Ultimas Publicações

図書館

文協巡回図書館は文協団体創設後間もなく設立されました。現在60000冊という膨大な数の本を収用しています。大半が日本語ですが、ポルトガル語の本もあります。 とりわけブラジル日系社会関連のテーマを扱った本をたくさん取り揃えています。新聞、雑誌、辞書、書籍(世界文学、日本文化、小説、スポーツ、健康、農学、産業、社会学など)、漫画、ビデオも充実しています。文協サイトにも載せられているように、最近行なわれた贈与によって漫画のバライティーが非常に豊かになりました! 貸出しは文協の会員に限られています。 本の貸出し 一人5冊までで、期間は2週間まで 文協図書館 場所: Rua São Joaquim, 381 – 2º andar do prédio anexo – Liberdade – São Paulo-SP(地下鉄サンジョアキン駅より徒歩5分。駐車場あり→Rua Galvão Bueno, 540) 営業時間: 火曜日~土曜日:9時~17時半 お問合せ: (11) 3208-1755 (内線128) ブラジル移民に関するテーマを扱った書籍に関する情報を知りたい方はここをクリック→ ACERVO

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事務局

文協事務局はそれぞれの委員会と協力して様々な活動を組織し、特別なイベントを共催します。 場所: Rua São Joaquim, 381, térreo – Liberdade – São Paulo-SP受付時間:月曜から金曜、9時から17時半まで問合わせ: (11) 3208-1755 ou atendimento@bunkyo.org.br

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文協国士舘公園

サンパウロ市から51キロ西方面に位置するサンロッケ観光指定都市にある国士館大学スポーツセンターは、ブラジルと日本の交流のすばらしい光景をわたしたちに見せてくれる施設です。 日本の国士館大学によって設立されたスポーツセンターは、1997年に文協に寄贈され、58 ヘクタールという広大な敷地の一部は、いまだに大西洋岸森林地帯に属する原生林で覆われています。自然に囲まれたスケールの大きな土地で多くの人たちが心地よい時間を過ごしています。 主な建造物は武道各種の稽古場として建てられた体育館ですが、その他にも、マレットゴルフ用のホールやテニスコートが設営されています。この国士舘大学スポーツセンターを魅力的なものにするのはなんと言っても400本の桜の木々です。美しく咲き誇る満開のサクラを愛でるためにサンパウロ州南部の日系諸団体と共催する7月の桜祭りは、文協の主要行事の一つとなっています。桜祭りは毎年、1万人を超える人たちで大変賑わいます。まだ一度も桜祭りに参加したことのない方、今年の桜祭りに是非お越しください!また大自然の中で癒されたい方も是非こちらまで足をお運びください。 場所: Rodovia SP-250, km 48, São Roque-SP 情報: (11) 3208-1755 com Wilson ou patrimonio@bunkyo.org.br

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日本館

ブラジルのサンパウロにあるイビラプエラ公園は1954年、サンパウロ市政400周年を記念して、建築家のオスカー・ニーマイヤーと造園家のプレレ・マルクスの設計で造られた公園で、サンパウロ市内の南部に位置します。日本庭園や近代美術館、スポーツフィールド、ジョギングコースなどがあり、週末には家族連れやスケートボード、サイクリングなどを楽しむ人でにぎわいます。園内では数多くの水鳥の群れを観察でき、美術館や施設で楽しむこともできます。約120ヘクタールの広大な敷地内に、大小の池や広大な芝生や様々な施設がちりばめられており、その為に屋外コンサートの会場としてもよく使用されます。1990年に総合体育館で大相撲ブラジル場所が開催されました。 この中には、同祭を記念して日系コロニアが寄贈した数寄屋造りの「日本館」があります。同館には50数点の美術品が展示されているほか、日本的な各種催物(生け花、茶道等)会場として利用されています。また、1980年5月からは、ブラジル錦鯉愛好会の協力で池に錦鯉が放たれ、人気を呼んでいます。なお「日本館」の前には、当国で他界した多くの日本人移住先駆者の霊を慰めるため本邦及びコロニア有志の寄附により建設された「開拓先没者慰霊碑」があり、揮毫は田中角栄元総理によります。公園近くには、サンパウロ州議会をはじめ、1932年のサンパウロ州による護憲革命記念の塔、奥地探検隊(バンデイランテス)の石像などがあります。 日本館の設計は日本の建築学界の大御所、東京大学教授堀口捨巳博士によって行なわれ、木材や石材など必要な資材もすべて日本から取り寄せられました。京都市西京区桂にある歴史的建造物である桂離宮(離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意)をモデルとして建築されました。桂離宮は1620~1624年、徳川幕府時代に建築され、天皇の夏の別荘地として使用されていました。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の(王朝)文化の粋を今に伝えています。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされています。 桂離宮と同様、日本館は平安時代の貴族や武士の住宅様式「書院造」となっています。寝殿造では十分でなかった間仕切りが書院造では大いに発達し、引き違いの建具によって分けられた畳を 敷き詰めた室(座敷)が連なり、その室の床には高低差が付けられ、一段高い主室を上段、ときには上々段と呼び、低い室を下段と呼び席による階級差を明瞭に 示します。主室には、書院、押し板、棚、納戸構(帳台構・武者隠し)が設けられ、それらの壁には淡彩や濃彩の障屏画が描かれ上段に座す高位者を荘厳 しました。 1954年のイビラプエラ公園における日本館の建設の際には、多くの日本移民が自発的に働き、建設のために大きな貢献を果たしました。サンパウロ市では、日本館のような純日本的な建築物の管理をしたことがなかったため、建物の管理と各種のイベントの企画、運営は寄贈されたその時からブラジル日本文化福祉協会(文協)に一任されています。また、うれしいことに1997年にはサンパウロ市の文化財に指定されました。そうです、日本館は日本・ブラジル両国間の友情の象徴となっているのです。 日本館は日本の伝統的な建築様式を踏襲して建てられており、同館を訪ねた人々は、異国情緒豊かな建物の他、日本庭園や錦鯉、日本の伝統工芸品などを堪能することができます。日本館、一見の価値ありです!どうぞみなさん足をお運びください。巨大都市サンパウロの喧騒に疲れたとき、日本が恋しくなったときは、この日本館でゆったりとした時間を過ごし、癒しのひと時をお楽しみください。 鯉の池 日本館と一体となっている鯉の池はとても美しい。320匹の鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。 茶室 茶道の儀式が行なわれる茶室。一般的に、質素で静かなものを意味するわび・さび(侘・寂)は、日本の美意識の1つ。 みなさんも、この茶道の精神で気分を一新するのはいかがですか。 展示室 日本館の管理と保存を委任されているブラジル日本文化福祉協会(文協)は日本の伝統的な工芸品を集めた様々な展示を行なっています。ひな祭り、こどもの日、日本伝統音楽や舞踏などの発表会をも開催しています。日本文化を感じたい方、ブラジルで育った子供たちに日本の文化を教えたい親御さん、是非お立ち寄りください。 日本館 場所: イビラプエラ公園 – 10番ゲート Av. Pedro Álvares Cabral, s/nº – São Paulo – SP 営業: 水曜、土曜、日曜、祝日 時間: 10時から12時、13時から17時 お問い合わせ: (11) 5081-7296 ou pavilhao@bunkyo.org.br 大人料金:  R$ 10,00 60歳以上の方: R$ 5,00 (Lei 10.741/2003 – Estatuto

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ブラジル日本移民史料館

みなさんはブラジル日本移民の歴史をどれほどご存知でしょうか。 ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、現在約150万人の日系人が住むといわれています。どのようにしてこれほど巨大な日系社会が地球の反対側であるブラジルに存在するようになったのでしょうか。〔疑問1〕 1908年に781人の日本人が東洋汽船「笠戸丸」で神戸港を出港し、長旅を経てサンパウロ州のサントス港に到着し、その後サンパウロへ鉄道で移動し、コーヒー園へと向かいました。「皇国殖民会社」が移民で希望者を募る際に、ブラジルでの高待遇や高賃金をうたったために、移民のほとんどは数年間の間コーヒー園などで契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりでした。しかし、先に移民して来たイタリア人の場合と同じく、日本人移民も奴隷解放令に伴う労働力不足を補うために導入されたもので、法律上の立場こそ自由市民でしたが、ほとんどのコーヒー園での実生活は奴隷と大差のないものでした。居住環境は悪く労働は過酷で、賃金の悪さなどの待遇が悪かったために、帰国のための貯金どころではなく借金が増える一方でした。日系移民の間では移民計画を「棄民」(日本国に棄てられた民)と呼ぶ自虐の声がでるほどでした。 この様な待遇の悪さや賃金の悪さから、皇国殖民会社に対して帰国を申し出る者が増え、ストライキや夜逃げも多く発生し、リオ・デ・ジャネイロ州などの近隣州やアルゼンチンへと渡る者もあらわれ、1909年に外務省の野田良治通訳官が調査した結果、笠戸丸で移民し、当初契約したコーヒー園に定着したのは全渡航者の4分の1のみであったと報告されています。このような非常に厳しく過酷な状況の中で、日本人はいかにしてブラジルで生き残り、100年以上に渡る日系社会の歴史を築いてきたのでしょうか。〔疑問2〕 近年、日系ブラジル人2世、3世は、その勤勉さと教育程度の高さから社会的地位が高い職業についているケースが多く、上記のような政界や官界、経済界の中枢のみならず、医師、弁護士、技師、地質学者、教員、芸術、文化、スポーツ等を含む広範な分野に進出し、ブラジルの発展に大きく貢献したと高く評されています。なお、ラテンアメリカ諸国全体で見ても屈指の大学とされるブラジルの最高学府サンパウロ大学の 学生のうち、かつては約15パーセントが日系ブラジル人の子弟であり、教員の約8パーセントが日系ブラジル人でした。1パーセントに満たない日系人の人 口比からみて、それがいかに高いものかがわかります。 高度経済成長期前後に多くの日本企業がブラジルに進出した際には、日系ブラジル人がその先導役を務めただけでなく、日 本人移民や日系ブラジル人がブラジルに作り上げた「日本人は勤勉」、「日本人は信用できる」という評価が、日本企業のブラジル進出と市場への浸透を容易に したことは間違いありません。非日系ブラジル人は日系人たちに最高級の評価を与えているのです。いかにして日系人たちはブラジル国においてこれほどの成功を収めてきたのでしょうか。〔疑問3〕 これらすべての疑問の答えは文協ブラジル日本移民史料館にて知ることができます。どうぞ、100年を超えるブラジル日本移民の壮絶な戦いとその勝利を史料館にてご自分の目でご覧ください!! お問い合わせ 「ブラジル日本移民史料館―常設展」(7、8、9階) 営業時間: 火曜日から日曜日、13時半から17時半 (月曜日休館) 大人料金: R$ 16,00 学生手帳をお持ちの方: R$ 8,00 ・ 5歳から11歳までのお子様: R$ 8,00 5歳未満の幼児: 入場無料  ・ 60歳以上の方は半額: R$ 8,00 (Lei 10.741/2003 – Estatuto do Idoso) 「図書館収蔵庫*/事務所」 (3階) 火曜日から土曜日 9時から17 時半 日曜日・月曜日は休館です。 *図書収蔵庫の図書及び資料は、検索依頼状をメールにて事前に申し込み、閲覧室でのみ可。同じく資料収蔵庫も事前に研究プラン、あるいは見学希望をメールにて申し込むこと。 ガイド付き見学の予約 (50人の団体様、60分まで – 火曜日から金曜日) ガイド料金: R$ 150,00 問い合わせ:

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第9代会長 岩崎秀雄 1999年4月~2003年3月

1922年3月1日、東京で生まれる。1935年、家族と共にサンパウロ州リベイロン プレットに入植、次にリオパルド デ サンタクルスで働きました。 1937年に家族とサンパウロに移転、1940年、日本の総領事館で働き始めて、間もなく、第二次世界大戦の勃発のために閉鎖されました。 1945年から26年間ジュケリー農業組合(後の南ブラジル農産組合中央会)で働き、1971年、常任理事の時に辞職しました。1977年、三井肥料株式会社に営業取締役として就任し、1985年の退職まで、多忙な日々を過ごしました。 1981年から1993年、サンパウロ日伯援護協会で重要な職務に携わりました。他にもブラジルゲートボール連盟副社長、1995にはブラジル東京都友会会長も務めました。 1999年、日系社会は移民史上最も難しい舵取を求められた時期に、ブラジル日本文化福祉協会の会長に就任、平成10周年の記念事業にブラジル日系社会の代表として訪日しました。2000年には、懸案事項の戦後に焦点を当てた増床展示室の建設が、ブラジル日本移民史料館9階の戦後50年史常設展として落成式を迎えました。2003年、勲四等旭日小綬章を受章しました。 理事会 会長: 岩崎 秀雄 (1999-2002) 第1副会長: 二宮 正人 (1999-2002) 第2副会長: 志村 豊弘 (1999-2002) 第3副会長:  西銘 光男 (1999-2002) 第4副会長: 深田 要一 (1999); 高橋 信夫 (2000-2002) 第5副会長:  伊藤 実 (1999-2000);中村 和右 (2001-2002) 専任理事: 山下 譲二 (1999-2002) 第1常任理事:尾西 貞夫(1999-2002) 第2常任理事:  中村 和右 (1999-2000); 宮城 滋  (2001-2002) 第3常任理事:  高橋 信夫 (1999); Juniti Miyahara (2000); 林 アンドレ

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第8代会長 山内淳 1991年4月~1999年3月

1931年9月20日、サンパウロ州アラサツーバ市で生まれる。1959年、マッケンジ大学工学部電気科と土木科を卒業し、1984年に会計科を卒業しました。 1960年から1966年まで、日立製作所に勤務し、1973年、日本の協和電設と合弁でボビエル・キョウワ株式会社を設立。1990年まで社長に就任しました。 1957年の大学在学中から柔道スポーツ連盟とブラジル日本文化協会(文恊)に積極的に関与しました。文恊では長年にわたり委員や理事として活動し、1991年、二世で初めて会長に就任しました。 1991年から、日系社会、ブラジル社会、日本との交流を対象とした活動を3本柱として確立すべく、文恊の活動を見直す必要性を強調し,日系団体代表者会議を始め、 1995年、JICAの委託事業から文恊独自の事業となりました。また、1996年から全伯日系青年リーダー会議が毎年開催されるようになりました。 任期中、出稼ぎ現象に関するシンポジウムは、大きな反響を呼び、二世、三世の日系社会離れや、出稼ぎ現象で空洞化する「日系社会の未来を考える」シンポジウムの開催に繋がりました。また、文恊内に初級日本語講座を開設し、1996年、橋本龍太郎総理の来伯時に、日伯学園の建設支援を日本政府に要請、見事に建設の運びとなりました。2003年、勲四等瑞宝章を受章しました。 理事会 会長: 山内 淳 (1991-1998) 名誉会長: 尾身 倍一 (1991-1998) 第1副会長: 坂口 孟 (1991-1992); 二宮 正人 (1993-1998) 第2副会長: 二宮 正人 (1991-1992); 吉田 哲夫 (1993-1994); 勝屋 岩雄 (1995-1996); 志村 豊弘 (1997-1998) 第3副会長:片山 和郎 (1991-1993); 谷口 出穂 (1995-1996); 勝屋 岩雄 (1997-1998) 第4副会長: 谷口 出穂 (1991-1994); 志村 豊弘 (1995-1996);篠又 幸一郎 (1997-1998) 第5副会長:

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第7代会長 尾身倍一 1983年3月~1991年3月

1921年7月5日、東京で生まれる。1932年にブラジルに来伯、1949年まで、農業に従事し、その後スブルバーナ産業組合に就職しました。1953年、尾身兄弟商会を設立して、事業家としての道を踏み出しました。 1967年、サウージ文化体育協会を設立、1978年には、こどもの園(身体障害児療養施設)の理事長に就任、1969年以来、ブラジル日本文化福祉協会(文恊)の理事を歴任し、常に日系社会の活動に携わって来ました。 1983年に文恊の会長に就任、全伯の日系団体との連携を強化するため、全伯日系団体代表者会議の開催を提議し、1984年に室内体育館と駐車場を含む別館、小講堂、図書館、展示室を建設するため委員会を結成しました。 日本とブラジル日系企業の財政支援のおかげで、1987年には、室内体育館、1988年には別館と駐車場など、すべての施設が完成しました。 特に、1988年のブラジル日本移民80年祭では、祭典委員長としての重責を果たしました。1993年、日本政府より勲四等瑞宝章を受章しました。 理事会 会長: 尾身 倍一(1983-1990) 名誉会長: 中沢 源一郎(1983-1984); 相場 真一 (1989-1990) 第1副会長: 井上 忠志 (1983-1986); 水本 毅 (1987-1988); 山内 淳 (1989-1990) 第2副会長: 水本 毅 (1983-1986 e 1989-1990);  酒井 清 (1987-1988) 第3副会長: 武藤 一郎 (1983-1986); 花田 好二 (1987-1988); 酒井 清(1989-1990) 第4副会長: 酒井 清 (1983-1986); 片山 和郎 (1987-1988); 花田 好二 (1989-1990) 第5副会長: 若林 輝男 (1983-1986);瀬尾 正弘 (1987-1988); 片山 和郎 (1989-1990) 専任理事: 山内 淳(1983-1988); 菊地 ルイ (1989-1990)

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井料堅治さん 初七日ミサのお知らせ

5月4日に老衰のためお亡くなりになった井料堅治さん(享年91)の初七日ミサが行われます 【日 時】5月11日(木)18時30分~【場 所】Paróquia São Francisco de Assis R. Borges Lagoa, 1209 – Vila Clementino, São Paulo – SP ご冥福をお祈りいたします 関連記事 – 訃報:井料堅治氏

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第15回文協総合美術展 – 4月1日より応募作品受付開始

文協総合美術展は、文協の美術委員会および工芸委員会によって、新人作家の育成と新進作家の発掘を目的に2007年から開催されています。昨年開催された第14回目の同展では、400を超える作品の応募作品の中から147名のアーティストによる279作品が選出され、文協文化ホールにて、それらの作品が展示されました。 本年度の第15回文協総合美術展は、ProAC(サンパウロ州文化活動プログラム)の支援を受け、10月に開催する予定です。それに向けた作品募集の受付は4月1日から開始、6月4日が受付最終日となります。 応募要項などの詳細については、3 月に、文協Web サイト (www.bunkyo.org.br) にて公開します。 お問合せ:工芸部門:artekoguei@bunkyo.org.br美術部門: artesplasticasbunkyo@gmail.com TEL: 文協事務局11 3208-1755 (担当-アウローラ) 2022年度 第14回文協総合美術展の作品は以下の通り。(画像をクリック)

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第66回パウリスタ賞授賞式

写真:第66回パウリスタ表彰の受賞者 ブラジル日報協会(林隆治会長)主催の「第66回パウリスタ賞授賞式」が3月4日、文協大講堂で開催され、38名が栄に浴しました。この「パウリスタ表彰」は、1956年、現在の邦字新聞である「ブラジル日報」のルーツともいえる今は無きパウリスタ新聞が、勝ち負け抗争によって分断状態にあった日系社会の融和を図ることを目的に、同紙創刊10周年記念事業として立ち上がりました。 写真:お祝いの言葉を述べるゲストとして出席した石川レナト会長 開始当時は「農民賞」「文学賞」「スポーツ賞」の3部門から、それぞれの分野の発展に貢献した日系人を表彰していました。時代の変遷とともに、「スポーツ賞」はそのままで、現在は「社会功労賞」「文化功労賞」となり、対象範囲も拡大されました。 文協関係者の中からは、今回、以下3名が受賞しました。おめでとうございます! 文協第一副会長 西尾 ロベルト 義弘 氏 南米銀行やホーワ工業に勤務。元クレスル(Creasul)取締役。元南米銀行取締役。元レイテ・トスト・バロス法律事務所弁護士。現ブラジル日本文化福祉協会(文協)の第一副会長。法務委員長。ブラジル日本移民史料館運営副委員長。宮坂国人財団理事長。伯日文化社会統合協会会長。サンタクルス日本病院審議員。日伯文化連盟評議会書記。旧南米銀行関係者の懇親団体である「なぎさ会」審議会員。日伯比較法学会評議員。ブラジル日系ゴルフ連盟副会長。伯日文化社会統合協会を通じた日系社会への支援の他、文協や移民史料館への貢献が評価され、2018年12月、日本政府より2018年の外国人叙勲「旭日双光章」を受勲。2019年4月、サンパウロ市議会から「パウリスタ名誉市民賞」を受賞した。(ブラジル日報より) 文協前会長 呉屋 新城 春美 氏 元ブラジル日本文化福祉協会(文協)会長。ブラジル沖縄県人会理事。沖縄県生まれで1958年、家族とともに来伯。1977年、バレットス中央教育大学建設エンジニア学科卒業。1986年に公務員試験合格。マリオ・コバス政権時に、サンパウロ州税務局の情報技術部門の創設に尽力した他、局長補佐などを務めた。1990年、JICA研修生として訪日。元JICA研修生OB会長。ウチナー民間大使。(ブラジル日報より) 第1常任理事 ウエダ マサミ 氏 1969年サンパウロ市生まれ。ゴルフ歴40年。文協第1常任理事。2015年からファゼンダ・ダ・グラマ・ゴルフ&カントリークラブ理事。幼少期からアルジャーゴルフクラブで、様々な大会に参加した。(ブラジル日報より)

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訃報:井料 堅治 氏

獣医として活躍した井料堅治さん(鹿児島県出身)が、5月4日の20時30分に老衰のためお亡くなりになりました。91歳でした。 去る2004年に、当時の小泉純一郎内閣総理大臣がご来伯された際に、1200人で埋め尽くされた文協大講堂での歓迎会の挨拶の中で「私にとってブラジルは外国ですが心情的には一番近い国なんです。」と話し、その理由として小泉首相が十代の時に親交が厚かったいとこの井料堅治さんがブラジルに移住したことを説明、「キャッチボールや勉強を教えてもらった。私にとって兄のような存在。いつかブラジルに行ってみたいと思っていた。」と話されました。それもあり、同氏は、文協では評議員会役員を務めるなど日系社会に対する貢献はもちろん、小泉純一郎元内閣総理大臣のいとことしても広く知られていました。 2023年5月5日(金)モルンビ墓地にて葬儀 午後3時に埋葬住 所: Rua Deputado Laércio Corte, 468 – Morumbi – São Paulo – SP 心よりご冥福をお祈りいたします

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四十九日法要のお知らせ:丹下セツ子先生

丹下セツ子先生 四十九日法要のお知らせ ブラジルで「丹下セツ子太鼓道場」を創設するなど日系社会の芸能分野において多大な貢献をされた丹下先生の四十九日法要が行われます  日 時:2023年5月7日(日)15時~ 場 所:文協ビル2階 貴賓室 丹下セツ子先生の記事はコチラ

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追悼:秀島 マルセロ 氏

文協の第二副会長の秀島マルセロ氏が、2023年2月1日の夜、共同経営するAlfa Alimentosの仕事から帰宅後、心臓発作により、自宅でお亡くなりになられました。53歳でした。妻と娘さんとの3人家族でした。 通夜は2月2日の14時~22時と3日の午前6時~午前8時、文協文化ホールにて行われました。(R. São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo 文協ビル地下1階) 葬儀は2月3日午前11時より、Jardim Horto Florestal墓地にて行われました。(Rua Luiz Nunes, 111 – Parque Ramos Freitas – SP) 秀島マルセロ氏 移民一世とは違い、日系社会に対して関心が薄くなりがちなブラジル生まれの日系人青年らを、上手くまとめていたのが青年時代の秀島氏でした。その人望と手腕を必要とした文協は秀島氏を招き入れ、早速秀島氏は、1997年の文協青年部の発足に際して、主導的役割を果たしました。その活動を軌道に乗せた後の2005年、今度は35歳という若さで文協の副会長に抜擢され、活動の幅を広げました。 以下、2006年11月25日に、文協貴賓室で行われた「文協創立50周年記念座談会」の冒頭に行われた参加者の自己紹介から抜粋します。 秀島マルセロ、36歳で既婚です。私の文化団体での活動は、 ツクルヴィ協会の日本語学校へ入った9歳の時から始まります。16歳でこの協会の青年会長になり、 イベントや各種競技の組織づくりを活発に行ない、 同協会の会長になりました。そして当時15団体を擁していたサンパウロ北部連盟に参加しました。統合こそ日系人の交流を促進し、 強化する手段だと考えるので、これは極めて重要な経験でした。ただ北部地区だけだったため他地区の団体は知りませんでした。そこで友人のグループとサンパウロ慈善インテルカイカンを設立しました。1994年にはサンパウロ各地にある11団体を集め、それが大きな交流の方法であると考え、1995年には16団体、スポーツ、文化、慈善など様々な部門の青年 1,200名をまとめました。1996年のイベント開催において、寄付のための食料品を19トン集めたときは最高の喜びでした。その後、林アンドレさんがいた文協の日系団体再活性化委員会に呼ばれ、議論したときに、将来の再活性化について、この委員会が所属している文協自体に青年がいないことを大いに話し合いました。そのため当時の山内会長は青年文協、現在の文協青年委員会を創立するため、 あらゆる支援をして下さいました。1997年のことで、当時の青年文協は青年団体リーダーたちの集りで、アイデアを交換する場でもありました。この交流は極めて健全であると考えたので1999年に役員になったとき、 ABEUNI、ASEBEX、 青年会議所、 文協青年委員会と慈善インテルカイカンの5団体の会長で、これらの団体を統一し、 それぞれのメンバーの育成を一層強化し、 共同活動を通じて日系社会および社会一般のために何かを促進するグループを結成するアイデアが生まれました。このアイデアの推進者であった林アンドレさんは、文協の政策を議論するため、 ABEUNI、 ASEBEX、青年会議所と青年文協を召集し、 私も再活性化委員会のメンバーとして参加しました。こうして結成したG5の統合は極めて重要であったと思います。2000年には5団体の会長が集って連合会を作り、 現在まで続いています。この間、 私は希望の家※に呼ばれ、 その第1副会長ををしており、 文協、 交流協会にも参加しております。 ※重度知的障害者が入居する福祉施設「希望の家福祉協会」         (2007年4月発行 ブラジル日本文化福祉協会創立50周年記念「文協50年史」より抜粋) このような秀島氏を、誰もが、近い将来、ブラジル日系社会全体を牽引する指導者になるだろうと信じて疑いませんでした。 その秀島氏の、突然で、そして早すぎる逝去の報は、日系社会全体にどれ程の衝撃と悲しみを与えたかは、言うまでもありません。 急遽開催した文協文化ホールでの通夜には、次から次へと届けられた77基の花輪で会場が埋め尽くされました。そして弔問客も途絶えることがなく、約1000人※が来館し、秀島氏との最後の別れのひと時を持ちました。※受付で記帳した方々は約600名ですが、記帳のために大勢の人々が並んでいたため、記帳をせずに帰られた方も沢山いらっしゃいました。また家族で来られた方は殆どが代表者1名のみの記帳でしたので、弔問客はゆうに1000人は超えていると推測します。

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ブラジル日本青年会議所 新会頭に照屋ウーゴ氏

写真:左から照屋ウーゴ新会頭 , 関口ひとみ文協顧問 , 岩本レアンドロ前会頭 ブラジル日本青年会議所(JCI Brasil-Japão、JCIBJ)は、2月13日に「2023年役員就任式」を文協貴賓室で開催、照屋ウーゴ新会頭(三世/34歳/弁護士)の就任を、集まった150人が祝しました。 照屋ウーゴ氏は、2010年に沖縄県人会ビラカロン支部の青年部のリーダーを務めて以来、日系社会とのつながりを維持しています。もともとサンパウロ大学生援護連盟(ABEUNI-Aliança Beneficente Universitária de São Paulo)※で活動しており、ブラジル日本青年会議所には2014年から所属。文協には、2019年から文協青年委員会の活動に加わるようになり、現在は文協理事会の専任理事を務めています。 ※ABEUNIは、50年代から活動していた日系医学生を中心とした「ABENIBRA」(日伯援護協会の大学生支部)が前身となる団体で、サンパウロ州の貧困地域、孤児院などで医療や教育のボランティア活動を行っている。前身のABENIBRAでは、日系人に対して無料健康相談を行っていたが、その枠を取り払いサンパウロ州全土の住民へとその対象範囲を拡大した。また、日系の医学生が中心だった活動メンバーの枠も広げ、学生もしくは学位取得者であればどの分野の専攻でも参加できるようになった。 照屋ウーゴ 新会頭 所信表明 新任の挨拶にたった照屋新会頭は、まず、前年度の岩本レアンドロ会頭とその執行役員らの労をねぎらい感謝の言葉を述べました。 そして、前執行役員が開始したプロジェクトを今後責任を持って展開していくと話しました。 また、日系団体およびスポンサーとの関係強化を図り、その上で、ブラジル日系団体とつながりのある学校との共同行動を模索し、次世代を率いる青年層のリーダーシップ資質向上のために、弁論練習の重要性を学校関係者に認識させる活動をしていきたい、と述べました。 また、会場に駆け付けた両親に対しては、夢を実現し続けられるよう常に最高の環境を提供するために努力してくれたことに、また、婚約者であるタミレスさんに対しては、いつもそばで励ましてくれることに対し、心からの感謝の意を表しました。 写真:左から婚約者のタミレスさん , 父親のイサオさん , 母親のマサコさんとウーゴ新会頭 そして最後に、照屋新会頭が兄のように慕っていた、2月1日に急逝した秀島マルセロ氏が、生前、常に語っていた言葉を引用し、所信表明を締めくくりました。 ベストを尽くそう! どんなことでも、簡単なことでも、常にベストを尽くそう。 どんな簡単な仕事でも、どんなことでも、常にベストを尽くそう!

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