第3代会長 宮坂国人 1965年3月~1971年3月
1889年7月15日、長野県で生まれる。1913年~1919年までペルーに在住し、邦字新聞”アンデス時報”を発行。これがラテンアメリカ最初の邦字新聞と言われています。 1927年、政府の指導に従い、地方に “海外移民組合連合”を設立し、1931年には、会長・理事長に平生釟三郎、専務理事に宮坂国人が抜擢され、有限会社ブラジル拓殖組合(ブラ拓)を設立しました。 1932年、この現地機関の専務理事として来伯しました。まず手掛けたのは、チエテ(現ペレイラ・バレット)、バストス、アリアンサ、トレス、バラス(現アサイ)4移住地の経営で、4移住地の総面積約8万ヘクタールに諸施設を建設し、営農指導を行って移住者を定着させることを目的としました。 1937年、日南産業株式会社を設立し、会長に平生釟三郎、専務取締役に宮坂国人が就任。ブラ拓の専務理事を兼務して移住事業と関連事業を推進し、やがて南米銀行の前身“ブラ拓銀行部”が発足、1940年、南米銀行が設立されました。 1955年、山本喜誉司と共に、2人の署名を持って組織設立を公表し、文恊設立を推進しました。文恊設立時には、評議委員会会長として多忙な日々を送りました。 1965年、第3代文恊会長に任命された後、日系社会の文化活動を行うために、“100万コント基金を設定、大講堂の建設、日語普及とモデル校の創立”と言う宮坂構想を提唱しました。 1970年9月、大講堂の落成式が会長の手によって行われました。 1972年、公職から身を引き、日本へ帰国しましたが、再び終焉の地ブラジルで、1977年、永眠しました。 理事会 会長: 宮坂 国人 (1965-1970) 第1副会長: 井上 忠志 (1965-1966); 延満 三五郎 (1967-1970) 第2副会長: 延満 三五郎 (1965-1966);宮本 邦弘(1967-1968); 竹中 正(1969-1970) 第3副会長: 平田 進 (1965-1966); 井上 忠志 (1967-1968); 宮本 邦弘(1969-1970) 第4副会長: 井上 忠志 (1969-1970) 第5副会長: 内山 良文(1969-1970) 専任理事: 竹中 正 (1965-1968); 今野 功 (1969-1970) 第1常任理事: 斉藤 広志 (1965-1966); 九十九 利雄











