「第15回中国ブロック運動会」
4月13日、ジアデマ市の沖縄県人会運動場にて、広島、岡山、島根、鳥取、山口の中国地方五県の友人や家族・親戚が集まり、「第15回中国ブロック運動会」が開催されました。
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4月13日、ジアデマ市の沖縄県人会運動場にて、広島、岡山、島根、鳥取、山口の中国地方五県の友人や家族・親戚が集まり、「第15回中国ブロック運動会」が開催されました。
去る4月10日(木)19時半より、駐ブラジル日本国特命全権大使に着任された梅田邦夫氏と恵子夫人の歓迎会が文協貴賓室にて執り行なわれました。 「ブラジルへようこそ!そして、日系社会へようこそ!」。日系団体を代表して文協木多喜八郎会長が梅田大使夫妻への歓迎の言葉を述べました。「ブラジルは日本から一番遠い国ですが、現在160万人に達する世界最大の日系社会がある国です。梅田大使は在リマ日本国総領事館総領事としての経験をお持ちということで南米文化もすでに知っておられ、ポルトガル語と同じラテン語に属するスペイン語もお話しになられますので、ブラジルに馴染むのは難しいことではないと思います。ワールドカップ、日伯修好通商航海条約120周年、大統領選挙など、いろいろなイベントが控えておりますが、今後わたしたち日系社会のことをどうかよろしくお願いいたします!」と親しみをこめて挨拶しました。 安部順二下議がその力強い挨拶の中で明かした梅田大使の“サッカー好き”ですが、それは本当のようで、梅田大使の話によると、以前からブラジルが大好きで上司にブラジルへの赴任を直訴していたそうです。そんな梅田大使の挨拶はとても印象に残る、出席者の共感をよぶものでした。まず初めに、盛大な式典を準備した日系社会への感謝を表した後、「ずっとブラジルに行きたかったので、ブラジル大使として今日ここにいられて本当に幸せです」と述べました。 そして、「日系社会のみなさんに3つの感謝と1つのお願いがあります」と述べて聴衆の注意を引き付けました。梅田大使が言及したのは次の4つの点でした。 感謝1 ブラジル国における日本人への絶大な信頼 日本からブラジルに移り住んだ移民先駆者たち、そしてその後ブラジルで生まれ育った日系人たちが、100年以上の年月をかけて、その勤勉で正直な働きによって築き上げてきたブラジル国内における日本人に対する評価は、日本全体の宝である。現在、日本企業がブラジルに進出しやすい土壌を作った功績は計り知れない。 感謝2 日系社会のW杯開催への協力 日系主要5団体が迅速にブラジルワールドカップ日本人訪問者サンパウロ支援委員会を立ち上げて、W杯に向けて準備を始め、日本人旅行客への援助を行動に移したことは、日本国内でも高く評価されている。JFA(日本サッカー協会)の小倉純二名誉会長など、日本のサッカー関係者達も日系社会に非常に感謝している。 感謝3 日本サッカー界への貢献 ネルソン吉村やセルジオ越後はJリーグが出来るずっと以前に日本サッカー界に高い技術をもたらした。1993年に10クラブで開始したJリーグ(日本プロサッカーリーグ)も、1999年からJリーグディビジョン1とディビション2の2部制に移行し、2014年からはJ3リーグ発足と、設立20年で目覚ましい発展を遂げてきたが、それにはブラジル人や日系人の寄与するところが非常に大きい。初期Jリーグで、ジーコ、レオナルド、ドゥンガ、ラモス、ビスマルクなどなど数々の有名ブラジル人選手が活躍し、日本サッカー界を盛り上げ、日本サッカーのレベルを底上げし、日本にサッカーのおもしろさとプロッフェショナルの心構えを教え、サッカーというスポーツを普及させた。 お願い 来る2015年、日伯修好通商航海条約締結120周年でたくさんのイベントを行なう予定なので、実行委員会を早期に立ち上げて準備を進めることで、協力をお願いしたいとのこと 梅田大使はサッカーだけのためにブラジルに来たわけではないことを出席者の笑いを誘いながら強調しました。「首脳レベルの来伯も10年前の2004年、小泉純一郎元首相以来だが、是非とも近い将来に実現させたい」、「日本、ブラジル二国間の政治関係、経済関係、信頼関係もさらに発展させていきたい」と力強く語りました。最後に、日系社会の健勝を祈願し、挨拶の言葉を締めくくりました。 本当に、積極的で、明るくて、自信に満ちた梅田大使に、出席者たちは今後の日系社会の未来に希望と期待を抱くようになったに違いありません。日系社会としても、精一杯梅田大使を支持し、日系社会に活性化に力を合わせて取り組んでいきたいものです。
カンザキユキオさんが4月2日にサンパウロ州ミラカトゥ市の自宅を出て以来、行方不明になっています。痩せ型で身長の低い、75歳の日本人男性です。近所の人からの報告によれば、みんながまだ眠っていた午前6時頃にカンザキさんは家を出たと推測されます。白いシャツ、黒っぽい半ズボン、スリッパを身に着けていたと思われます。 チラシやポスターは、市内や地方自治体によって配布されました。カンザキユキオさんは、避難所、広場、病院などで捜索が続けられていますが、まだ具体的な手がかりは得られていません。 姪のタナカマルシアさんが言うには、家族の心配の一つは、ユキオさんがポルトガル語を自由に話せないことです。「ポルトガル語が正しく話せないので、人が言っていることはだいたい理解できるが、コミュニケーションには難がある」と述べています。 カンザキユキオさんの居所に関する情報をお持ちの方がいましたら、直ちに次の電話番号まで連絡してくださるようお願いいたします。 (13) 3847-1160 / (13) 3821-2361 / (11) 98102-8125 タナカ マルシア(姪): (13) 98153-9721 / (13) 3847-3964 カンザキ ユカ ジェオジネレ(娘): (91) 8070-1357 カルドゾ カンザキ ミカエル(孫): (91) 8239-6811 / (91) 3264-8214

「ブラジルにおいて日本人によって導入された人気のある治療法を取り戻し、発展させる」。この目的で、来る6月と7月、教師であり鍼灸師である小渡良博さんは文協にて「日本式お灸と触診講座」を実施します。 この講座は、治療の実践を紹介し、参加者に灸の方法やその実施を補助する竹製品の調製などの経験と訓練を積ませることを優先しています。 授業は、治療を目的とした灸使用の10以上の様々な技法の実施を含みます。 触診の訓練は参加者を、より安全で効果的な灸実施のための必要と、推奨される治療指示に関する最初の分析へと備えさせることを目指しています。 小渡良博さんは1987年に東京の国際鍼灸専門学校を、1989年に東洋医学の教育機関・呉竹学園の教員養成科を卒業しました。1990年からブラジルで治療に携わり、鍼灸師組合や自身の治療院などで講座を開き、鍼灸師の養成にも努めています。 移民時代のやいと(灸)とお仕置き やいとは、灸の旧名で、痛みのある特定の部分、もしくは経穴(つぼ)と呼ばれる特定の部位に対し温熱刺激を与えることによって生理状態を変化させ、疾病を治癒すると考えられている伝統的な代替医療、民間療法です。 幼少時代の思い出の中で、「やいと」が決して忘れられないものとなっている日系人は少なくありません。といっても「甘い」思い出ではなく、「苦い」記憶です。「やいと」は、祖父母たちにとっては痛みや疾患を治す自己回復および自己ケアの効果的な処方でしたが、いたずらっ子たちには、何か悪さをしたときに受けるやけどによるお仕置き(実際のところ、身体的な痛みより心の痛みに訴えるもの)でした。 灸の起源は約三千年前の古代中国の北方地方において発明されました。多くの地方に皮膚を焼くことを治療行為とする伝記は残っています。日本において、灸などの伝統中国医学概念は遣隋使や遣唐使などによってもたらされました。灸は律令制度や仏教と共に日本に伝来しましたが、江戸時代に「弘法大師が持ち帰った灸法」として新たな流行となり、現在も各地に弘法の灸と呼ばれて伝わっています。 教師であり鍼灸師である小渡良博さんは、「灸は古代から用いられていた治療方法です。無数の種類の技法があり、各家庭での実施や専門家による実施によって長い年月をかけて完成されてきました」と言います。日本移民の様々な農家集団でも、灸に使用する原材料である一般的なヨモギ草(当時はもぐさと呼ばれていた)の成分をいつでも手に入れることができたようです。 第二次世界大戦での敗戦で日本文化のルーツから断絶させられたため、時間とともに、日系ブラジル人の間で「やいと」の記憶はいやなもの、思い出したくないものになりました。日本でも、子供などを強く叱る意味の言葉として『灸を据える』『やいとを据える』という言葉がありましたが、家庭での灸が行われなくなったため、あまり聞かれなくなりました。 「先祖の健康と長寿を維持するのに役立った、東洋医学の最も重要な治療法の一つとして認識していたのは少数の人々でした」と述べる小渡さんは、ブラジルにおいて日本人によって導入された民間治療方法を再確立することの重要性を強調しています。お灸は虚弱体質や冷え性など気が弱っている人に効果的だそうです。 講座: 日本式お灸と触診講座 1回目: 6月7、8日 9時から18時 2回目: 7月26、27日 9時から18時 料金:: 4月20日まで – 一括払いは920レアル、分割払いは500レアル×2 4月20日以降 – 一括払いは1000レアル、分割払いは550レアル×2 場所: 文協 – Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo – SP (メトロサンジョアキン駅から徒歩6分) 問い合わせと応募: cursos@acuterapia.com.br

地元社会、国内および国際コミュニティーにおいて活発なメンバーになるために、責任感と行動力のある有用な市民の形成を奨励し、貢献する。これがボーイスカウトの目的の一つであり、4月11日18時30分から文協にて開催される無料講演の中で、UEB-SP(ブラジルボーイスカウト連盟-サンパウロ) が「教育的提案としてのボーイスカウト」というテーマについてさらに詳しく説明します。 アントニオ・リビオ・アブラソス・ジョルジェサンパウロボーイスカウト地域最高責任者が、ボーイスカウト運動、ボーイスカウトの方法、ブラジルボーイスカウトの教育プログラムに関する一般的な概念を扱いながら、テーマを発展させていきます。 ブラジルボーイスカウト連盟によると、ボーイスカウトの方法は、ボーイスカウト運動(現在世界中で3200万人以上の会員を持つ)がアウトドアライフの重視や学校教育とは全く異なる魅力的な活動を通して、その目的を達成するための主要なツールとして形成されています。 ブラジルの若者の生活の現実を総合的に分析して、ブラジルボーイスカウト教育プログラムは、身体的、感情的、性格的、精神的、知的、社会的という成長の6つの分野に関連する問題を抱えて生きている若者たちを取り込むよう努めています。このプログラムの重要な部分は、イニシアチブ、チームワーク、協力、そしてリーダーシップ技術の開発です。 「人格形成を通して社会的リーダーを育て、第三セクターでの仕事へと方向付ける手段としてボーイスカウトを団体の中に定着させるという理念」は、2013年に開催されたFIB(文協統合フォーラム)のグループ議論の中で浮上しました、と団体の西村リカルド副会長は説明します。 2014年文協統合フォーラム実行委員会の先頭に立っている西村氏にとって、この11日の講演会はボーイスカウトを広める意識を各団体や協会に植え付ける絶好の機会です。「FIBに参加しているすべての人々、そしてこの講演に興味をお持ちのすべての方を、提案をよりよく知っていただくために招待したいと思います」と西村氏は締めくくります。 講演:教育的成案としてのボーイスカウト 講演者:アントニオ・リビオ・アブラソス・ジョルジェサンパウロボーイスカウト地域最高責任者 入場無料 – 電子メールによる出席を確認 comunicacao@bunkyo.org.br 日時:2014年4月11日、18時半 場所:文協1階14会議室 Rua São Joaquim, 381 – 1º and. – Liberdade – São Paulo – SP (地下鉄サンジョアキン駅から徒歩5分) UEBを知ってください – ブラジルボーイスカウト連盟 www.escotismo.org.br

来る4月14日(月)午前11時より、本田剛広場の落成式が、ジャルジンパウリスタのブラジル大通りドトールダビドカンピスタ通りとマレシャルビッテンコウルト通りの間で行なわれました。 これは野村アウレリオ聖市市議会議員のイニシアチブにより実現した、19年間サンスイ・プラスチック工業の社長を務めた本田剛先生への記念表彰です。 本田剛氏は1938年にサンパウロ州バストスで生まれ、本田マサさんとコノムさんの11人の子供たちの5番目の息子です。子供の頃から、家族が営んでいた蚕(カイコ)養殖業と学業との間で自分の時間を分けることを学びました。 1953年に、家族のサポートのおかげで、医者になることを夢見てサンパウロ州立学校の科学の課程(現在の高校)を受けるためにサンパウロにやって来ました。競争の激しいパウリスタ医科大学に入ることができましたが、経済的に厳しくて中退し、サンパウロ総合大学(USP)で化学の課程を選びました。 1970年には、AOTS(海外技術者研修協会)による日本の奨学金のおかげで、アジア太平洋ポリ塩化ビニル(PVC)産業や実験研究所との連絡を維持しながら、ポリマーの研究に打ち込みました。 1971年にブラジルに戻ると、最高経営責任者(CEO)所助信により、サンスイと契約しました。最初から、化学者として働き、数年後には企業内の重要な立場を占めるようになり、1988年に社長職に就きました。 バイア州カマサリ市の工業団地や海外でのブランド拡大のように、本田氏は社長としても多くのことを成し遂げ、サンスイ工業のさらなる進歩と発展に大きく貢献しました。また、彼はプラスチック産業に関連する企業での職務も歴任しました。 日系団体との関わりも深く、ブラジル日本文化福祉協会評議員会で第二副会長をつとめたほか、県連のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭)など日系団体のイベントでもスポンサーや屋外テントの設置等に幅広く協力してこられました。2007年4月23日、本田剛氏は、知恵、寛大さ、勇気、何よりも人々からの信頼という遺産を残して他界しました。享年68歳でした。

サンパウロ市の東50キロほどのところにある、都市近郊農業に従事する日系人が多い中都市、モジ・ダス・クルーゼス。市内中心部にも日系人経営の店は多く、郊外に行くと日系人の名前が付いた道だらけという日系人の存在がとても大きな都市。そんなモジで、今年で第29回目となる「秋祭り」が、4月5、6日と12、13日の4日間に渡り開催されます。 家族向けのアトラクション、日本の伝統料理、日本の音楽・舞踊ショー、日系人歌手のライブ、ワークショップ、文化展示会や農産物など、みなさんを楽しませるありとあらゆるイベントの集大成となっています。祭りのハイライトは、500点の展示と700点の地元農産物を誇る文化・農産展示館です。会場では、モジ市特産の果物や野菜が販売されるだけではなく、卵と花は祭りを訪れる人々を楽しませるパネルやデザインを創作するためのインスピレーションの基盤となっています。祭りを明るく盛り上げるデコレーションの詳細については開会式の瞬間まで秘密ですが、今年の祭りのテーマは間もなく開催されるサッ カー・ワールドカップにちなんで『頑張れブラジル』です。 来場者は書道、折り紙、そろばんなどのワークショップに無料で参加することができ、茶道を体験して抹茶を味わったり、仏様に願い事をしたり、七夕のたんざくに願い事を書いてつるしたり、生け花の古代芸術に触れ合う機会もあります。ステージでのプログラムは実に魅力いっぱいです。太鼓、体操、日本舞踊、琴、三味線、手品、ミス秋祭りコンテスト、剣道、よさこいソーラン節、そして、特設ステージ上では日本在住のブラジル人歌手ロベルト・カザノバさん、平田ジョーさんらの歌謡コンサートが行われるほか、盆踊りなど日本文化に関連した多くの催しが行われます。 モジ秋祭りのもう一つの強みは、焼きそば、うどん、天ぷら、アイスクリームの天ぷら、餃子、春巻き、たこ焼き、おにぎり、焼き鳥、パステル、シュラスコ、チキンやリングイッサの串刺しバーベキュー、バライティーに富んだお菓子、などの誘惑だらけのフードコートです。また、農業・文化祭りであることに加え、モジ秋祭りは製品やサービスの宣伝の場としても賑わうイベントとなっています。自動車メーカーやサービスプロバイダーや工芸品など、100社を超える出展があります。 オンライン入場券 秋祭りに対する人々の関心は年々高まり、毎年大盛況しています。昨年は9万人以上の人々が来場しましたが、もし最初の週末に大雨が降っていなかったら、来場者数はもっと大幅に膨れ上がっていたと思われます。パラナ州、ミナス・ジェライス州、リオ•デ•ジャネイロ州などの様々な地方からバスツアーで来場する人々までいました。 アクセスを容易にし、遠くから来場される人たちの利便性を高めるために、イベント主催者のモジ・ダス・クルーゼス文化協会はAppチケットと提携してオンラインのチケット販売を行ないます。クレジットカードを介して秋祭りサイトで直接購入することもできます。これで、遠くから来場する人たちが 、チケットを買うために長い列で長時間待つ必要はありません。 去年初めて2週にわたって開かれた秋祭り。モジ文協の中山喜代治評議員会会長によると、開催期間中は会場まで渋滞が起こり、途中であきらめて帰る人もいたといいます。その上来場者から「1回の週末だけではもったいない」という声が多かったことから、同祭委員会が協議し、2つの週末に開催されることが決定しました。今年は10万人以上の来場者が見込まれます。みなさん、モジ秋祭りの盛り上がりを大いにお楽しみください!ついでに大きな日系コミュニティーがあり、長い歴史に彩られたモジ市の観光もお楽しみください!! 第29回秋祭り 2014年4月5,6日、12,13日 土曜日、10時から23時 日曜日、10時から22時 お問合せ: (11) 4791-2022 www.akimatsuri.com.br

5月4日に老衰のためお亡くなりになった井料堅治さん(享年91)の初七日ミサが行われます 【日 時】5月11日(木)18時30分~【場 所】Paróquia São Francisco de Assis R. Borges Lagoa, 1209 – Vila Clementino, São Paulo – SP ご冥福をお祈りいたします 関連記事 – 訃報:井料堅治氏

文協総合美術展は、文協の美術委員会および工芸委員会によって、新人作家の育成と新進作家の発掘を目的に2007年から開催されています。昨年開催された第14回目の同展では、400を超える作品の応募作品の中から147名のアーティストによる279作品が選出され、文協文化ホールにて、それらの作品が展示されました。 本年度の第15回文協総合美術展は、ProAC(サンパウロ州文化活動プログラム)の支援を受け、10月に開催する予定です。それに向けた作品募集の受付は4月1日から開始、6月4日が受付最終日となります。 応募要項などの詳細については、3 月に、文協Web サイト (www.bunkyo.org.br) にて公開します。 お問合せ:工芸部門:artekoguei@bunkyo.org.br美術部門: artesplasticasbunkyo@gmail.com TEL: 文協事務局11 3208-1755 (担当-アウローラ) 2022年度 第14回文協総合美術展の作品は以下の通り。(画像をクリック)

写真:第66回パウリスタ表彰の受賞者 ブラジル日報協会(林隆治会長)主催の「第66回パウリスタ賞授賞式」が3月4日、文協大講堂で開催され、38名が栄に浴しました。この「パウリスタ表彰」は、1956年、現在の邦字新聞である「ブラジル日報」のルーツともいえる今は無きパウリスタ新聞が、勝ち負け抗争によって分断状態にあった日系社会の融和を図ることを目的に、同紙創刊10周年記念事業として立ち上がりました。 写真:お祝いの言葉を述べるゲストとして出席した石川レナト会長 開始当時は「農民賞」「文学賞」「スポーツ賞」の3部門から、それぞれの分野の発展に貢献した日系人を表彰していました。時代の変遷とともに、「スポーツ賞」はそのままで、現在は「社会功労賞」「文化功労賞」となり、対象範囲も拡大されました。 文協関係者の中からは、今回、以下3名が受賞しました。おめでとうございます! 文協第一副会長 西尾 ロベルト 義弘 氏 南米銀行やホーワ工業に勤務。元クレスル(Creasul)取締役。元南米銀行取締役。元レイテ・トスト・バロス法律事務所弁護士。現ブラジル日本文化福祉協会(文協)の第一副会長。法務委員長。ブラジル日本移民史料館運営副委員長。宮坂国人財団理事長。伯日文化社会統合協会会長。サンタクルス日本病院審議員。日伯文化連盟評議会書記。旧南米銀行関係者の懇親団体である「なぎさ会」審議会員。日伯比較法学会評議員。ブラジル日系ゴルフ連盟副会長。伯日文化社会統合協会を通じた日系社会への支援の他、文協や移民史料館への貢献が評価され、2018年12月、日本政府より2018年の外国人叙勲「旭日双光章」を受勲。2019年4月、サンパウロ市議会から「パウリスタ名誉市民賞」を受賞した。(ブラジル日報より) 文協前会長 呉屋 新城 春美 氏 元ブラジル日本文化福祉協会(文協)会長。ブラジル沖縄県人会理事。沖縄県生まれで1958年、家族とともに来伯。1977年、バレットス中央教育大学建設エンジニア学科卒業。1986年に公務員試験合格。マリオ・コバス政権時に、サンパウロ州税務局の情報技術部門の創設に尽力した他、局長補佐などを務めた。1990年、JICA研修生として訪日。元JICA研修生OB会長。ウチナー民間大使。(ブラジル日報より) 第1常任理事 ウエダ マサミ 氏 1969年サンパウロ市生まれ。ゴルフ歴40年。文協第1常任理事。2015年からファゼンダ・ダ・グラマ・ゴルフ&カントリークラブ理事。幼少期からアルジャーゴルフクラブで、様々な大会に参加した。(ブラジル日報より)

獣医として活躍した井料堅治さん(鹿児島県出身)が、5月4日の20時30分に老衰のためお亡くなりになりました。91歳でした。 去る2004年に、当時の小泉純一郎内閣総理大臣がご来伯された際に、1200人で埋め尽くされた文協大講堂での歓迎会の挨拶の中で「私にとってブラジルは外国ですが心情的には一番近い国なんです。」と話し、その理由として小泉首相が十代の時に親交が厚かったいとこの井料堅治さんがブラジルに移住したことを説明、「キャッチボールや勉強を教えてもらった。私にとって兄のような存在。いつかブラジルに行ってみたいと思っていた。」と話されました。それもあり、同氏は、文協では評議員会役員を務めるなど日系社会に対する貢献はもちろん、小泉純一郎元内閣総理大臣のいとことしても広く知られていました。 2023年5月5日(金)モルンビ墓地にて葬儀 午後3時に埋葬住 所: Rua Deputado Laércio Corte, 468 – Morumbi – São Paulo – SP 心よりご冥福をお祈りいたします

丹下セツ子先生 四十九日法要のお知らせ ブラジルで「丹下セツ子太鼓道場」を創設するなど日系社会の芸能分野において多大な貢献をされた丹下先生の四十九日法要が行われます 日 時:2023年5月7日(日)15時~ 場 所:文協ビル2階 貴賓室 丹下セツ子先生の記事はコチラ

文協の第二副会長の秀島マルセロ氏が、2023年2月1日の夜、共同経営するAlfa Alimentosの仕事から帰宅後、心臓発作により、自宅でお亡くなりになられました。53歳でした。妻と娘さんとの3人家族でした。 通夜は2月2日の14時~22時と3日の午前6時~午前8時、文協文化ホールにて行われました。(R. São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo 文協ビル地下1階) 葬儀は2月3日午前11時より、Jardim Horto Florestal墓地にて行われました。(Rua Luiz Nunes, 111 – Parque Ramos Freitas – SP) 秀島マルセロ氏 移民一世とは違い、日系社会に対して関心が薄くなりがちなブラジル生まれの日系人青年らを、上手くまとめていたのが青年時代の秀島氏でした。その人望と手腕を必要とした文協は秀島氏を招き入れ、早速秀島氏は、1997年の文協青年部の発足に際して、主導的役割を果たしました。その活動を軌道に乗せた後の2005年、今度は35歳という若さで文協の副会長に抜擢され、活動の幅を広げました。 以下、2006年11月25日に、文協貴賓室で行われた「文協創立50周年記念座談会」の冒頭に行われた参加者の自己紹介から抜粋します。 秀島マルセロ、36歳で既婚です。私の文化団体での活動は、 ツクルヴィ協会の日本語学校へ入った9歳の時から始まります。16歳でこの協会の青年会長になり、 イベントや各種競技の組織づくりを活発に行ない、 同協会の会長になりました。そして当時15団体を擁していたサンパウロ北部連盟に参加しました。統合こそ日系人の交流を促進し、 強化する手段だと考えるので、これは極めて重要な経験でした。ただ北部地区だけだったため他地区の団体は知りませんでした。そこで友人のグループとサンパウロ慈善インテルカイカンを設立しました。1994年にはサンパウロ各地にある11団体を集め、それが大きな交流の方法であると考え、1995年には16団体、スポーツ、文化、慈善など様々な部門の青年 1,200名をまとめました。1996年のイベント開催において、寄付のための食料品を19トン集めたときは最高の喜びでした。その後、林アンドレさんがいた文協の日系団体再活性化委員会に呼ばれ、議論したときに、将来の再活性化について、この委員会が所属している文協自体に青年がいないことを大いに話し合いました。そのため当時の山内会長は青年文協、現在の文協青年委員会を創立するため、 あらゆる支援をして下さいました。1997年のことで、当時の青年文協は青年団体リーダーたちの集りで、アイデアを交換する場でもありました。この交流は極めて健全であると考えたので1999年に役員になったとき、 ABEUNI、ASEBEX、 青年会議所、 文協青年委員会と慈善インテルカイカンの5団体の会長で、これらの団体を統一し、 それぞれのメンバーの育成を一層強化し、 共同活動を通じて日系社会および社会一般のために何かを促進するグループを結成するアイデアが生まれました。このアイデアの推進者であった林アンドレさんは、文協の政策を議論するため、 ABEUNI、 ASEBEX、青年会議所と青年文協を召集し、 私も再活性化委員会のメンバーとして参加しました。こうして結成したG5の統合は極めて重要であったと思います。2000年には5団体の会長が集って連合会を作り、 現在まで続いています。この間、 私は希望の家※に呼ばれ、 その第1副会長ををしており、 文協、 交流協会にも参加しております。 ※重度知的障害者が入居する福祉施設「希望の家福祉協会」 (2007年4月発行 ブラジル日本文化福祉協会創立50周年記念「文協50年史」より抜粋) このような秀島氏を、誰もが、近い将来、ブラジル日系社会全体を牽引する指導者になるだろうと信じて疑いませんでした。 その秀島氏の、突然で、そして早すぎる逝去の報は、日系社会全体にどれ程の衝撃と悲しみを与えたかは、言うまでもありません。 急遽開催した文協文化ホールでの通夜には、次から次へと届けられた77基の花輪で会場が埋め尽くされました。そして弔問客も途絶えることがなく、約1000人※が来館し、秀島氏との最後の別れのひと時を持ちました。※受付で記帳した方々は約600名ですが、記帳のために大勢の人々が並んでいたため、記帳をせずに帰られた方も沢山いらっしゃいました。また家族で来られた方は殆どが代表者1名のみの記帳でしたので、弔問客はゆうに1000人は超えていると推測します。

写真:左から照屋ウーゴ新会頭 , 関口ひとみ文協顧問 , 岩本レアンドロ前会頭 ブラジル日本青年会議所(JCI Brasil-Japão、JCIBJ)は、2月13日に「2023年役員就任式」を文協貴賓室で開催、照屋ウーゴ新会頭(三世/34歳/弁護士)の就任を、集まった150人が祝しました。 照屋ウーゴ氏は、2010年に沖縄県人会ビラカロン支部の青年部のリーダーを務めて以来、日系社会とのつながりを維持しています。もともとサンパウロ大学生援護連盟(ABEUNI-Aliança Beneficente Universitária de São Paulo)※で活動しており、ブラジル日本青年会議所には2014年から所属。文協には、2019年から文協青年委員会の活動に加わるようになり、現在は文協理事会の専任理事を務めています。 ※ABEUNIは、50年代から活動していた日系医学生を中心とした「ABENIBRA」(日伯援護協会の大学生支部)が前身となる団体で、サンパウロ州の貧困地域、孤児院などで医療や教育のボランティア活動を行っている。前身のABENIBRAでは、日系人に対して無料健康相談を行っていたが、その枠を取り払いサンパウロ州全土の住民へとその対象範囲を拡大した。また、日系の医学生が中心だった活動メンバーの枠も広げ、学生もしくは学位取得者であればどの分野の専攻でも参加できるようになった。 照屋ウーゴ 新会頭 所信表明 新任の挨拶にたった照屋新会頭は、まず、前年度の岩本レアンドロ会頭とその執行役員らの労をねぎらい感謝の言葉を述べました。 そして、前執行役員が開始したプロジェクトを今後責任を持って展開していくと話しました。 また、日系団体およびスポンサーとの関係強化を図り、その上で、ブラジル日系団体とつながりのある学校との共同行動を模索し、次世代を率いる青年層のリーダーシップ資質向上のために、弁論練習の重要性を学校関係者に認識させる活動をしていきたい、と述べました。 また、会場に駆け付けた両親に対しては、夢を実現し続けられるよう常に最高の環境を提供するために努力してくれたことに、また、婚約者であるタミレスさんに対しては、いつもそばで励ましてくれることに対し、心からの感謝の意を表しました。 写真:左から婚約者のタミレスさん , 父親のイサオさん , 母親のマサコさんとウーゴ新会頭 そして最後に、照屋新会頭が兄のように慕っていた、2月1日に急逝した秀島マルセロ氏が、生前、常に語っていた言葉を引用し、所信表明を締めくくりました。 ベストを尽くそう! どんなことでも、簡単なことでも、常にベストを尽くそう。 どんな簡単な仕事でも、どんなことでも、常にベストを尽くそう!
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