初代会長 山本喜誉司 1955年12月~1963年7月
1892年9月17日しました。三菱グループの創始者である岩崎家族の指示を受けて、1927年カンピーナスに農場を購入しました。 農場経営に専念した結果、コーヒーの木を害虫被害から守るための天敵ウガンダ蜂の導入で成功を収め、この研究論文で、東京大学から博士号を授与されました。その後、東山事業の総支配人に昇任しました。 第二次世界大戦では、東山事業は、連邦政府の介入を受けました。敵国人資産凍結(1959年10月にも発生)の解除運動では、陣頭に立ち、1947年を網羅した “懇談会”を結成し政局打開に努めました。 また日本の敗戦による日系社会の混乱の収拾のため、日系有力者の間で展開された“時局認識運動”にも参加、この運動がやがて母国に対する戦災救済会の結成に繋がりました。 1952年の日本館を建設するなど、全力を傾注しました。その後、ブラジル日本移民50年祭(1958年)に向けて発展的解散をし、サンパウロ日本文化協会創立準備委員会として活動し、1955年(1968年 ブラジル日本文化協会に改称) その初代役員の面々は、会長に山本喜誉司、副会長に中尾熊喜、須貝アメリコ、評議委員会会長に宮坂国人でした。1960年代には本拠地を建設するための60のPR活動を始め、1963年7月31日に、日本文化センター(協会ビル)第1期工事の完了を目前に肺がんのため亡くなりました。 理事会 会長: 山本 喜誉司 (1955-1963/6) 第1副会長: 中尾 熊喜 (1955-1963/6) 第2副会長: 須貝 アメリコ (1955-1958); 中沢 源一郎(1959- 1963/6) 第3副会長: 井上 忠志 (1959-1962) 専任理事: 平田 進 (1959-1960); 竹中 正 (1961-1963/6) 第1常任理事: 井上 忠志 (1955-1958); 竹中 正 (1959-1960); 平田 進 (1961-1962); 延満 三五郎 (1963/1-1963/6) 第2常任理事: 平田 進 (1955-1958 e 1963/1-1963/6); 須貝 アメリコ (1959-1962) 第3常任理事:竹中 正 (1955-1958);











