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日本館

ブラジルのサンパウロにあるイビラプエラ公園は1954年、サンパウロ市政400周年を記念して、建築家のオスカー・ニーマイヤーと造園家のプレレ・マルクスの設計で造られた公園で、サンパウロ市内の南部に位置します。日本庭園や近代美術館、スポーツフィールド、ジョギングコースなどがあり、週末には家族連れやスケートボード、サイクリングなどを楽しむ人でにぎわいます。園内では数多くの水鳥の群れを観察でき、美術館や施設で楽しむこともできます。約120ヘクタールの広大な敷地内に、大小の池や広大な芝生や様々な施設がちりばめられており、その為に屋外コンサートの会場としてもよく使用されます。1990年に総合体育館で大相撲ブラジル場所が開催されました。 この中には、同祭を記念して日系コロニアが寄贈した数寄屋造りの「日本館」があります。同館には50数点の美術品が展示されているほか、日本的な各種催物(生け花、茶道等)会場として利用されています。また、1980年5月からは、ブラジル錦鯉愛好会の協力で池に錦鯉が放たれ、人気を呼んでいます。なお「日本館」の前には、当国で他界した多くの日本人移住先駆者の霊を慰めるため本邦及びコロニア有志の寄附により建設された「開拓先没者慰霊碑」があり、揮毫は田中角栄元総理によります。公園近くには、サンパウロ州議会をはじめ、1932年のサンパウロ州による護憲革命記念の塔、奥地探検隊(バンデイランテス)の石像などがあります。 日本館の設計は日本の建築学界の大御所、東京大学教授堀口捨巳博士によって行なわれ、木材や石材など必要な資材もすべて日本から取り寄せられました。京都市西京区桂にある歴史的建造物である桂離宮(離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意)をモデルとして建築されました。桂離宮は1620~1624年、徳川幕府時代に建築され、天皇の夏の別荘地として使用されていました。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の(王朝)文化の粋を今に伝えています。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされています。 桂離宮と同様、日本館は平安時代の貴族や武士の住宅様式「書院造」となっています。寝殿造では十分でなかった間仕切りが書院造では大いに発達し、引き違いの建具によって分けられた畳を 敷き詰めた室(座敷)が連なり、その室の床には高低差が付けられ、一段高い主室を上段、ときには上々段と呼び、低い室を下段と呼び席による階級差を明瞭に 示します。主室には、書院、押し板、棚、納戸構(帳台構・武者隠し)が設けられ、それらの壁には淡彩や濃彩の障屏画が描かれ上段に座す高位者を荘厳 しました。 1954年のイビラプエラ公園における日本館の建設の際には、多くの日本移民が自発的に働き、建設のために大きな貢献を果たしました。サンパウロ市では、日本館のような純日本的な建築物の管理をしたことがなかったため、建物の管理と各種のイベントの企画、運営は寄贈されたその時からブラジル日本文化福祉協会(文協)に一任されています。また、うれしいことに1997年にはサンパウロ市の文化財に指定されました。そうです、日本館は日本・ブラジル両国間の友情の象徴となっているのです。 日本館は日本の伝統的な建築様式を踏襲して建てられており、同館を訪ねた人々は、異国情緒豊かな建物の他、日本庭園や錦鯉、日本の伝統工芸品などを堪能することができます。日本館、一見の価値ありです!どうぞみなさん足をお運びください。巨大都市サンパウロの喧騒に疲れたとき、日本が恋しくなったときは、この日本館でゆったりとした時間を過ごし、癒しのひと時をお楽しみください。 鯉の池 日本館と一体となっている鯉の池はとても美しい。320匹の鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。 茶室 茶道の儀式が行なわれる茶室。一般的に、質素で静かなものを意味するわび・さび(侘・寂)は、日本の美意識の1つ。 みなさんも、この茶道の精神で気分を一新するのはいかがですか。 展示室 日本館の管理と保存を委任されているブラジル日本文化福祉協会(文協)は日本の伝統的な工芸品を集めた様々な展示を行なっています。ひな祭り、こどもの日、日本伝統音楽や舞踏などの発表会をも開催しています。日本文化を感じたい方、ブラジルで育った子供たちに日本の文化を教えたい親御さん、是非お立ち寄りください。 日本館 場所: イビラプエラ公園 – 10番ゲート Av. Pedro Álvares Cabral, s/nº – São Paulo – SP 営業: 水曜、土曜、日曜、祝日 時間: 10時から12時、13時から17時 お問い合わせ: (11) 5081-7296 ou pavilhao@bunkyo.org.br 大人料金:  R$ 10,00 60歳以上の方: R$ 5,00 (Lei 10.741/2003 – Estatuto

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ブラジル日本移民史料館

みなさんはブラジル日本移民の歴史をどれほどご存知でしょうか。 ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、現在約150万人の日系人が住むといわれています。どのようにしてこれほど巨大な日系社会が地球の反対側であるブラジルに存在するようになったのでしょうか。〔疑問1〕 1908年に781人の日本人が東洋汽船「笠戸丸」で神戸港を出港し、長旅を経てサンパウロ州のサントス港に到着し、その後サンパウロへ鉄道で移動し、コーヒー園へと向かいました。「皇国殖民会社」が移民で希望者を募る際に、ブラジルでの高待遇や高賃金をうたったために、移民のほとんどは数年間の間コーヒー園などで契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりでした。しかし、先に移民して来たイタリア人の場合と同じく、日本人移民も奴隷解放令に伴う労働力不足を補うために導入されたもので、法律上の立場こそ自由市民でしたが、ほとんどのコーヒー園での実生活は奴隷と大差のないものでした。居住環境は悪く労働は過酷で、賃金の悪さなどの待遇が悪かったために、帰国のための貯金どころではなく借金が増える一方でした。日系移民の間では移民計画を「棄民」(日本国に棄てられた民)と呼ぶ自虐の声がでるほどでした。 この様な待遇の悪さや賃金の悪さから、皇国殖民会社に対して帰国を申し出る者が増え、ストライキや夜逃げも多く発生し、リオ・デ・ジャネイロ州などの近隣州やアルゼンチンへと渡る者もあらわれ、1909年に外務省の野田良治通訳官が調査した結果、笠戸丸で移民し、当初契約したコーヒー園に定着したのは全渡航者の4分の1のみであったと報告されています。このような非常に厳しく過酷な状況の中で、日本人はいかにしてブラジルで生き残り、100年以上に渡る日系社会の歴史を築いてきたのでしょうか。〔疑問2〕 近年、日系ブラジル人2世、3世は、その勤勉さと教育程度の高さから社会的地位が高い職業についているケースが多く、上記のような政界や官界、経済界の中枢のみならず、医師、弁護士、技師、地質学者、教員、芸術、文化、スポーツ等を含む広範な分野に進出し、ブラジルの発展に大きく貢献したと高く評されています。なお、ラテンアメリカ諸国全体で見ても屈指の大学とされるブラジルの最高学府サンパウロ大学の 学生のうち、かつては約15パーセントが日系ブラジル人の子弟であり、教員の約8パーセントが日系ブラジル人でした。1パーセントに満たない日系人の人 口比からみて、それがいかに高いものかがわかります。 高度経済成長期前後に多くの日本企業がブラジルに進出した際には、日系ブラジル人がその先導役を務めただけでなく、日 本人移民や日系ブラジル人がブラジルに作り上げた「日本人は勤勉」、「日本人は信用できる」という評価が、日本企業のブラジル進出と市場への浸透を容易に したことは間違いありません。非日系ブラジル人は日系人たちに最高級の評価を与えているのです。いかにして日系人たちはブラジル国においてこれほどの成功を収めてきたのでしょうか。〔疑問3〕 これらすべての疑問の答えは文協ブラジル日本移民史料館にて知ることができます。どうぞ、100年を超えるブラジル日本移民の壮絶な戦いとその勝利を史料館にてご自分の目でご覧ください!! お問い合わせ 「ブラジル日本移民史料館―常設展」(7、8、9階) 営業時間: 火曜日から日曜日、13時半から17時半 (月曜日休館) 大人料金: R$ 16,00 学生手帳をお持ちの方: R$ 8,00 ・ 5歳から11歳までのお子様: R$ 8,00 5歳未満の幼児: 入場無料  ・ 60歳以上の方は半額: R$ 8,00 (Lei 10.741/2003 – Estatuto do Idoso) 「図書館収蔵庫*/事務所」 (3階) 火曜日から土曜日 9時から17 時半 日曜日・月曜日は休館です。 *図書収蔵庫の図書及び資料は、検索依頼状をメールにて事前に申し込み、閲覧室でのみ可。同じく資料収蔵庫も事前に研究プラン、あるいは見学希望をメールにて申し込むこと。 ガイド付き見学の予約 (50人の団体様、60分まで – 火曜日から金曜日) ガイド料金: R$ 150,00 問い合わせ:

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第9代会長 岩崎秀雄 1999年4月~2003年3月

1922年3月1日、東京で生まれる。1935年、家族と共にサンパウロ州リベイロン プレットに入植、次にリオパルド デ サンタクルスで働きました。 1937年に家族とサンパウロに移転、1940年、日本の総領事館で働き始めて、間もなく、第二次世界大戦の勃発のために閉鎖されました。 1945年から26年間ジュケリー農業組合(後の南ブラジル農産組合中央会)で働き、1971年、常任理事の時に辞職しました。1977年、三井肥料株式会社に営業取締役として就任し、1985年の退職まで、多忙な日々を過ごしました。 1981年から1993年、サンパウロ日伯援護協会で重要な職務に携わりました。他にもブラジルゲートボール連盟副社長、1995にはブラジル東京都友会会長も務めました。 1999年、日系社会は移民史上最も難しい舵取を求められた時期に、ブラジル日本文化福祉協会の会長に就任、平成10周年の記念事業にブラジル日系社会の代表として訪日しました。2000年には、懸案事項の戦後に焦点を当てた増床展示室の建設が、ブラジル日本移民史料館9階の戦後50年史常設展として落成式を迎えました。2003年、勲四等旭日小綬章を受章しました。 理事会 会長: 岩崎 秀雄 (1999-2002) 第1副会長: 二宮 正人 (1999-2002) 第2副会長: 志村 豊弘 (1999-2002) 第3副会長:  西銘 光男 (1999-2002) 第4副会長: 深田 要一 (1999); 高橋 信夫 (2000-2002) 第5副会長:  伊藤 実 (1999-2000);中村 和右 (2001-2002) 専任理事: 山下 譲二 (1999-2002) 第1常任理事:尾西 貞夫(1999-2002) 第2常任理事:  中村 和右 (1999-2000); 宮城 滋  (2001-2002) 第3常任理事:  高橋 信夫 (1999); Juniti Miyahara (2000); 林 アンドレ

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第8代会長 山内淳 1991年4月~1999年3月

1931年9月20日、サンパウロ州アラサツーバ市で生まれる。1959年、マッケンジ大学工学部電気科と土木科を卒業し、1984年に会計科を卒業しました。 1960年から1966年まで、日立製作所に勤務し、1973年、日本の協和電設と合弁でボビエル・キョウワ株式会社を設立。1990年まで社長に就任しました。 1957年の大学在学中から柔道スポーツ連盟とブラジル日本文化協会(文恊)に積極的に関与しました。文恊では長年にわたり委員や理事として活動し、1991年、二世で初めて会長に就任しました。 1991年から、日系社会、ブラジル社会、日本との交流を対象とした活動を3本柱として確立すべく、文恊の活動を見直す必要性を強調し,日系団体代表者会議を始め、 1995年、JICAの委託事業から文恊独自の事業となりました。また、1996年から全伯日系青年リーダー会議が毎年開催されるようになりました。 任期中、出稼ぎ現象に関するシンポジウムは、大きな反響を呼び、二世、三世の日系社会離れや、出稼ぎ現象で空洞化する「日系社会の未来を考える」シンポジウムの開催に繋がりました。また、文恊内に初級日本語講座を開設し、1996年、橋本龍太郎総理の来伯時に、日伯学園の建設支援を日本政府に要請、見事に建設の運びとなりました。2003年、勲四等瑞宝章を受章しました。 理事会 会長: 山内 淳 (1991-1998) 名誉会長: 尾身 倍一 (1991-1998) 第1副会長: 坂口 孟 (1991-1992); 二宮 正人 (1993-1998) 第2副会長: 二宮 正人 (1991-1992); 吉田 哲夫 (1993-1994); 勝屋 岩雄 (1995-1996); 志村 豊弘 (1997-1998) 第3副会長:片山 和郎 (1991-1993); 谷口 出穂 (1995-1996); 勝屋 岩雄 (1997-1998) 第4副会長: 谷口 出穂 (1991-1994); 志村 豊弘 (1995-1996);篠又 幸一郎 (1997-1998) 第5副会長:

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第7代会長 尾身倍一 1983年3月~1991年3月

1921年7月5日、東京で生まれる。1932年にブラジルに来伯、1949年まで、農業に従事し、その後スブルバーナ産業組合に就職しました。1953年、尾身兄弟商会を設立して、事業家としての道を踏み出しました。 1967年、サウージ文化体育協会を設立、1978年には、こどもの園(身体障害児療養施設)の理事長に就任、1969年以来、ブラジル日本文化福祉協会(文恊)の理事を歴任し、常に日系社会の活動に携わって来ました。 1983年に文恊の会長に就任、全伯の日系団体との連携を強化するため、全伯日系団体代表者会議の開催を提議し、1984年に室内体育館と駐車場を含む別館、小講堂、図書館、展示室を建設するため委員会を結成しました。 日本とブラジル日系企業の財政支援のおかげで、1987年には、室内体育館、1988年には別館と駐車場など、すべての施設が完成しました。 特に、1988年のブラジル日本移民80年祭では、祭典委員長としての重責を果たしました。1993年、日本政府より勲四等瑞宝章を受章しました。 理事会 会長: 尾身 倍一(1983-1990) 名誉会長: 中沢 源一郎(1983-1984); 相場 真一 (1989-1990) 第1副会長: 井上 忠志 (1983-1986); 水本 毅 (1987-1988); 山内 淳 (1989-1990) 第2副会長: 水本 毅 (1983-1986 e 1989-1990);  酒井 清 (1987-1988) 第3副会長: 武藤 一郎 (1983-1986); 花田 好二 (1987-1988); 酒井 清(1989-1990) 第4副会長: 酒井 清 (1983-1986); 片山 和郎 (1987-1988); 花田 好二 (1989-1990) 第5副会長: 若林 輝男 (1983-1986);瀬尾 正弘 (1987-1988); 片山 和郎 (1989-1990) 専任理事: 山内 淳(1983-1988); 菊地 ルイ (1989-1990)

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第6代会長 相場真一 1979年4月~1983年2月

1908年2月17日、北海道で生まれる。1930年、家族と共に農業移住し、アリアンサ移住地(現在サンパウロ州北西部)の富山移民組合で2年間働きました。 1933年、サンパウロに出て、1934年に創立間もないブラジル拓殖組合(ブラ拓)の宮坂専務理事の誘いで就職、1938年にはサンパウロ本部経理部長に就任しました。 1947年から南米銀行の再建に献身し、南米銀行グループ経営審議会会長、南米安田保険(株)社長を歴任しました。 在任中、ブラジル日本文化協会(文恊)が日系社会の中心的機関でありながら、会員数が少なすぎるとして、全伯の日系文化団体の会員加入促進運動を展開しました。その結果、任期中に会員数は目標の5000人に達し、文恊の財政再建に大きく寄与しました。 また、スポーツを通じて、二世や三世が文恊活動を再認識でき、かつ優秀な後継者の育成ができるとの信念から、総合スポーツセンター建設計画に、熱心に取り組みました。 この時期、スポーツセンター建設資金として、会長自身の所有地10万平方メートルを寄贈しました。スポーツセンター建設計画を発表するに当たり、「日系社会は常時なさなければねらない大事業を持つべきだ」と日系社会活性化論を力説しましたが、最悪なブラジル経済の状況下にあって、その建設計画を着工することはできませんでした。1986年、勲三等瑞宝章を受章しました。

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第5代会長 中沢源一郎 1975年4月~1979年3月

1907年5月23日、高知県で生まれる。東京大学文学部教育学科を卒業して3年後、1933年に来伯しました。 1934年から1939年まで、サンパウロ州ジュケリ(現在マイリポラン)で農業に従事、乞われて日本語学校の教師を半日務めました。1939年、ジュケリ農産組合(1954年から南ブラジル農業協同組合中央会と改称)の専務理事に就任し、1973年まで在任、以後1984年に永眠するまで、理事長の要職にあたりました。 1954年、サンパウロ市創立400年祭協力委員会とサンパウロ日本文化協会(文恊)創立準備委員会の活動に参加しました。 1961年の創業以来、1975年にサンパウロ日本文化福祉協会の第5代会長に就任するまで、日本移民援護協会(後のサンパウロ日伯援護協会)の会長として、運営の中心で日系社会の福祉事業の基礎作りに粉骨砕身しました。 特筆すべきは4年間の在任中に、ブラジル日本移民70年祭典、ブラジル日本移民史料館の建設、文恊ビル4階?8階の増築と言う大事業を完遂したことでしょう。1979年勲三等旭日章を受章しました。

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第4代会長 延満三五郎 1971年4月~1975年3月

1909年8月8日、広島県で生まれる。 1933年、鐘紡(後のカネボウ株式会社)に入社し、以降 南米各国での綿の輸出業務に携わる中で、ブラジルとの関係が始まりました。 戦後、ニューヨーク鐘紡社長時代に、本社からブラジルに鐘紡工場創設の指令を受け、1954年に来伯、社長として多忙な日々を送りました。 到着以来、ブラジル日本文化協会の活動に加わり、その後第2会計理事、第1常任理事、第1副会長と歴任し、歴代会長を補佐してき来ました。 会長としては、1971年から特に文化事業の充実に力を注ぎ、美術、音楽、生け花の各委員会を組織して、積極的に文化事業を推進しました。 1970年、サンパウロ工芸作家協会の会長に就任し、工芸委員会を設置して以来、工芸展は毎年続けられています。 1972年、ブラジル独立150年祭日系協力委員会を発足させ、委員長として、第1回国際民族舞踊大会を開催、11カ国の参加を得て大成功を収め、今では文恊の目玉事業の1つになっています。 また、特筆すべきは、150年祭の記念業事として、中断されていた聖美会主催のコロニア展を、サロン文恊として、再発足させたことでしょう。 理事会 会長: 延満 三五郎 (1971-1974) 名誉会長:宮坂 国人 (1971-1972) 第1副会長: 竹中 正 (1971-1974) 第2副会長:宮本 邦弘 (1971-1974) 第3副会長:井上 忠志 (1971-1974) 第4副会長:内山 良文 (1971-1974) 第5副会長:橘 富士雄(1971-1974) 専任理事: 山内 淳 (1971-1974) 第1常任理事: 和田 周一郎(1971-1974) 第2常任理事: 藤井 素介 (1971-1974) 第3常任理事:笹谷 新市 (1971-1972); 永島 倫二 (1973-1974) 会計専任理事: 永島 倫二(1971-1972); 笹谷 新市(1973-1974) 第1会計理事: 田中

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第15回文協総合美術展 – 応募作品受付中!(〆切6月4日)

第15回文協総合美術展は、ProAC(サンパウロ州文化活動プログラム)の支援を受け、10月に開催する予定です。作品募集の受付は4月1日から開始しており、6月4日が受付最終日となります。 ふるってご応募ください! 応募規定(ポルトガル語): https://www.artebunkyo.com.br/edital お問合せメール:15gebunkyo@gmail.com 文協事務局:(11)3208-1755

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公益財団法人海外日系人協会より、以下のお知らせが届きました

公益財団法人海外日系人協会より、以下のお知らせが届きました 本年も、当協会では、6月20日の「国際日系デー」をより広く、より多くの方々に知っていただくための活動として、国際日系デーのイベントを開催しています。 今回は、「クイズ!NIKKEI around the WORLD」と題したイベントを企画しました。 世界各地の日系社会にまつわるあれこれをクイズにして出題しています。 主に日本国内へ向けたPRイベントのため、日本語のみによる出題と配信となり恐縮ですが、海外からもご参加いただけますと幸いです。 ぜひとも挑戦してみてください。 クイズの回答を6月14日までにフォームで送付いただき、 6月18日にZoomで配信するライブイベントで、答え合わせと解説をお楽しみください! (日時は日本時間です) ▼イベントの詳細・参加方法(クイズの回答送付)はコチラから!! https://jadesas.or.jp/jp/kouryu2/ みなさまのご参加、お待ちしております!!

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「第52回山本喜誉司賞」推薦受付開始 〆切は6月16日

山本喜誉司賞とは この賞名の由来となった山本喜誉司氏は、コーヒー栽培の害虫駆除に有効なウガンダ蜂の研究で、ブラジル日系社会はもとよりブラジルにおける農業の分野で多大なる貢献を成し、母校東京大学から農学博士を授与された方です。 また同氏は文協創設者の一人であり、初代会長としてブラジル日系社会をまとめた人物でもありました。 そんな山本氏が何より熱意を傾けていたのが、農業分野における日系人後継者の育成でした。 この志を引き継ぐべく、1965年にブラジル農業技術研究協会(ABETA)は農業分野で貢献のあった日系人の個人や団体を顕彰する山本喜誉司賞(PKY)を開始しました。1999年にはABETAから文協へと託され、すでに168名の日系人または日系団体を顕彰しています。現在、同賞は、ブラジルの農業部門における最も伝統的な賞のうちの一つとなっています。 写真:昨年2022年の「第51回山本喜誉司賞授賞式」の様子 農業分野の日系人功労者を顕彰する「第52回山本喜誉司賞」推薦受付開始 申請〆切:6月16日 選考基準 以下のいずれかに該当し、かつ2団体以上から推薦を受けること。 ◆技術革新への貢献◆独創性・創意への先駆的貢献◆農業者が獲得した成果の波及への貢献◆財政・経済的成功による農業分野での貢献◆環境保全への貢献◆地域社会での活躍や社会への貢献 詳細およびお問い合わせ 電話:文協事務局(011)3208-1755 (担当 :ルーカス)メール:evento@bunkyo.org.br   なお、授賞式は2023年10月27日(金)文協ビルにて開催を予定しています。 沢山のご応募をお待ちしております。

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文協役員改正選挙 石川レナト現会長がシャッパを提出

写真:石川レナト現会長が文協音楽委員会の原沢カルロス委員長(右)を伴い、自身のシャッパ「JUNTOS(共に)」を提出、中島事務局長および職員の今本がその出馬申請書を受け取った。 石川レナト現会長が、4月19日の午後、文協役員改正に向けた選挙に対する出馬申請書を提出しました。 来たる4月29日(土)の第162回評議員会定例会において信任投票が行なわれ、正式に新役員の発足となります。  なお、提出されたシャッパ「JUNTOS(共に)」は以下のとおりです(敬称略)。 理事会 会   長 :  石川 レナト第 1 副会長 :  西尾 ロベルト 義弘第 2 副会長 :  佐々木 ヴァルテル第 3 副会長 :  和田 ロドルフォ第 4 副会長 :  山下 リジア 玲子第 5 副会長 :  山村 シルビオ第 6 副会長 :  ウエダ ・マサミ第 7 副会長 :  平野 オストン専 任 理 事

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文協評議員選挙 結果発表!

去る2023年3月25日、51名(内委任状18名)の出席のもと開催された第59回定期総会にて、文協評議員選挙の開票が行われました。 写真:挨拶する文協の選挙管理委員会木多喜八郎委員長と立って並ぶ委員会のメンバー 午前9時、議長に頃末アンドレ氏、書記に和田ロドルフォ氏が指名され、総会が開始されました。石川レナト会長、山下譲二評議会会長の挨拶の後、選挙管理委員会の木多喜八郎委員長および、イナマタ・レオナルド・ヒデキ、宮原ネルソン、山崎リカルド、佐々木リカルド・キヨシ、小田・押本セルジオ委員らの調整により開票が始まりました。郵送もしくは直接事務局まで届けられた投票用紙は全部で 227 票でしたが、1票は白紙、2票は規定に外れたため無効となり、有効票は224票となりました。   選挙管理委員会の調整の下、文協青年委員会のメンバーであるイトウ・ダグラス・ミツユキ、ギマラエス・マイコ、ナカマ・レティシア・ユキミ、スギモト・マリアンヌ・アケミと事務局員により、全ての票をデジタル入力する作業が行われました。 78名の立候補者の中から50名の正評議員及び25名の補充評議員が以下の通り決定しました。任期:2023年4月から2027年4月まで

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99歳の方はいませんか!2023年度 白寿者表彰(1924年生れ)🏅申請〆切は5月5日

写真:2022年6月19日に行われた白寿者表彰式より 1924年(大正13年)生まれの方 今年度も文協は、満99歳の方々を祝賀する「白寿者表彰」の準備を始めています。 今年度は1924年(大正13年)生まれの方が白寿を迎えますが、過去に白寿を迎えたものの、まだ表彰されていない方も対象となっています。 みなさんのご家族や知り合いの中に該当者がいれば、最寄の日系団体に連絡するか、もしくは、直接、下の申請用紙をダウンロードのうえ必要事項を記入し、3×4の写真1枚とRG(もしくはRNE)などの証明書類のコピーとともに、5月5日(金)までに文協へe-mail に添付、または 郵送にてお送りください。 なお、白寿者表彰式は文協大講堂にて2023年6月17日(土)10時~を予定しています。 申請用紙 Formulário de inscrição ( Excel ) 申請用紙 Formulário de inscrição ( PDF ) 問い合わせ: TEL : (11) 3208-1755 (担当 ルーカス)E-mail:  evento@bunkyo.org.br

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広告掲載募集中:文協年鑑誌-BUNKYO NEWS コロニア –

BUNKYO NEWS コロニア とは 「ブラジル日系社会の中心的機関としてブラジルにおいて日本文化の継承と普及を促進すると共に、日本においてはブラジル文化の紹介と普及に務める」という弊会の理念のもと実施した活動記録誌で、 1956年から年に1回発行しており、次号で第146号となります。 同誌は日伯両語で出版され(カラー印刷、108ページ)、国内外の会員、日本とブラジルの政府機関および関連団体、中南米の日系団体などへは郵送、当会に表敬訪問で来られた各国要人には必ず手渡しで贈呈するなど、発行部数は1500冊となっております。(無料配布) またそれだけでなく、出版物の内容は、ウェブサイトおよび文協のソーシャル ネットワーク (Facebook および Instagram) にも掲載しています。 特典として、カバー広告主は、6 か月間、文協の Web サイトおよびBunkyo e-ニュース (月間メルマガ) に会社のロゴを掲載。 参考:BUNKYO NEWS コロニア第145号 広告掲載に関するお問合せ:担当 今本  正美  (11) 3208-1755  e-mail atendimento@bunkyo.org.br                 

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