長は付け加えました。 また、栗原猛氏は、2014から2016年まで、サンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事も勤めていました。 2013年には、ブラジルのアマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、およびブラジル以外の国々において、自身が若い頃の回想録を、万葉集から選んだ一言を使用し「あらたしき 日伯断想」という題名の書籍を発行しています。栗原が「自分はブラジルのすべての州を知っている」とよく自慢していたことが、つい昨日のことのように思い出されます。 文協の活動を深く理解し、献身的にご協力下さった栗原氏に心より感謝の意を表し、ご冥福をお祈り致します。

SAIBA MAIS >