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第10回 春のダンス~Primavera Dançante~9月28日(土)17h30~

第10回 文協 春のダンス~Primavera Dançante~  テーマ:春が来た 日 時:2024年9月28日(土)17時30分~21時30分場 所:文協ビル大講堂前ホール    Rua São Joaquim 381, Liberdade, São Paulo 委託駐車場) Rua Galvão Bueno, 540 ※駐車料金は各自払い参加費:前売り券購入の場合は100レアル(お一人様)※夕食込み    当日券は110レアル(お一人様)※夕食込み    お支払い方法:1)銀行振り込み Banco Bradesco: Ag. 0131 – Liberdade, C/C 115770-1 受取人名義)Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social2)PIX   CNPJ: 61.511.127/0001-60  受取人名義)Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social※1)2)とも必ず領収書を以下へ送付してください。お名前も忘れずに! WhatApp:11 98397-7850 (Henrique) 文協会員拡充委員会が主催する「春のダンス~Primavera Dançante~」は今回で第10回目を迎えます。 春の夜のひと時を、イサム・ミュージックショーバンドの生演奏にあわせて、心ゆくまでダンスをお楽しみください!今回も、ダンス教師のリカルド・モンテイロ氏も来場します。 どうぞ、お楽しみに! スポンサー:Rosa & TochaFourtradeOrient

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第54回文協工芸展 事前選定通過作品発表!

文協工芸委員会は、2024年10月19日から11月3日まで開催される第54回文協工芸展の出展作品の事前選考作業を完了しました。 合計 194 人の作家による496作品の中から、182人の作家による438作品が事前選定されました。 事前選考入選作品リストはコチラをクリック 事前選定を通過した作品は、2024年7月17日と18日の午前10時から午後5時までに文協に届ける必要があります。 その際、作品の写真、作家名、作品の題名が記載されたラベルが、梱包された作品の外側に貼られているもののみ受け付けとなりますので、ご注意ください。 詳細はコチラ (ポルトガル語のみ) 第54回 文協工芸展 スケジュール   作   品   受   付  : 3月29日~6月2日   作 品  事 前   選 定 : 6月10~14日   事 前 選 定   作品発表 : 6月21日   事 前 選 定 作品持ち込み : 7月17,18日   入 選  作 品   選 出 : 7月19,20日   入選および   入賞作品発表 : 7月26日   工芸展オープニングセレモニー : 10月12日   工 芸 展    最 終 日 : 10月27日 作品受付に関する質問はメールで受け付けます :  artekoguei.bunkyo@gmail.com ☆ぜひフォローしてください!☆・文協工芸委員会 – @artekoguei.bunkyo・文協美術委員会 – @bunkyo_artesplasticas・文協 – @bunkyodigital

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「第34回サロン文協現代美術展」作品応募受付開始! 8月30日迄

第34回サロン文協現代美術展 作品応募受付開始 ブラジル日本文化福祉協会-文協は、ブラジルにおける近代美術の奨励と普及を目的とし、文協美術委員会を通じて、第34回サロン文協現代美術展(34º SBAC)を開催します。 作品の応募は無料で、2024年7月1日から8月30日(ブラジリア時間の23:59まで)まで受け付けます。応募は、次のリンクからデジタルフォームを記入して送信することによってのみ行うことができます。artebunkyo.com.br (ポルトガル語) なお、第34回SBACの開会式および授賞式は2024年11月23日、入選作品展の一般公開は11月24日から12月8日まで、いずれも文協ビル内の文化スペースで開催を予定しています。 サロン文協現代美術展とは まず、ブラジルにおける日系美術家の誕生の歴史を語る上で欠かせないのが 1933年(昭和 8 年)にできた日系画家の最初の集団「サンパウロ美術研究会(略称:聖美会)」です。このメンバーだった高岡由也の自画像が日本人として初めてリオの国展で銀賞に入選したことは日系社会にとって大変画期的なことでした。 文協は、その聖美会が主催する「コロニア美術展」において 1959 年(昭和 34 年)に開催された第 5 回目の美術展からは後援を、1963 年(38 年)からは共催し、1972 年(昭和 46 年)になると聖美会が文協美術委員会と名称を変え、正式に文協の事業となり主催者となりました。 ちなみに現在のブラジルの美術界は、日系の美術家を除外しては語ることが出来ないと言われるほどになっています。 聖美会世代の者たちが身につけて来た日本の美意識に基づく色彩感、表現形式といったようなものは、ブラジル美術界にも新鮮な影響をもたらしていると称されているのです。 魂の記憶とでも言うべきか、たとえブラジル生まれの日系子孫の画家が描く作品であっても、不思議とこの日本人独特の色彩感覚や「わびさび」といったような表現方法が作品の随所に現れると言われています。 このように日系美術家がこの国においてここまで大きな影響を与えるまでになった背景には、この美術展開催の継続があったからだと言っても過言ではありません。 2007 年からは同展に、それまでは別にあった「工芸展」、「造型美術展」などのグループも合同し、「文協総合美術展」となり、新人の芸術家とって、この美術展で入賞を果たすことが、この世界への登竜門となるとして広く名が知られるまでになりました。 その「文協総合美術展」のそれぞれの部門において、作品の応募がかなり多いこと、そして才能溢れる作品も多数あることを理由に、今年度は工芸展とは別の日に単独開催することになりました。 たくさんのご応募をお待ちしております。 問い合わせ:文協事務局(11)3208-1755 / 担当 – アウローラ

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第51回国際民族舞踊大会 9月21,22日

第51回 国際民族舞踊大会 日 時:2024年9月21日(土)16時~ / 22日(日)15時~入場料:Sympra 前売り券は一人40レアル(半額権利者は20レアル)    当日券は一人50レアル(半額権利者は25レアル)場 所:文協大講堂     Rua São Joaquim, 381 – Liberdade     ※最寄りのメトロ:サンジョアキン駅     ※委託駐車場:Rua Galvão Bueno, 540 Liberdade           駐車料金の支払いは各自 文協主催 国際民族舞踊大会とは 1972年4月、ブラジル独立150年を記念するため、当時の文協会長であった延満三五郎氏が中心となって、同祭日系協力委員会を発足させました。9月には同会主催・サンパウロ市観光局後援にて国際民族舞踊大会を開催、11か国が参加し、舞台と同じく観覧席も国際色豊かとなり、大成功を収めました。それ以来、この大会は毎年開催されるようになり、本年で第51回目を迎えます。 「人種のるつぼ」と言われるここブラジルは、実に多くの国の移民の子孫が一同に、しかも平和に暮らしています。これは世界に誇り得る内容ではないでしょうか。また、当日は、舞踊だけでなく、各国の民族料理や雑貨なども販売します。ブラジルならではの、豊かな国際的文化をどうぞお楽しみください。多くの皆様のお越しを、お待ちしています! 参加予定国 プログラム 主催:ブラジル日本文化福祉協会 スポンサー:宮坂国人財団後援:Yakult Brasil お問合せ:文協事務局(11)3208-1755 アウローラ

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訃報:文協元会長 山内 淳 氏

在りし日の山内淳元文協会長 ブラジル日本文化福祉協会 – 文協の第8代会長(1991年4月~1999年3月)で、終身評議員の山内淳氏が、8月16日にお亡くなりになられました。92歳でした。 翌17日、ご家族とごく近しい親戚およびご友人によってアルファビーレ墓地に埋葬されました。 初七日法要は行わず、四十九日法要は未定。 文協初 日系二世の会長就任 1957年の大学在学中から柔道スポーツ連盟と文恊に積極的に関与、文恊では長年にわたり委員や理事として活動し、1991年、二世で初めて会長に就任し新時代へのスタートを切ったのが山下淳氏でした。 そんな山内元会長は1931年9月20日、サンパウロ州アラサツーバに生まれました。 1959年に、マッケンジ大学工学部電気科および土木科を卒業し、1984年にはアソシアダス・ド・イピランガ大学の会計科を卒業。1960年から1966年まで日立製作所サンパウロ駐在員事務所に勤務。1966年に、ボビエル・エンジニア・インスタラソンエス会社を共同経営者と設立し、電気・水道・電話工事業に携わりました。1973年、日本の協和電設と合弁でボビエル・キョウワ株式会社を設立し、社長に就任。1990年からは同社の経営審議会会長および、サンパウロ州建設工業シンジケートの理事に就任。 写真:2015年12月17日文協創立60周年記念式典で功労賞を受賞した山内淳元文協会長(左)と故原沢和夫氏 1991年に、文協の会長に就任してすぐ、「対日系社会」「対日本との交流」「対ブラジル社会での活動」という3本柱の指針を提唱、文恊の活動を見直す必要性を強調し「将来計画委員会」を設置しました。 また急速に世代交代が進み年々低下傾向にあるといわれる日系団体の現状を打破するため、日系社会に内在する問題を討議する「日系団体代表者会議」開催を始め「サンパウロ市内の日系団体代表者会議」 「地域活性化巡回相談会」などを次々に実施。 この一連の会議の結果が「全伯日系団体連合会」結成に繋がっただけでなく、1996年に初開催した「全伯日系青年リーダー会議」はそれ以降現在に至るまで、文協が毎年開催する重要なイベントの一つとなっています。 また日系団体が内包する諸問題に真正面から向き合った「出稼ぎ現象に関するシンポジウム」は大きな反響を呼び、二世、三世の日系社会離れや、出稼ぎ現象で空洞化する「日系社会の未来を考えるシンポジウム」の開催に繋がりました。 その他、在任期間中に文恊内に初級日本語講座を開設。 1996年橋本龍太郎内閣総理大臣の来伯時には、現在の日系社会が最も必要としているものとして日伯学園建設の必要性を訴えました。 この学園構想に橋本総理は強い関心を示し、カルドーゾ大統領とのトップ会談の席上で総理がブラジル政府の協力を取り付けるなど、異例の対応によって急速に具体化へ向けて発進することとなりました。 文協創立40周年を迎えた相場真一会長時代に計画された「総合スポーツ・センター」構想が大きく進展したのも1996年でした。これは国士舘大学が日本のバブル経済崩壊に準じて一切の海外経営を清算、経営を日本国内だけに絞ろうとしていた時期と、文協が同センターを譲り受けたいという希望が合致して話が具体化、山内元会長らの交渉の末、無償譲渡の決定がなされました。 また1997年天皇皇后両陛下ご歓迎委員会委員長としてイビラプエラ体育館において盛大な歓迎式典を挙行、その重責を果たしました。 こういった数々の功績が認められ、2003年には、日本政府より「勲四等瑞宝章」が贈られました。 文協創立50周年記念座談会『文協の50年を振り返る』より 文協が創立50周年を迎えた翌年の2006年2月11日に、文協貴賓室にて「文協創立50周年記念座談会『文協の50年を振りかえる』」を行いました。その座談会に、元文協会長として出席した山内氏の発言を以下抜粋します。 テーマ①:創立当時の日系社会の状況や会員になられた動機について 私が文協と関係したのは、1957年です。 大学生だった私は、頼まれたわけではないのですが、いったい日系の大学生、 あるいは卒業生がどれほどいるのかという興味を持っていたので、 日本移民 50周年の一環として、その調査をしたら面白いのではないかと思ったんです。 それでリベルダーデ街九〇番六階にあった文協の事務局に、 事務局長の藤井さんを訪ねて話すと、 面白い、 君やれよ・・・ということで、 友人を誘って各大学の調査をはじめました。 その結果は一応纏めて、 1年後か2年後に文協に提出しましたが、 これが文協との付き合いのはじまりで、それ以来関わってきております。 テーマ③:日系社会の変遷と今後の展望など 日系社会の変遷ということで、 特に感じた点は、私が会長になった91 年代から、各地域との懇談会や座会を出来るだけやるようにしました。 と同時に、 各団体から文協活動に対する意見書を出してもらった中で、日系社会が変わってきていることを感じましたが、90年祭典や天皇・皇后両陛下の歓迎のためにリッファを持って、 サンパウロ州内ほとんどを廻って、如何に日系社会が、それぞれ変わってきているかを切実に感じました。 その感じたなかで一番のポイントは、やはり地方では、当時は日本人会の意見が強かった頃ですが、 大きな地域、 アラサーバとかノロエステをのぞけば、 地方では2世、3世が中心になった団体、 あるいはクラブ的な団体で、行事としては、文化的なものは少なくなって、

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第5回 国際日系デー「日系ブラジル人の価値観についての考察」

第5回 国際日系デー「日系ブラジル人の価値観についての考察」パネルディスカッション&カクテルパーティ日  時 : 2024年6月20日(木)19時~場  所 : 文協ビル貴賓室参加方法 : 招待客のみ 文協青年統括委員会の中の「文協架け橋委員会」は、6月20日の国際日系デーを祝賀し、その当日に「日系ブラジル人の価値観についての考察」と題したパネルディスカッションおよびカクテルパーティを開催します。 国際日系デーとは 1868年6月20日は、日本人による海外移住の先駆である集団移住者「元年者」がハワイに上陸した日であり、近代日本において日本人が初めて世界に雄飛した記念すべき日です。 日系アイデンティティを共有する世界の日系人が、第一世代の努力に感謝し、世界に広がった日系レガシーを礎に、世界の日系間の連携を促進し国際社会への一層の貢献を果たすため、2018年6月6日に開催された第59回海外日系人大会 in Hawaiiにて、6月20日を「国際日系デー」とすることを宣言しました。                     公益財団法人 海外日系人協会のサイトより サンパウロでは、野村アウレリオ市議会議員(PSDB)が、海外日系人大会に於いて6月20日が「国際日系デー」と採択されたことを受けて、同日をサンパウロ市の公式カレンダーに組み入れることを制定する法案を市議会に提出し、採択されました。 第5回 国際日系デー「日系ブラジル人の価値観についての考察」パネルディスカッション&カクテルパーティ 今回は、パネリストとして作家でイラストレーターのジャナイナ・トキタカ氏、日本語会議通訳者のアンナ・リギア・ポッツェッティ氏、そしてサトー・カンパニーの佐藤ネルソン社長という、当地における文化圏で活躍する3人の著名人を招待し、「日系ブラジル人の8つの価値観についての考察」というテーマでのディスカッションを予定しています。 ジャナイナ・トキタカ氏 サンパウロ大学(ECA/USP)で美術の学士号を取得し、子供や青少年向けに執筆・イラストを描き、テレビの脚本家としても活躍しています。ジャナイナ氏の著書はイタウ・ソーシャル※・プログラムによってブラジル全土に200万部配布され、ジャブティ賞の最終選考に残り、ユネスコ文学賞を受賞し、また、彼女の作品は2019年4月2日、国際連合(UN)のSDG Book Clubは、6歳から12歳の子どもたちに国連の「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals: SDGs)について学んでもらい、行動を促すことを目的として、発表したブックリストにも掲載されています。 ※イタウ ソーシャルとは、就学前と小学校最終学年という学校移行の 2 つの段階に焦点を当て、学習と学校の軌道を改善し、人種/肌の色、性別、障害、社会経済的レベルに基づく不平等を減らすために取り組んでいます。 彼女の多様性を考慮した「おとぎ話コレクション」は、コンパニア・ダス・レトラス社から出版され、同社のベストセラーとなっています。ディズニープラスのオリジナルシリーズ「ミラのマルチバース」では共同脚本責任者および共同クリエーターを務め、Netflixのシリーズ「De Volta aos 15(15歳に戻る)」では脚本の適応と脚本責任者を務めました。 脚本家として協力したドキュメンタリーシリーズ「アジアの女性」(E+)、ダイアーヌ・ドス・サントスの伝記映画「空を飛ぶ少女」、画家タルシラ・ド・アマラルの生涯を描いたミニシリーズ「タルシラになること」(SPCine※より開発助成を受ける)など、彼女の作品には女性に関する物語が目立ちます。※SPCineとは、Spcine はサンパウロの映画およびオーディオビジュアル会社で、映画部門の発展に重点を置いたサンパウロ市の取り組みです。 祖先とアジア人のアイデンティティというテーマも彼女の作品に浸透しており、Companhia das Letras社から児童書「おばあちゃんは日本から来ました(Vovó Veio do Japão)」を、最近ではTodavia社から「日本のおとぎ話(Contos de Fada Japoneses)」を出版しています。 アンナ・リージア・ポゼッティ氏 日本語の会議通訳者であり、日本の言語、文化、歴史に関するコンテンツのクリエーターです。彼女と日本とのつながりは、幼少期の6年間を静岡県清水市で過ごしたことにあります。 彼女はカンピーナス州立大学で経済学の学士号および経済史の修士号を取得しています。彼女は、日本の資本主義の形成について、江戸時代から明治時代(16世紀から19世紀)にかけて農村で起こった変革に焦点を当てた論文を執筆しています。現在は、日本の現代社会の文化的な根源が大きな影響を受けたこれらの時代に焦点を当てて、日本の歴史を研究し続けています。 彼女はハワイ大学マノア校の通訳翻訳研究センターで会議通訳者の資格を取得しており、Komorebi Translationsのアカウントで日本語とその文化に関するコンテンツをSNSで発信しています。また、ブラジル人による日本に関する学術研究を紹介するポッドキャスト「Komorebicast」を運営しています。 ネルソン・アキラ・サトウ氏 日本のコンテンツを市場に投入した最初の会社であるブラジル・ホーム・ビデオ(現サトウ・カンパニー)の創設者。 時間の要求に合わせて、そのコンテンツを映画、テレビ、コンテンツ制作、製品ライセンスなどの他の分野に拡大しました。 同社は、「AKIRA」、「攻殻機動隊」、「ナショナルキッド」、「ウルトラマン」、「ジャスピオン」、「磁雷矢」などの作品の配信にも成功しており、今後どうやって日本文化を普及していくかという観点において参考になるとされています。 同社はラテンアメリカでNetflixのコンテンツの最初のアグリゲーターでした。また、同社は2023年にBTSグループの親会社であるHybeとの契約を締結し、「BTS: Bring

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ブラジル日本移民116周年法要およびミサのお知らせ

6月18日はブラジル日本移民の日  今から116年前の明治41年、ブラジルへの第1回契約移民781名を乗せた笠戸丸が、50日余りかけて、6月18日の朝、サントス港第14埠頭に着岸しました。ブラジルの日系社会ではこの日を「ブラジル日本移民の日」として記念し、毎年、仏式法要およびキリスト教のミサを行っています。なお、日本においても、1966年に総理府(現内閣府)により「海外移住の日」と定められ、様々な記念行事が行われています。 移民の日 先駆者慰霊追悼ミサ 先駆者慰霊ミサ 日 時:2024年6月18日(火)8時~場 所:São Gonçalo 教会   Praça Dr. João Mendes, 108   – Centro – São Paulo/SP. 主催:ブラジル日本文化福祉協会、日伯司牧協会 移民の日 開拓先没者追悼慰霊法要 開拓先没者追悼慰霊法要 日 時:2024年6月18日(火)10時~場 所:イビラプエラ公園内 慰霊碑    Av. Pedro Álvares Cabral,     s/nº – São Paulo – SP    最寄りゲート:     徒歩の場合はゲート10     車の場合はゲート 3    主催:ブラジル日本都道府県人会連合会、ブラジル仏教連合会 移民の日 開拓先亡者追悼大法要 開拓先亡者追悼大法要 日 時:2024年6月19日(水)14時~場 所:文協大講堂    R. São Joaquim, 381 – Liberdade, São Paulo 主催:ブラジル日本文化福祉協会、ブラジル仏教連合会 ブラジル日系社会全体で、開拓先駆者を追悼したいと考えています。皆様のご列席をお願いいたします。 問い合わせ:文協事務局(11)3208-1755

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第3回文協統合スポーツ大会 次の種目は「ノロエステ・ベテラーノ陸上競技大会」9月1日(日)

陸上競技 第41回 ノロエステ・ベテラーノ陸上競技大会日 時:2024年9月1日(日)場 所:Pereira Barreto (SP) 陸上競技に関するお問合せ:田中ロベルト  Tel.: (11) 99622-4565 / email: rk-tanaka@uol.com.br  第3回文協統合スポーツ大会 第3回文協統合スポーツ大会が7月20日から始まりました。 「このスポーツ大会を通して、国内のさまざまな地域で活動する日系ブラジル人の指導者、アスリート、機関、および団体間で経験を分かち合い、一体化することを目指しています。」と、文協スポーツ委員会の田中ロベルト委員長はそう述べました。そして「回を重ねるごとに、それは現実化していっています。」と手ごたえをにじませました。 また「私たちは、スポーツを奨励するという目的を果たすだけでなく、統合活動に重点を置く組織として文協の事業に貢献することを目指しています。」と彼は付け加え、「スポーツは、主に若い人々を惹きつけ、組織を継続させるための重要なツールです。」と断言しました。 スポーツ委員会は、大会の運営を支援するほか、ジェットサンド・トロフェウス社が制作した文協総合スポーツ大会専用にデザインしたトロフィーやメダルを準備しています。 ※この文協統合スポーツ大会は、既存の大会があれば合同という形式を取り開催しています。 参加協力団体は次の通り ・聖北文化体育連合会・オザスコ日伯文化体育協会・北西部文化体育協会(ベロ・オリゾンテ/MG) フットサル (全カテゴリー) 日 時 : 2024年7月20日と21日 済場 所:グアルーリョス文化体育協会(UCEG)   Rua Maria Zinti, 232 Jardim Cocaia – Guarulhos – SP 第34回フットサル大会2024年7月20日と21日に、第34回フットサル大会がグアルーリョス文化体育協会にて開催されました。 左から:グアルーリョス文化体育協会(UCEG)セルジオ・ミチル会長、聖北文化体育連合会副会長テルヤ・セルジオ副会長、文協スポーツ委員会田中ロベルト委員長、聖北文化体育連合会体育委員会シマオカ・カルロス委員長 シルバーバレー (55歳以上)& ソフトバレー(18歳以上女性) 日 時:2024年7月28日 済場 所:オザスコ日伯文化体育協会    Rua Acenbo, 100 – Osasco (SP) 2024年7月28日に、オザスコ日伯文化体育協会にて、シルバーバレーおよびソフトバレー大会が開催されました。 写真左,左から:グアルーリョス文化体育協会(UCEG)セルジオ・ミチル会長、聖北文化体育連合会副会長テルヤ・セルジオ副会長、文協スポーツ委員会田中ロベルト委員長、聖北文化体育連合会体育委員会シマオカ・カルロス委員長 今後の競技種目や、その日程等につていては、近日中にお知らせいたします。引き続き文協のサイトをチェックしてください! 問い合わせ:田中ロベルト(文協スポーツ委員会委員長)Tel.: (11) 99622-4565

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オンライン講座「日本の歴史」全20回

この歴史講座はブラジル漫画家協会とブラジル三重県人文化援護協会が2017年から共催しており 「 縄文、弥生時代から 現在に至るまでポルトガル語で日本の歴史が学べる」と毎回好評を博しています。 昨年2020年はCOCID-19の影響を受けオンラインによる講座に変更、本年も引き続きオンラインにて開催します。なお、講座は全20回(有料)です。 第1回オンライン講座「日本の歴史」  日 時:2021年2月21日(日)9時~10時半  プラットフォーム:zoom  言 語:ポルトガル語  受講料:1回につき 27.50レアル      (受講料25レアル + システム使用料2.50レアル) 受講申し込み / お問い合わせ:ここをクリック 

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ライブ配信「ブラジルの祭り」2月10日(水)20時~

ライブ配信 ブラジルの祭り:テーマ「人々を繋ぐハーモニー」日 時:2021年2月10日(水) 20時~リンク: https://www.facebook.com/festivalbunkamatsuri/     ※ポルトガル語のみ ブラジルでは「祭り」が熱い! 「七夕祭り」「文化祭り」「桜祭り」 「盆踊り」 「秋祭り」「いちご祭り」。。。など、ブラジルでは今、各地の日系人が様々な「祭り」を開催しています。 年々規模も拡大し、各地の政府当局による「観光カレンダー」に掲載されるまでに成長した「祭り」も枚挙にいとまがありません。 今回は、その中「祭り」の中から6つの祭りとその代表者が集います。どうぞお楽しみに! 「JUNGLE Matsuri」 : トミオカ・エリカ(マナウス)「Festival Cultural Japonesa de Salvador」 : ミズシマ・ロベルト(サルバドール)「FESTIVAL DO JAPÃO 日本祭り」:キャロル・アヤコ(ポルト・アレグレ)「盆踊り BONODORI」 : マスダ・レオナルド(ゴイアス)「AKIMATSURI 秋祭り」 : アオヤギ・ダニエル(モジ・ダス・クルーゼス市 SP) 「BUNKA MATSURI」:カトウ・タカユキ ( サンパウロ )  

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訃報 本山省三氏 

サンパウロ州立総合大学(USP)教授で、科学史センター理事、ブラジル日本移民史料館館長、サンパウロ人文科学研究所理事長を務めた本山省三氏(二世)が、1月26日(火)午後8時50分頃、自宅でお亡くなりになられました。81歳でした。1月5日に81歳の誕生日を迎えたばかりでした。 夕方になっても、昼寝から起きてこないのを心配し、家族が部屋に様子を見に行ったところ、意識の無い状態で発見されました。救急車で緊急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。死因は不明です。 葬儀は翌日27日に執り行われ、ゲッセマニ・アニャングエラ墓地に埋葬されました。 本山・ミズノ・ジュリア夫人との間に2人のご子息(ショウイチさん、シンジさん)そして、3人のお孫さんに恵まれました。 飽くなき探究心 本山氏はサンパウロ大学(USP)にて物理学を専攻(1967年卒業)、1971年には同大学の科学博士号を取得しています。日本の早稲田大学理工学研究室博士研究員(招待研究員)でもありました。1975年には東京大学の宇宙線研究室に在籍しています。1976年にはサンパウロに戻りUSPで無料指導を行っていました。また本山氏は、USPの哲学・文学・人間科学部の歴史学部の教授(1999/2009)として教鞭をとり、ユニット間科学史センターの所長も努めました。 1966年からサンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事を務め、2004年から2019年まで会長の職を担いました。それ以外にも ブラジルの日本移民史料館の館長(1991/1997および2008/2009)およびアカデミアパウリスタデヒストリアの議長15番のメンバーでもありました。 執筆活動 今までに、科学技術史をテーマにした32冊以上の本を執筆し、2011年は、第二次世界大戦の到来までの日本の移民の歴史について執筆した「日の出の象徴の下で(Sob o Signo do Sol Levante)」を出版しました。 その後、2016年にジャーナリストのホルヘ・オクバロとともに、1941年から2008年までの日本の移民の歴史を取り上げた「戦中戦後編『対立から統合へ』(Do Conflito à Integração – Uma História da Imigração Japonesa no Brasil)」も出版しています。これらは、ポルトガル語版のブラジル日本移民『百年史』全5巻中3巻目です。 現在は、USPおよびブラジル日本移民史料館で主任研究員を務め、日本移民文化研究センターに参加し、史料館の9階に設置される展示会のキュレーターコーディネーターを務めていました。 本山省三氏のブラジル日系社会に対する数々の貢献に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。

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追悼 石井賢治氏

去る1月17日、澄んだ青空が広がった日曜日の朝8時58分、石井賢治氏は2か月間の癌との闘いに終止符を打ち、イスラエリタ・アウベルト・アインシュタイン病院(SP)にて息を引き取られました。88歳でした。翌日、家族葬によってゲツマニ墓地(SP)に埋葬されました。 奥様のミネコさんとの間に、息子のロベルトさん、フェルナンドさん、娘のイザベルさんを授かり、7人の孫にも恵まれました。 石井賢治氏とブラジルをつないだ「陸上」 日本の長野県に農家の末息子として生を受けた石井賢治氏は、慶應義塾大学時代、エリート陸上競技チーム(5千メートルと1万メートルの選手)に所属し、日本の全国陸上競技大会で2度も優勝するなど、将来を期待された選手でした。 アスリート達がフィンランドのヘルシンキで開催される1952年のオリンピックに向けての準備に専念するなか、陸上では、様々な国から名だたる選手が参加することで世界的に有名となった「サンシルベストル国際レース」に、1951年の大晦日、多くの国から選手が送り込まれました。 ブラジルの反対側である日本からは、オリンピック出場候補選手として慶應義塾大学が負担した費用のもと、石井賢治氏と高橋進氏が送り込まれました。 石井氏は既に多くのレースに参加し、ボストンマラソンを含む国際的なレースでのメダルを獲得していましたが、日本人として初参加となったこのレースにて、8位入賞という快挙を成し遂げました。 そしてこのレースに参加するために来伯したことがきっかけとなり、当時日本より豊かで無限の可能性に満ちたブラジルにすっかり魅了され移住を決意、大学を卒業するとすぐ移民船「さんとす丸」に乗りブラジルへと移住しました。 ブラジルでの第2の人生の始まり 石井氏はまず、サンパウロ内部の穀物販売店で働きました。続けてマウアー農業共同組合、リオデジャネイロのヤマガタエンジン建設会社で働く中、南米銀行の創設者でありラテンアメリカにおける日本人移民の中で大きな力を持っていた宮坂国人氏に出会いました。 その宮坂国人氏に勧められ宝石販売業に従事することとなり、1967年に独立し「ジョイアロレーナ石井宝石店」が誕生しました。 ちなみにこの宝石店は、石井氏の3人の子供が後継者になることに興味を示さなかったため、2017年に閉店、50年という歴史に幕を閉じました。 石井氏とブラジル日系社会の関わり 石井氏が文協に入会したのは1959年10月2日のことでした。1987年からは審議委員会の委員を務めるなど、常に協力を惜しみませんでした。それ以外にも、在伯長野県人会およびと慶應義塾大学三田会の会長も務めました。 また「ブラジル法の会」の会員であり、慶應義塾大学ロースクールとの関係に大きく貢献しました。 そして、1960年代半ば以降、ブラジル日系社会において発行される全ての出版物には、「JóiasLorena」のバイリンガル広告が掲載されていたと言っても過言ではありません。そしてこれは石井氏自身の宝石店のマーケティング戦略というよりも、ブラジル日系社会の活動に対する支援が動機となっていることは誰の目から見ても明らかでした。 石井氏と小渕恵三元首相との友情 現在、お二人の友情物語はブラジル日系社会において有名な話ですが、それが公になったのは、1997年のことでした。当時外務大臣だった小渕氏が、東京で開催された石井賢治氏の長男ロベルト氏の結婚式に出席されたのです。ロベルト氏は「父との約束を小渕氏が守ってくださったのです。」と話しました。同じく結婚式に出席していた石井氏の長年の友人であるサンフェルナンドゴルフクラブ創設者であるフリオ・クルス・リマ氏は「二人の間に築かれた友情の物語を交えた祝辞は、そこにいた全員の胸を打った。」と話しました。 そんなお二人の出会いは、1960年代のはじめにさかのぼります。 かばんひとつでぶらりとブラジルへやってきた、当時早稲田大学院生、小渕恵三氏。政治家を志していた若い小渕氏は、世界情勢を実際に肌で感じる必要があると、熱い想いを胸に秘めつつアメリカなど36カ国を訪れ、ブラジルにも足を伸ばしました。ここでは早稲田大学の先輩方に宿を借りながら、約2ヵ月間に亘り日本移住地を見て回りました。そこで思いがけず触れた多くの日本人移民の暖かさに、すっかり心を奪われたとのことです。その「暖かな日本人移民」の一人が石井氏でした。当時、慶應義塾大学の同窓会「三田会」の会長であった石井氏は、日本から来伯するアスリートや若者達の宿や食事などの面倒を快くみることで有名でした。 そんなある日、突然、小渕青年のもとに日本の母親から「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ。」という電報が届きました。 帰国前に食事を共にした石井氏に小渕氏は「偉大な政治家になってまたここに必ず訪れる!」と宣言し、ブラジルを後にしたそうです。 帰国後、小渕氏は父親の地盤を引き継ぎ、26歳で衆議院に当選し4年後に議員として来伯。見事に石井氏との約束を果たしました。 またそれだけでなく1998年のブラジル日本移民90年際には、今度は外務大臣として来伯し記念式典に出席されました。 後に、小渕恵三氏の娘である優子議員は当時の様子を「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです。」と、話しています。 石井氏とスポーツ また息子のロベルト氏は、「父親は常に、バレーボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな分野のスポーツマンに支援し続けていた。」と述べています。 「父は故松平康隆氏※と同級生で、松平氏を通して日本とブラジルの交流を強化しようと一生懸命でした。『エスコラ・ブラジレイラ』という学校を設立し、その結果わが国でバレーボールのチャンピオンが生まれました。」と付け加えました。 ※松平康隆氏(22/01/1930~31/12/2011)とは、日本のバレーボール全日本選手で、後にバレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任した人物 シンプルで正しい人 「石井さんは、サンフェルナンドゴルフクラブのメンバーのために常に率先して協力してくださいました」と同クラブ創立者のフリオ・クルス・リマは、いつも意見を交換していた石井氏について、感謝の言葉を述べました。 「何十年もの間、石井氏は青年たちの宿泊、食事の世話はもちろん、良きアドバイザーとして存在していました。 私たちの倶楽部の青年のためのボール、ティー、キャディが不足することは決してありませんでした。そして石井氏は、誰も知らないうちにそれをするのです。」と話しました。 「これは、常に他人を助けることに関心を持っていた、素朴で正しい人である石井さんのありのままの姿です。 彼は植民地で卓越した尊敬と称賛を勝ち取り、その後数十年でここに到着したすべての移民は、自分達が事業を始める前や、または自分達の家族をブラジルに連れてくる時など、人生の一番大事な事柄は、石井さんに相談しに行きました。」と述べました。 このように、石井氏の人生は常に他者を思いやる大変面倒見のよいスポーツマンだったといえます。 日伯交流への多大なる貢献およびブラジル日系人社会に対する深い愛情に心より感謝するとともに、石井賢治氏のご冥福をお祈り致します。

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訃報 岡野修平氏

ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。82歳でした。同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。 岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。 岡野氏と柔道 1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。 東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。 ブラジル柔道への貢献 岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。 サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。 72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。 柔道を通して日伯交流にも貢献 ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。 なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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追悼 栗原猛氏

去る1月13日に開催した文協理事会において、昨年12月27日午後7時40分に78歳で逝去された栗原猛氏(東京都出身)を追悼する時間を設けました。 石川島ブラジル造船所(略称イシブラス) の出向社員として 栗原氏は明治大学を1965年に卒業後IHI(石川島播磨重工業)に就職、1985年にはリオ・デ・ジャネイロに現地政府当局とIHIの出資による日本・ブラジル合弁の造船・重工業会社「石川島ブラジル造船所(略称イシブラス)」へ出向、1994年にIHIがブラジルから撤退するまで現地で勤務しました。1998年からは、サンパウロのIHI事務所所長として働き、そこで定年を迎えました。その間、妻のヨウコさんとはサンパウロで結婚式を挙げています。ブラジルと日本の両国を常に往来する人生で、日伯交流にも尽力されました。栗原氏はブラジルに長く暮らしていたにもかかわらず、常に日本の上級幹部職者のような雰囲気を醸し出し続けていました。トレードマークでもある上品な白い頭髪と白いあごひげが、それを強調していたと言えます。また常に控えめな態度であるにもかかわらず、誰からも一目置かれる人物でした。 一人息子であった栗原氏は、100歳の母親の介護にも熱心でしたが、とうとう自分自身の体調を崩され4年ほど前から、熊本県にて治療を受けていました。 文協と栗原氏 理事会では、文協において栗原氏と最も多く行動を共にした中島事務局長より、文協での栗原氏の活動の様子が以下の通り語られました。 「栗原氏が文協の活動に加わったのは2004年のことで、当時のサンパウロ新聞社社長で、強力な文協会員だった水本ヘレナ氏が推薦、そして当時の松尾治副会長からの紹介がきっかけでした。推薦理由としては、栗原氏は文協の多岐におよぶ日本語での事務作業における強力な助っ人となってくれるだろうということでした。実際、日本語での文書作成や日本の関連機関との連絡、そして主に当時の文協会長であった上原幸啓氏の心情を日本語の挨拶文に翻訳する作業に携わり、期待以上の活躍をしてくれました。特に、2004年、日本国の小泉純一郎内閣総理大臣が来伯された際に、大変力になって下さいました。このように、日本からの要人の受け入れ時はもちろん、在伯の大使館や領事館、JICA、国際交流基金などとの連絡窓口としての役割も果たして下さいました。 また、上原会長の第二期目(2005-2006)に、会長より会長顧問に任命されました。 それ以外にも、日本政府による叙勲受章者祝賀式、新年祝賀会、天皇誕生日祝賀式典、ブラジル日本移民開拓先亡者追悼大法要などの式典にも携わりました。2005年の文協創立50周年記念における様々な企画と運営、そして文協図書委員会が主催する古本市をはじめとする、様々な委員会への協力、また本人の趣味もかねて、にっけい文芸委員会や音楽委員会などは特に積極的に協力してくださいました。 上原会長(2007-2008)の第3期目に、会長顧問を務めるだけでなく、ブラジル日本移民史料館運営委員長にも就任しました。2008年に、ブラジル日本移民百周年記念式典にご臨席されるためご来伯された徳仁皇太子殿下(当時)が同館をご視察された際には、館内をご案内するという大役もこなされました。 ブラジル移民百周年を記念するために組織された「ブラジル移民百周年記念協会」の執行委員長に松尾治氏が就任して以来、栗原氏は松尾氏の良きアドバイザーとして存在感を示しました。同時に、5巻におよぶ「ブラジル日本移民百年史」を手がけた移民百年史日本語版編纂刊行委員会にも多大な協力をして下さいました。」と語りました。  百周年時に、栗原氏と共に史料館の運営に携わった現ブラジル日本移民史料館運営委員会の山下リジア委員長は「徳仁皇太子殿下(当時)や小泉純一郎内閣総理大臣などの重要な方々のご案内をはじめ、ブラジルを拠点とする日本企業の幹部との関係を築き、重要な財源を史料館に齎してくださいました。」とその活躍ぶりを強調しました。そして「百周年記念事業の一環として栗原氏と共に立ち上げた『足跡プロジェクト』が大変印象に残っております。12年経った現在もこのプロジェクトは多くの方々に利用されており、同館の重要な活動のうちのひとつです。」と話しました。 合わせて、「このように栗原氏が2004年以来、なぜここまで献身的に文協の活動に携わったのかと言えば『コロニー=ブラジル日系人社会』の一員として初めて歓迎された文協事務局との連携を継続すべきだと確信していたからです」と中島事務局長は付け加えました。 また、栗原猛氏は、2014から2016年まで、サンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事も勤めていました。 2013年には、ブラジルのアマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、およびブラジル以外の国々において、自身が若い頃の回想録を、万葉集から選んだ一言を使用し「あらたしき 日伯断想」という題名の書籍を発行しています。栗原が「自分はブラジルのすべての州を知っている」とよく自慢していたことが、つい昨日のことのように思い出されます。 文協の活動を深く理解し、献身的にご協力下さった栗原氏に心より感謝の意を表し、ご冥福をお祈り致します。

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