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第14代文協会長に西尾ロベルト義弘氏が就任

第166回定期評議員会 「なんて素晴らしいことでしょう、会場は満員です!」この言葉は、第166回定期評議員会の準備に奔走する主催者の要望に応える中で、ある事務局メンバーが発した感嘆の一言でした。 2025年4月26日(土)の午前、会場となった文協貴賓室には、50名の評議員(うち8名は委任状による出席)をはじめ、前夜に行われた理事会に出席した地方理事、選挙管理委員会のメンバー、そして現役理事ら約40名が集い、総勢およそ100名で満席となりました。 今回の会合では、2024年度の活動報告および財務報告の承認に加え、団体の運営機関である評議員会会長、理事会会長、監査役会の選出が主要議題として行われました。 なかでも印象的だったのは、石川レナト会長の退任による一抹の寂しさが漂う中、後任として西尾ロベルト義弘氏が満場一致で新会長に選出されたことでした。 Foto 1: 満員となった会場   Foto 2: 2024年度の活動報告/左から頃末書記、評議員会の山下会長、そして理事会の石川会長 評議員会および理事会のメンバーたちは、定款に定められた「1期2年、3期で任期満了」という規定に従い今回退任する石川会長のこれまでの功績に敬意と感謝の意を表するとともに、西尾新会長による新体制を歓迎する思いから、今回の会合への出席を強く希望し、その結果、会場は満員となったと言えます。 そして今後数年間にわたり団体を率いる重責は、西尾ロベルト義弘氏(82歳、パラナ州アサイ出身、元弁護士)に託されました。西尾新会長は過去15年間を見ただけでも、途絶えることなく専任理事、常任理事、副会長という役職につき、文協の運営に携わってきました。 注目を浴びた 2024年度活動報告および会計報告  照屋ウーゴ専任理事は、パワーポイントでまとめて2024年度の各委員会の活動報告を行いました。「時間の都合上、かなり写真の枚数を削減しましたが、各委員会が非常に活発に活動しており、その一つ一つが素晴らしく、本当はもっと詳しくご報告したい気持ちでいっぱいです。」と語り、評議員らに、10ページにわたる資料も配布しました。 活動報告書が満場一致で承認された後、大塚ウィルソン会計専任理事が、前年度のデータを参照しながら2024年度の財務諸表を発表しました。 大塚会計専任理事は、日々の丁寧な記録確認に基づいた透明性の高い会計運営を実践しており、団体の財務状況について的確なコメントを交えながら、数値と結果をわかりやすく提示しました。 会計期間中のキャッシュフロー計算書によると、営業活動によるキャッシュフローは645,300.00レアルの黒字となり、非営業活動ではプロジェクト資金として1,862,000.00レアルを調達しました。このうち、464,000.00レアルは偶発事象や改善のための準備金として留保されました。その結果、2024年12月末時点でのキャッシュフローは、顕著な黒字となる1,225,700.00レアルに達したと報告され、満場一致で承認されました。 「財政は黒字で健全に管理されていますが、計画と支出においては常に質素倹約の姿勢が求められます。」と述べ、大塚会計専任理事は石川レナト前会長の言葉「経費というものは爪のようなもので、伸び続けるため、常に切りそろえる必要があるのです。」を引用して、締めくくりました。 評議員会会長、理事会会長、監査役会選挙  続いて、議題は評議員会会長、理事会会長、監査役会選挙に移りました。 提出期限までに届け出のあったシャッパは西尾氏のもののみであったため、信任投票が行われました。選挙管理委員会の木多委員長の進行のもと、正式に満場一致の拍手をもって承認されました。  西尾 ロベルト 義弘 新会長 挨拶 「文協が各委員会を通じて展開している活動を、私は大いに誇りに思っています。」西尾新会長は、会長職を引き受けた理由についてそう語り、時々ユーモアを交えながら新たな挑戦への意欲を示しました。 そのうえで、自身が「大いに誇りに思っている」とするその他の取り組みについても言及しました――移民の歴史を保存する日本移民史料館の活動、若き栗田氏のリーダーシップのもとで大きく発展を遂げている日本館、そして現在100人以上を対象に行われている高齢者支援の取り組みなどです。 また、今回のシャッパ(連立名簿)の構成の呼び掛けに対し、皆が快く応じてくれたと、喜びと感謝の気持ちを隠しませんでした。 そして、「石川会長が推進してこられた文協の発展の歩みを、私たちも全力で継続してまいります。」と強調し、「今回のシャッパ(連立名簿)に『Transição ― 移行』という名称を付けたのは、歴史的な活動を展開された石川前会長が最も重視されていた『若者を主役に』という理念を受け継ぎ、この文協を若い世代に引き継ぐための期間と位置づけたからです。」と、語りました。新役員を代表して「全力で、そして透明性をもって取り組んでまいります。」と力強く表明。最後に「評議員の皆様、ボランティアの皆様、そして職員の皆様からのご指導を、何卒よろしくお願い申し上げます。」と締めくくりました。 Foto 3: 西尾ロベルト義弘新会長 -「文協の活動には大きな誇りを感じています。」Foto 4: 山下譲二評議員会長 – 「再び役職に選出していただいたことへの信頼に感謝いたします。」 評議員会 会長に再任された 山下 譲二 氏 挨拶 評議員会会長に再任された山下譲二氏は、新たな任期への信任に対して感謝の意を表すとともに、石川前会長に対して次のように謝意を述べました。 「6年間のご在任中、文協のために全力と知恵、そして卓越した手腕を惜しみなく注いでくださり、見事な成果を上げてくださいました。」 さらに、「会長に就任されて以来、『人とのつながり』と『若者の参加を促す』といった明確な目標を掲げ、それを着実に構築・計画・実行されました。」と続けました。 そして最後に、「この取り組みのプロセスを引き継ぎ、さらに発展させるために、石川前会長が築いてこられた礎の上に、優秀な西尾氏が新たに就任されます。」と力強く締めくくりました。 期間満了(2年3期)につき退任する石川レナト会長 挨拶 石川レナト前会長:「本日、私たちは文協がブラジル日系社会における中核的存在として確固たる地位を築いたことを実感しています。」 まず冒頭で、自分の任期を無事に終えることができたのは、健康を授けてくださった神様、家族、地方理事、各委員会のメンバー、在伯日本大使館や総領事館、JICAをはじめとする日本政府関係者の皆さまのおかげであると述べ、心からの感謝の意を表しました。 そして、文協の会長として過ごした6年間を振り返り、「長い年月ではありましたが、振り返ってみるとあっという間だったように思います。」としみじみと語りました。

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第16回文協全伯俳句大会 兼題投句受付中(〆切-5月30日)

文協文芸委員会主催の第16回文協全伯俳句大会が8月17日午前9時から開催されるにあたり、現在、兼題(事前投句)を募集しています。 みなさまの投句をお待ちしております! 兼題(事前投句) 〆切は5月30日(金) 兼題:秋季・冬季一切 「道」(路、径でも可)・一人五句まで(未発表作品に限る)・投句は無料・楷書(漢字にはふりがなを付けること) 投句〆切:2025年5月30日(金) 必着のこと宛先:・メールの場合 cal@bunkyo.org.br・WhatsAppの場合 +55-11-97522-6101・郵送の場合 Bunkyo Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social (Bunkyo)  R. São Joaquim, 381 – Liberdade, São Paulo – SP, 01508-900  (ハイク)と明記 ・入選句発表:2025年8月17日の「第16回文協全伯俳句大会」にて発表および授賞式 ・投句用紙:以下の「投句用紙」ボタンからダウンロードしてご使用ください。(文協窓口でも配布しています) また、既にお持ちの原稿用紙のマス目を使用しても問題ありません。  第16回文協全伯俳句大会  日 時:2025年8月17日(日)受付8時~ / 開始9時~場 所:文協ビル参加費:一人につき60レアル(弁当込み)席 題:当日に発表 実行委員長:宮川信之実行委員:太田映子、串間いつえ、小斎棹子、児玉和代、西谷律子、吉田しのぶ 事前投句選者:伊那宏、串間いつえ、久保一光、小斎棹子、児玉和代、白石佳和、広瀬芳山、吉田しのぶ席題選者:小斎棹子、広瀬芳山、吉田しのぶ 問い合わせ:WhatsApp +55 11 97522-6101 (ルイスー日本語可)

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第55回文協工芸展 参加登録受付中!6月18まで

ブラジル日本友好条約締結130周年および文協創立70周年を記念する本年、文協工芸委員会は、「第55回文協工芸展」の開催に向けて準備を進めています。 なお同展は、2025年10月4日から19日まで、文協文化スペースにて開催される予定です。 参加を希望される方は、参加方法、選考基準、スケジュールなどの詳細が記載された募集要項を以下のリンクからご確認ください。 出展の申込は、4月15日から6月8日まで、以下のオンラインの申込フォームを通じて行われます 。 「第55回文協工芸展」カレンダー 参加登録:4月15日~6月8日 第1フェーズ予選会:6月18,19日予選会通過作品発表:6月23日 第2フェーズ通過作品提出:7月17,18日出展作品発表:7月19日入選作品発表:7月28日 来賓向け「第55回文協工芸展」オープニングセレモニー:10月4日一般公開:10月5~19日 第1フェーズ:データによる審査 6月18,19日に実行委員会によって作品の写真データによる一次選考が行われます。予選通過作品発表は、6月23日。 第2フェーズ:実際の作品による審査 第1フェーズで選出された作品は、直接持参または郵送により7月17,18日に文協に届ける必要があります。7月19日に、招待審査員によって構成される審査員団が、「第55回文協工芸展」に出展される作品および受賞作品の選定を行います。この結果は7月28日に発表されます。 招待者向けの開会式は2025年10月4日に行われ、一般公開は10月5日から19日までとなります。 登録に関するご質問は、artekoguei@bunkyo.org.br までメールでお問い合わせください。 最新情報は、Koguei Art Commissionのソーシャルメディア(@artekoguei.bunkyo)とBunkyoのソーシャルメディア(@bunkyodigital)でご覧いただけます。 皆様のご応募をお待ちしております。

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第1水曜日は文協シネマ&フリマの日🎥5月は7日に開催

毎月第1水曜日に開催する「文協シネマ&フリマ」。2025年5月は7日です。みなさまのご来場をお待ちしております。 文協シネマ 映画名:彼岸花日 時:2025年5月7日(水)13時~場 所:文協ビル大講堂料 金:無料※ポルトガル語字幕付き  映画詳細≫≫≫彼岸花 (松竹株式会社サイト) 水曜フリーマーケット 日 時:2025年5月7日(水)10時~15時場 所:文協ビル大講堂前ロビー フリーマーケットには、古着 ( 新品あり ) 、雑貨、古本、アクセサリー、ハンドメイド作品、和菓子、弁当、野菜などが出品されます。掘り出し物が見つかるかもしれません!どうぞ、お気軽にお越しください。 ※この水曜フリマは文協図書館が主催しています。出店希望の場合は文協図書館(ワッツザップ:(11)975226-6101)までお問い合わせください。

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パッセイオ🚌5月20日(火) 参加申込受付中!

イミグランティス・エコロジックパーク&ブラジル日本移民史料館を巡るパッセイオ 【日 時】2025年5月20日(火)8時~15時30分【料 金】一人170レアル(前払い)※貸切りバス(ガイド付き)、各所入場料込、弁当代込【申込方法】文協事務局 (11) 3208-1755までお電話ください お待たせいたしました!文協の会員拡充委員会が主催する大好評のイミグランティス・エコロジック・パーク&ブラジル日本移民史料館をめぐる次回のパッセイオは2025 年5月20日(火)です! このパッセイオは貸切バスで行われ、ガイドが同行し、料金には各所入場料と昼食代(弁当)が含まれています。 現在、参加申し込み受付中です。貸し切りバスの座席に限りがありますので、お申し込みはお早めに! *** 日程 *** 8h 文協出発 (R. São Joaquim, 381 – Liberdade –SP) 9h イミグランティス・エコロジック・パーク到着 (1グループ(10人)毎にガイド1人で散策) 12h イミグランティス・エコロジック・パーク出発 13h 文協ビル到着 / 昼食 (弁当) 14h ブラジル日本移民史料館見学(ガイド付) 15h30 解散 お問合せ:文協事務局 (11) 3208-1755  

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「第54回山本喜誉司賞」推薦受付中!〆切は7月25日

山本喜誉司賞とは この賞名の由来となった山本喜誉司氏は、コーヒー栽培の害虫駆除に有効なウガンダ蜂の研究で、ブラジル日系社会はもとよりブラジルにおける農業の分野で多大なる貢献を成し、母校東京大学から農学博士を授与された方です。 また同氏は文協創設者の一人であり、初代会長としてブラジル日系社会をまとめた人物でもありました。 そんな山本氏が何より熱意を傾けていたのが、農業分野における日系人後継者の育成でした。 この志を引き継ぐべく、1965年にブラジル農業技術研究協会(ABETA)は農業分野で貢献のあった日系人の個人や団体を顕彰する山本喜誉司賞(PKY)を開始しました。1999年にはABETAから文協へと託され、すでに174名の日系人または日系団体を顕彰しています。なお、現在同賞は、ブラジルの農業部門における最も伝統的な賞のうちの一つとなっています。 写真:昨年度の受賞者とそのご家族、および関係者 農業分野の日系人功労者を顕彰する「第54回山本喜誉司賞」推薦受付〆切は7月25日 選考基準 以下のいずれかに該当し、かつ2団体(または機関)以上から推薦を受ける必要があり、そのうち の1 つは、候補者が勤務している(または勤務していた)団体(または機関)でなければなりません。 ◆技術革新への貢献◆独創性・創意への先駆的貢献◆農業者が獲得した成果の波及への貢献◆財政・経済的成功による農業分野での貢献◆環境保全への貢献◆地域社会での活躍や社会への貢献 詳細およびお問い合わせ 電話:文協事務局(011)3208-1755 メール:evento@bunkyo.org.br   なお、授賞式は2025年10月31日(金)文協ビルにて開催を予定しています。 沢山のご応募をお待ちしております。

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『未来への団結』24年度活動報告と25年度活動計画

写真(左から):県連・谷口会長 /JICAブラジル・宮崎所長 / 文協・西尾副会長 / 援協・税田会長 未来への団結 – JICAブラジル+文協+援協+県連 去る2025年4月14日、文協貴賓室にて、JICAブラジル事務所からは宮崎明博所長が、ブラジル日本文化福祉協会(文協)からは西尾ロベルト義弘副会長が、サンパウロ日伯援護協会(援協)からは税田パウロ会長が、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)からは谷口ジョゼ会長がそれぞれ参加し、2024年2月に締結された「JICAとブラジル日系社会における『未来への団結』連携協力覚書」に対しての、これまでの報告および今後1年間の活動計画の申し合わせが行われました。 詳細はコチラの記事をご覧ください:報告:JICAとブラジル日系社会における「未来への団結」連携協力覚書署名式(2024/3/28) 文協の西尾副会長は、これまでのJICAの支援に感謝の意を表したあと、2025年度は日伯外交樹立130周年および文協創立70周年の記念の年であることに触れ、6月の佳子内親王殿下のご訪問、11月28日のサンパウロ市営劇場にて行うスペシャル音楽コンサートとカクテルパーティをメインとした様々な行事をしっかり行っていきたいと述べました。 援協の税田会長は、「パンデミックの影響で多くの日系団体が活動を継続できず、存続の危機に直面しましたが、JICAの支援によって救われました。中でも最も大きな恩恵を受けたのは、私たち援協ではないかと思います。そのおかげで、すべての高齢者施設の改修工事や、多くの設備の更新を行うことができました。」と感謝の意を表し、2025年度も引き続き医療や福祉を必要とされる方々へより良いサービスを提供していくと述べました。 県連の谷口会長は、本年度の「第26回日本祭り」および「第2回ふるさといいもの展」は日伯外交樹立130周年を記念して、いつもより盛大に開催する予定であると述べました。 JICAブラジルの宮崎所長は、プロジェクトが順調に継続されていることに喜び、日本のことわざ――「三人寄れば文殊の知恵」――を引用し、「ここには四人いますから、さらに力強い。みんなでアイディアを出し合いながら、邁進していきたい。」と話しました。 一通りの発表がなされた後、既にまとめられていた2025年度活動計画書を確認、それぞれが署名をし、本年度も未来のために団結していくことを申し合わせました。

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文協青年委員会-猪股レオナルド新委員長および新理事会役員就任式

去る2025年3月29日の土曜日の午後、文協の貴賓室に約200名の関係者が集い、猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ氏の2025年度文協青年委員会委員長就任式が行われました。 他地域の様々なブラジル日系青年団体メンバーも駆け付ける中、盛況となったこの就任式には、在サンパウロ日本国総領事館の清水享総領事、JICAブラジル事務所長の宮崎 明博所長、そして文協の石川レナト会長をはじめとするブラジル日系社会の要人も多数出席しました。 2024年度文協青年委員会委員長 イザベラ・チアム氏の挨拶 まず、2024年度の委員長を務めたイザベラ・チアム氏が挨拶に立ちました。 「この挑戦を私と共に受け入れ、1年間にわたり素晴らしく熱意ある活動をしてくださった役員の皆さんをはじめ、支えて下さった全ての方々に、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。1年前の委員長就任のあいさつで、私は「この道は決して平坦ではないけれど、任期の終了時には、素晴らしい思い出と大切な仲間、そして私たちが成し遂げたことへの誇りを持っていたい。」と述べたことを、今でもよく覚えています。私自身、文協青年委員会のレガシーに貢献できたことを心から嬉しく思っています。今後、私たちが文協青年委員会として、役員だけでなく全メンバーの努力によって、どこへ向かっていくのかを見るのがとても楽しみです。」と述べました。 Fotos: Marcus Queiroz 2025年度文協青年委員会 猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ 新委員長挨拶 2025年の文協青年委員会の委員長に新たに就任した、弁護士の猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ氏は、2021年に同委員会に加入。2023年度には人事担当理事を務め、その次年度では副委員長を務めました。2022年には「青年バレーボール国士舘スーパーリーグ」を企画し、それ以降のすべての大会の運営も担当しています。 就任挨拶に立ったレオナルド委員長は、「イベントというのは、いわばミクロなマネジメントで、そこで起きているすべてのことに気を配らなければならない一方で、同時に自分のそばにいる仲間たちを信頼する必要があります。」と語り、まずは前年度の委員会の運営が会全体を大きく成長させたことを改めて強調しました。 「私たちは多くの困難に直面し、私自身も大きく成長しました。その経験を経て今では委員長職を引き受ける準備ができたと感じています。」と述べ、さらにこう付け加えました。「これまでにも多くのことを経験し、多くの困難がありました。その都度、柔軟に対応する力が求められました。私たちがここで気づいたのは、すべての団体がとても似ているということです。」と分析し、「ある団体が直面する問題は、他の多くの団体でも同じように起こっているのです。」と語りました。 それゆえに、「文協青年委員会が毎年開催している『日系団体青年部指導者合同会議(REVI)』や他の交流の場は、若者たちが互いに知り合い、自分たちの団体をどう活性化させるかを話し合える貴重な機会です。」と語り、「私たちはこのREVIをすでに約30年も続けているということは、大きな誇りであり、価値のある実績だと思います。」と述べました。 「文協青年委員会がこれからも、軽やかさとフランクさを持って歩み続けていけますように。それが私のスタイルであり、常に皆さんに近い存在として、経験を分かち合っていきたいと思っています。」と締めくくりました。 来賓あいさつ Fotos: Giovanna Abrunhosa まず、同委員会の心強い後援者を代表し、今回諸事情により来場できなかった宮坂国人財団の西尾ロベルト理事長のメッセージが読み上げられました。 「一人一人が同じ目的のためにメンバーと一緒に献身的に取り組むとき、成功は確実となる。レオナルド新委員長!メンバーを率いて鼓舞し、青年委員会を新たな高みへと導いてください。あなたの能力を信じ、活動に懸命に取り組んでください。全力を尽くせば、この新しい挑戦は必ず成功するでしょう!」 続いて、JICAブラジル事務所の宮崎所長は、文協および文協青年委員会のJICAの活動に対する協力に感謝の意を表し、2024年度の委員長として大役を全うしたイザベラ氏の労をねぎらいながら「新しい世代の参加は、日本文化を保存し、さらに広め、ブラジル日系社会を強化し、ブラジルと日本の関係を支援するために非常に重要です。」と述べました。また、日伯友好条約130周年記念を迎えた本年は、文協と文協青年委員会にとって非常に忙しい年になるだろうと話し、「レオナルド新委員長のもと、青年委員会が大いに活躍することを願っています。」と話しました。 在聖日本国総領事館の清水総領事は、昨年2024年4月に、ブラジルを訪問された当時の岸田文雄内閣総理大臣歓迎式典において、同委員会の青年たちがボランティアとして協力したことに対し感謝の意を表するとともに、「在聖日本国総領事館としても、今後も引き続き青年たちの取り組みを支援し、協力していく所存です。」と話しました。また「ブラジルにおいて日本文化や価値観の保存と進化に尽力する若者たちの取り組みを目の当たりにすることは大きな喜びです。」と述べ、本年が文協創立70周年といった節目であることにも触れ「経験豊富なリーダーたちが新しい世代と積極的に対話し、知識を伝承していくことは、ブラジル日系社会が、日本とブラジルの関係において今後も重要な役割を果たし続けるための根幹となります。」と付け加えました。 Foto 1:就任に関する署名を執り行った石川レナト文協会長と文協青年委員会の猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ新委員長   Foto : Aldo Shiguti.Foto 2: 歴代の文協青年委員会委員長たち – (左から)ラファエル・ペッターセン, 玉那覇グラジエラ, 伊藤ダグラス・ミツユキ, イザベラ・チアム・ペローテと猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ     Foto por: Marcus Queiroz. 文協の石川レナト会長は、自身の3期目最後の任期末を迎えるにあたり、「今日は非常に特別な日であり、青年委員会の新役員への引継ぎに大きな喜びをもって参加しています。」と述べました。そして、「長年にわたり、この活動を間近で見守る光栄に浴してきましたが、年々、努力と献身を重ね、情熱の灯を絶やさぬという決意を新たにする皆さん、若者たちの熱意にますます感動しています。」と語りました。 そして、2024年度のイザベラ委員長とそのチームのにおける青年および他の委員会との素晴らしい活動を称賛し、労をねぎらうと共に「青年委員会の特徴は、常に他の委員会を助ける準備ができていることだと思います。」と付け加えました。 「同様に、私たちの親愛なる猪俣レオナルドさんと彼の新チームに敬意を表し、歓迎の意を表したいと思います。」と続け、「彼らは青年委員会の活動を継続し、さらに発展させる責任をもって役員職を引き継ぎます」と述べました。そして、「レオ、あなたのチームを愛情深く大切にし、常に調和と配慮、特に委員会の新しいメンバーへの配慮を忘れないでください。」と付け加えました。 また「私が2019年に文協の会長に就任して、まず最初に要求したことは『青年たちとの対話』でした。」と話しました。そして、「当時、それを受けて親愛なる故・秀島マルセロ氏が、早速青年たちとのニッケイパレスホテルでの夕食会を設けてくれました。それは素晴らしいものでした。約25名の若者が集まり、その多くが今もこの委員会で活動を続けてくれています。」と振り返りました。 石川会長は、その時、自身の活動方針を説明するだけでなく、若者たちの意見を熱心に聞いたと語りました。そして、「私にとって、青年たちとの最初の対面は実りが多く、大きな学びの始まりだった。」と述べました。 「今日、こうして文協のイベントを企画・運営する責任を、若いリーダーである皆さんがますます担うようになっているのを、私は誇りと喜びをもって見守っています。」と続け、「皆さんの活動は本当に刺激的です。」と語りました。また、ブラジル国内外の他団体への度重なる訪問を通じて、「年長者の先輩たちが、自分たちの団体をこれから若い世代が引き継ぎ、運営していけるよう、若者に主役の座を譲ることにますます関心を寄せています。」と強調しました。 「文協の青年委員会は『他の団体にも伝えるべき模範的な存在』であり、そしてそれは非常に重要なことです。文協をこれから担っていくのは、まさに皆さんなのです!」と鼓舞しました。 就任式の後は、Banda Sankyoによる演奏および、その演奏に合わせて皆で輪になって踊るなど、にぎやかなひと時を過ごしました。 Fotos: Aldo

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オンライン講座「日本の歴史」全20回

この歴史講座はブラジル漫画家協会とブラジル三重県人文化援護協会が2017年から共催しており 「 縄文、弥生時代から 現在に至るまでポルトガル語で日本の歴史が学べる」と毎回好評を博しています。 昨年2020年はCOCID-19の影響を受けオンラインによる講座に変更、本年も引き続きオンラインにて開催します。なお、講座は全20回(有料)です。 第1回オンライン講座「日本の歴史」  日 時:2021年2月21日(日)9時~10時半  プラットフォーム:zoom  言 語:ポルトガル語  受講料:1回につき 27.50レアル      (受講料25レアル + システム使用料2.50レアル) 受講申し込み / お問い合わせ:ここをクリック 

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ライブ配信「ブラジルの祭り」2月10日(水)20時~

ライブ配信 ブラジルの祭り:テーマ「人々を繋ぐハーモニー」日 時:2021年2月10日(水) 20時~リンク: https://www.facebook.com/festivalbunkamatsuri/     ※ポルトガル語のみ ブラジルでは「祭り」が熱い! 「七夕祭り」「文化祭り」「桜祭り」 「盆踊り」 「秋祭り」「いちご祭り」。。。など、ブラジルでは今、各地の日系人が様々な「祭り」を開催しています。 年々規模も拡大し、各地の政府当局による「観光カレンダー」に掲載されるまでに成長した「祭り」も枚挙にいとまがありません。 今回は、その中「祭り」の中から6つの祭りとその代表者が集います。どうぞお楽しみに! 「JUNGLE Matsuri」 : トミオカ・エリカ(マナウス)「Festival Cultural Japonesa de Salvador」 : ミズシマ・ロベルト(サルバドール)「FESTIVAL DO JAPÃO 日本祭り」:キャロル・アヤコ(ポルト・アレグレ)「盆踊り BONODORI」 : マスダ・レオナルド(ゴイアス)「AKIMATSURI 秋祭り」 : アオヤギ・ダニエル(モジ・ダス・クルーゼス市 SP) 「BUNKA MATSURI」:カトウ・タカユキ ( サンパウロ )  

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訃報 本山省三氏 

サンパウロ州立総合大学(USP)教授で、科学史センター理事、ブラジル日本移民史料館館長、サンパウロ人文科学研究所理事長を務めた本山省三氏(二世)が、1月26日(火)午後8時50分頃、自宅でお亡くなりになられました。81歳でした。1月5日に81歳の誕生日を迎えたばかりでした。 夕方になっても、昼寝から起きてこないのを心配し、家族が部屋に様子を見に行ったところ、意識の無い状態で発見されました。救急車で緊急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。死因は不明です。 葬儀は翌日27日に執り行われ、ゲッセマニ・アニャングエラ墓地に埋葬されました。 本山・ミズノ・ジュリア夫人との間に2人のご子息(ショウイチさん、シンジさん)そして、3人のお孫さんに恵まれました。 飽くなき探究心 本山氏はサンパウロ大学(USP)にて物理学を専攻(1967年卒業)、1971年には同大学の科学博士号を取得しています。日本の早稲田大学理工学研究室博士研究員(招待研究員)でもありました。1975年には東京大学の宇宙線研究室に在籍しています。1976年にはサンパウロに戻りUSPで無料指導を行っていました。また本山氏は、USPの哲学・文学・人間科学部の歴史学部の教授(1999/2009)として教鞭をとり、ユニット間科学史センターの所長も努めました。 1966年からサンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事を務め、2004年から2019年まで会長の職を担いました。それ以外にも ブラジルの日本移民史料館の館長(1991/1997および2008/2009)およびアカデミアパウリスタデヒストリアの議長15番のメンバーでもありました。 執筆活動 今までに、科学技術史をテーマにした32冊以上の本を執筆し、2011年は、第二次世界大戦の到来までの日本の移民の歴史について執筆した「日の出の象徴の下で(Sob o Signo do Sol Levante)」を出版しました。 その後、2016年にジャーナリストのホルヘ・オクバロとともに、1941年から2008年までの日本の移民の歴史を取り上げた「戦中戦後編『対立から統合へ』(Do Conflito à Integração – Uma História da Imigração Japonesa no Brasil)」も出版しています。これらは、ポルトガル語版のブラジル日本移民『百年史』全5巻中3巻目です。 現在は、USPおよびブラジル日本移民史料館で主任研究員を務め、日本移民文化研究センターに参加し、史料館の9階に設置される展示会のキュレーターコーディネーターを務めていました。 本山省三氏のブラジル日系社会に対する数々の貢献に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。

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追悼 石井賢治氏

去る1月17日、澄んだ青空が広がった日曜日の朝8時58分、石井賢治氏は2か月間の癌との闘いに終止符を打ち、イスラエリタ・アウベルト・アインシュタイン病院(SP)にて息を引き取られました。88歳でした。翌日、家族葬によってゲツマニ墓地(SP)に埋葬されました。 奥様のミネコさんとの間に、息子のロベルトさん、フェルナンドさん、娘のイザベルさんを授かり、7人の孫にも恵まれました。 石井賢治氏とブラジルをつないだ「陸上」 日本の長野県に農家の末息子として生を受けた石井賢治氏は、慶應義塾大学時代、エリート陸上競技チーム(5千メートルと1万メートルの選手)に所属し、日本の全国陸上競技大会で2度も優勝するなど、将来を期待された選手でした。 アスリート達がフィンランドのヘルシンキで開催される1952年のオリンピックに向けての準備に専念するなか、陸上では、様々な国から名だたる選手が参加することで世界的に有名となった「サンシルベストル国際レース」に、1951年の大晦日、多くの国から選手が送り込まれました。 ブラジルの反対側である日本からは、オリンピック出場候補選手として慶應義塾大学が負担した費用のもと、石井賢治氏と高橋進氏が送り込まれました。 石井氏は既に多くのレースに参加し、ボストンマラソンを含む国際的なレースでのメダルを獲得していましたが、日本人として初参加となったこのレースにて、8位入賞という快挙を成し遂げました。 そしてこのレースに参加するために来伯したことがきっかけとなり、当時日本より豊かで無限の可能性に満ちたブラジルにすっかり魅了され移住を決意、大学を卒業するとすぐ移民船「さんとす丸」に乗りブラジルへと移住しました。 ブラジルでの第2の人生の始まり 石井氏はまず、サンパウロ内部の穀物販売店で働きました。続けてマウアー農業共同組合、リオデジャネイロのヤマガタエンジン建設会社で働く中、南米銀行の創設者でありラテンアメリカにおける日本人移民の中で大きな力を持っていた宮坂国人氏に出会いました。 その宮坂国人氏に勧められ宝石販売業に従事することとなり、1967年に独立し「ジョイアロレーナ石井宝石店」が誕生しました。 ちなみにこの宝石店は、石井氏の3人の子供が後継者になることに興味を示さなかったため、2017年に閉店、50年という歴史に幕を閉じました。 石井氏とブラジル日系社会の関わり 石井氏が文協に入会したのは1959年10月2日のことでした。1987年からは審議委員会の委員を務めるなど、常に協力を惜しみませんでした。それ以外にも、在伯長野県人会およびと慶應義塾大学三田会の会長も務めました。 また「ブラジル法の会」の会員であり、慶應義塾大学ロースクールとの関係に大きく貢献しました。 そして、1960年代半ば以降、ブラジル日系社会において発行される全ての出版物には、「JóiasLorena」のバイリンガル広告が掲載されていたと言っても過言ではありません。そしてこれは石井氏自身の宝石店のマーケティング戦略というよりも、ブラジル日系社会の活動に対する支援が動機となっていることは誰の目から見ても明らかでした。 石井氏と小渕恵三元首相との友情 現在、お二人の友情物語はブラジル日系社会において有名な話ですが、それが公になったのは、1997年のことでした。当時外務大臣だった小渕氏が、東京で開催された石井賢治氏の長男ロベルト氏の結婚式に出席されたのです。ロベルト氏は「父との約束を小渕氏が守ってくださったのです。」と話しました。同じく結婚式に出席していた石井氏の長年の友人であるサンフェルナンドゴルフクラブ創設者であるフリオ・クルス・リマ氏は「二人の間に築かれた友情の物語を交えた祝辞は、そこにいた全員の胸を打った。」と話しました。 そんなお二人の出会いは、1960年代のはじめにさかのぼります。 かばんひとつでぶらりとブラジルへやってきた、当時早稲田大学院生、小渕恵三氏。政治家を志していた若い小渕氏は、世界情勢を実際に肌で感じる必要があると、熱い想いを胸に秘めつつアメリカなど36カ国を訪れ、ブラジルにも足を伸ばしました。ここでは早稲田大学の先輩方に宿を借りながら、約2ヵ月間に亘り日本移住地を見て回りました。そこで思いがけず触れた多くの日本人移民の暖かさに、すっかり心を奪われたとのことです。その「暖かな日本人移民」の一人が石井氏でした。当時、慶應義塾大学の同窓会「三田会」の会長であった石井氏は、日本から来伯するアスリートや若者達の宿や食事などの面倒を快くみることで有名でした。 そんなある日、突然、小渕青年のもとに日本の母親から「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ。」という電報が届きました。 帰国前に食事を共にした石井氏に小渕氏は「偉大な政治家になってまたここに必ず訪れる!」と宣言し、ブラジルを後にしたそうです。 帰国後、小渕氏は父親の地盤を引き継ぎ、26歳で衆議院に当選し4年後に議員として来伯。見事に石井氏との約束を果たしました。 またそれだけでなく1998年のブラジル日本移民90年際には、今度は外務大臣として来伯し記念式典に出席されました。 後に、小渕恵三氏の娘である優子議員は当時の様子を「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです。」と、話しています。 石井氏とスポーツ また息子のロベルト氏は、「父親は常に、バレーボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな分野のスポーツマンに支援し続けていた。」と述べています。 「父は故松平康隆氏※と同級生で、松平氏を通して日本とブラジルの交流を強化しようと一生懸命でした。『エスコラ・ブラジレイラ』という学校を設立し、その結果わが国でバレーボールのチャンピオンが生まれました。」と付け加えました。 ※松平康隆氏(22/01/1930~31/12/2011)とは、日本のバレーボール全日本選手で、後にバレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任した人物 シンプルで正しい人 「石井さんは、サンフェルナンドゴルフクラブのメンバーのために常に率先して協力してくださいました」と同クラブ創立者のフリオ・クルス・リマは、いつも意見を交換していた石井氏について、感謝の言葉を述べました。 「何十年もの間、石井氏は青年たちの宿泊、食事の世話はもちろん、良きアドバイザーとして存在していました。 私たちの倶楽部の青年のためのボール、ティー、キャディが不足することは決してありませんでした。そして石井氏は、誰も知らないうちにそれをするのです。」と話しました。 「これは、常に他人を助けることに関心を持っていた、素朴で正しい人である石井さんのありのままの姿です。 彼は植民地で卓越した尊敬と称賛を勝ち取り、その後数十年でここに到着したすべての移民は、自分達が事業を始める前や、または自分達の家族をブラジルに連れてくる時など、人生の一番大事な事柄は、石井さんに相談しに行きました。」と述べました。 このように、石井氏の人生は常に他者を思いやる大変面倒見のよいスポーツマンだったといえます。 日伯交流への多大なる貢献およびブラジル日系人社会に対する深い愛情に心より感謝するとともに、石井賢治氏のご冥福をお祈り致します。

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訃報 岡野修平氏

ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。82歳でした。同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。 岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。 岡野氏と柔道 1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。 東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。 ブラジル柔道への貢献 岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。 サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。 72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。 柔道を通して日伯交流にも貢献 ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。 なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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追悼 栗原猛氏

去る1月13日に開催した文協理事会において、昨年12月27日午後7時40分に78歳で逝去された栗原猛氏(東京都出身)を追悼する時間を設けました。 石川島ブラジル造船所(略称イシブラス) の出向社員として 栗原氏は明治大学を1965年に卒業後IHI(石川島播磨重工業)に就職、1985年にはリオ・デ・ジャネイロに現地政府当局とIHIの出資による日本・ブラジル合弁の造船・重工業会社「石川島ブラジル造船所(略称イシブラス)」へ出向、1994年にIHIがブラジルから撤退するまで現地で勤務しました。1998年からは、サンパウロのIHI事務所所長として働き、そこで定年を迎えました。その間、妻のヨウコさんとはサンパウロで結婚式を挙げています。ブラジルと日本の両国を常に往来する人生で、日伯交流にも尽力されました。栗原氏はブラジルに長く暮らしていたにもかかわらず、常に日本の上級幹部職者のような雰囲気を醸し出し続けていました。トレードマークでもある上品な白い頭髪と白いあごひげが、それを強調していたと言えます。また常に控えめな態度であるにもかかわらず、誰からも一目置かれる人物でした。 一人息子であった栗原氏は、100歳の母親の介護にも熱心でしたが、とうとう自分自身の体調を崩され4年ほど前から、熊本県にて治療を受けていました。 文協と栗原氏 理事会では、文協において栗原氏と最も多く行動を共にした中島事務局長より、文協での栗原氏の活動の様子が以下の通り語られました。 「栗原氏が文協の活動に加わったのは2004年のことで、当時のサンパウロ新聞社社長で、強力な文協会員だった水本ヘレナ氏が推薦、そして当時の松尾治副会長からの紹介がきっかけでした。推薦理由としては、栗原氏は文協の多岐におよぶ日本語での事務作業における強力な助っ人となってくれるだろうということでした。実際、日本語での文書作成や日本の関連機関との連絡、そして主に当時の文協会長であった上原幸啓氏の心情を日本語の挨拶文に翻訳する作業に携わり、期待以上の活躍をしてくれました。特に、2004年、日本国の小泉純一郎内閣総理大臣が来伯された際に、大変力になって下さいました。このように、日本からの要人の受け入れ時はもちろん、在伯の大使館や領事館、JICA、国際交流基金などとの連絡窓口としての役割も果たして下さいました。 また、上原会長の第二期目(2005-2006)に、会長より会長顧問に任命されました。 それ以外にも、日本政府による叙勲受章者祝賀式、新年祝賀会、天皇誕生日祝賀式典、ブラジル日本移民開拓先亡者追悼大法要などの式典にも携わりました。2005年の文協創立50周年記念における様々な企画と運営、そして文協図書委員会が主催する古本市をはじめとする、様々な委員会への協力、また本人の趣味もかねて、にっけい文芸委員会や音楽委員会などは特に積極的に協力してくださいました。 上原会長(2007-2008)の第3期目に、会長顧問を務めるだけでなく、ブラジル日本移民史料館運営委員長にも就任しました。2008年に、ブラジル日本移民百周年記念式典にご臨席されるためご来伯された徳仁皇太子殿下(当時)が同館をご視察された際には、館内をご案内するという大役もこなされました。 ブラジル移民百周年を記念するために組織された「ブラジル移民百周年記念協会」の執行委員長に松尾治氏が就任して以来、栗原氏は松尾氏の良きアドバイザーとして存在感を示しました。同時に、5巻におよぶ「ブラジル日本移民百年史」を手がけた移民百年史日本語版編纂刊行委員会にも多大な協力をして下さいました。」と語りました。  百周年時に、栗原氏と共に史料館の運営に携わった現ブラジル日本移民史料館運営委員会の山下リジア委員長は「徳仁皇太子殿下(当時)や小泉純一郎内閣総理大臣などの重要な方々のご案内をはじめ、ブラジルを拠点とする日本企業の幹部との関係を築き、重要な財源を史料館に齎してくださいました。」とその活躍ぶりを強調しました。そして「百周年記念事業の一環として栗原氏と共に立ち上げた『足跡プロジェクト』が大変印象に残っております。12年経った現在もこのプロジェクトは多くの方々に利用されており、同館の重要な活動のうちのひとつです。」と話しました。 合わせて、「このように栗原氏が2004年以来、なぜここまで献身的に文協の活動に携わったのかと言えば『コロニー=ブラジル日系人社会』の一員として初めて歓迎された文協事務局との連携を継続すべきだと確信していたからです」と中島事務局長は付け加えました。 また、栗原猛氏は、2014から2016年まで、サンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事も勤めていました。 2013年には、ブラジルのアマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、およびブラジル以外の国々において、自身が若い頃の回想録を、万葉集から選んだ一言を使用し「あらたしき 日伯断想」という題名の書籍を発行しています。栗原が「自分はブラジルのすべての州を知っている」とよく自慢していたことが、つい昨日のことのように思い出されます。 文協の活動を深く理解し、献身的にご協力下さった栗原氏に心より感謝の意を表し、ご冥福をお祈り致します。

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