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『未来への団結』24年度活動報告と25年度活動計画

写真(左から):県連・谷口会長 /JICAブラジル・宮崎所長 / 文協・西尾副会長 / 援協・税田会長 未来への団結 – JICAブラジル+文協+援協+県連 去る2025年4月14日、文協貴賓室にて、JICAブラジル事務所からは宮崎明博所長が、ブラジル日本文化福祉協会(文協)からは西尾ロベルト義弘副会長が、サンパウロ日伯援護協会(援協)からは税田パウロ会長が、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)からは谷口ジョゼ会長がそれぞれ参加し、2024年2月に締結された「JICAとブラジル日系社会における『未来への団結』連携協力覚書」に対しての、これまでの報告および今後1年間の活動計画の申し合わせが行われました。 詳細はコチラの記事をご覧ください:報告:JICAとブラジル日系社会における「未来への団結」連携協力覚書署名式(2024/3/28) 文協の西尾副会長は、これまでのJICAの支援に感謝の意を表したあと、2025年度は日伯外交樹立130周年および文協創立70周年の記念の年であることに触れ、6月の佳子内親王殿下のご訪問、11月28日のサンパウロ市営劇場にて行うスペシャル音楽コンサートとカクテルパーティをメインとした様々な行事をしっかり行っていきたいと述べました。 援協の税田会長は、「パンデミックの影響で多くの日系団体が活動を継続できず、存続の危機に直面しましたが、JICAの支援によって救われました。中でも最も大きな恩恵を受けたのは、私たち援協ではないかと思います。そのおかげで、すべての高齢者施設の改修工事や、多くの設備の更新を行うことができました。」と感謝の意を表し、2025年度も引き続き医療や福祉を必要とされる方々へより良いサービスを提供していくと述べました。 県連の谷口会長は、本年度の「第26回日本祭り」および「第2回ふるさといいもの展」は日伯外交樹立130周年を記念して、いつもより盛大に開催する予定であると述べました。 JICAブラジルの宮崎所長は、プロジェクトが順調に継続されていることに喜び、日本のことわざ――「三人寄れば文殊の知恵」――を引用し、「ここには四人いますから、さらに力強い。みんなでアイディアを出し合いながら、邁進していきたい。」と話しました。 一通りの発表がなされた後、既にまとめられていた2025年度活動計画書を確認、それぞれが署名をし、本年度も未来のために団結していくことを申し合わせました。

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文協青年委員会-猪股レオナルド新委員長および新理事会役員就任式

去る2025年3月29日の土曜日の午後、文協の貴賓室に約200名の関係者が集い、猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ氏の2025年度文協青年委員会委員長就任式が行われました。 他地域の様々なブラジル日系青年団体メンバーも駆け付ける中、盛況となったこの就任式には、在サンパウロ日本国総領事館の清水享総領事、JICAブラジル事務所長の宮崎 明博所長、そして文協の石川レナト会長をはじめとするブラジル日系社会の要人も多数出席しました。 2024年度文協青年委員会委員長 イザベラ・チアム氏の挨拶 まず、2024年度の委員長を務めたイザベラ・チアム氏が挨拶に立ちました。 「この挑戦を私と共に受け入れ、1年間にわたり素晴らしく熱意ある活動をしてくださった役員の皆さんをはじめ、支えて下さった全ての方々に、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。1年前の委員長就任のあいさつで、私は「この道は決して平坦ではないけれど、任期の終了時には、素晴らしい思い出と大切な仲間、そして私たちが成し遂げたことへの誇りを持っていたい。」と述べたことを、今でもよく覚えています。私自身、文協青年委員会のレガシーに貢献できたことを心から嬉しく思っています。今後、私たちが文協青年委員会として、役員だけでなく全メンバーの努力によって、どこへ向かっていくのかを見るのがとても楽しみです。」と述べました。 Fotos: Marcus Queiroz 2025年度文協青年委員会 猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ 新委員長挨拶 2025年の文協青年委員会の委員長に新たに就任した、弁護士の猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ氏は、2021年に同委員会に加入。2023年度には人事担当理事を務め、その次年度では副委員長を務めました。2022年には「青年バレーボール国士舘スーパーリーグ」を企画し、それ以降のすべての大会の運営も担当しています。 就任挨拶に立ったレオナルド委員長は、「イベントというのは、いわばミクロなマネジメントで、そこで起きているすべてのことに気を配らなければならない一方で、同時に自分のそばにいる仲間たちを信頼する必要があります。」と語り、まずは前年度の委員会の運営が会全体を大きく成長させたことを改めて強調しました。 「私たちは多くの困難に直面し、私自身も大きく成長しました。その経験を経て今では委員長職を引き受ける準備ができたと感じています。」と述べ、さらにこう付け加えました。「これまでにも多くのことを経験し、多くの困難がありました。その都度、柔軟に対応する力が求められました。私たちがここで気づいたのは、すべての団体がとても似ているということです。」と分析し、「ある団体が直面する問題は、他の多くの団体でも同じように起こっているのです。」と語りました。 それゆえに、「文協青年委員会が毎年開催している『日系団体青年部指導者合同会議(REVI)』や他の交流の場は、若者たちが互いに知り合い、自分たちの団体をどう活性化させるかを話し合える貴重な機会です。」と語り、「私たちはこのREVIをすでに約30年も続けているということは、大きな誇りであり、価値のある実績だと思います。」と述べました。 「文協青年委員会がこれからも、軽やかさとフランクさを持って歩み続けていけますように。それが私のスタイルであり、常に皆さんに近い存在として、経験を分かち合っていきたいと思っています。」と締めくくりました。 来賓あいさつ Fotos: Giovanna Abrunhosa まず、同委員会の心強い後援者を代表し、今回諸事情により来場できなかった宮坂国人財団の西尾ロベルト理事長のメッセージが読み上げられました。 「一人一人が同じ目的のためにメンバーと一緒に献身的に取り組むとき、成功は確実となる。レオナルド新委員長!メンバーを率いて鼓舞し、青年委員会を新たな高みへと導いてください。あなたの能力を信じ、活動に懸命に取り組んでください。全力を尽くせば、この新しい挑戦は必ず成功するでしょう!」 続いて、JICAブラジル事務所の宮崎所長は、文協および文協青年委員会のJICAの活動に対する協力に感謝の意を表し、2024年度の委員長として大役を全うしたイザベラ氏の労をねぎらいながら「新しい世代の参加は、日本文化を保存し、さらに広め、ブラジル日系社会を強化し、ブラジルと日本の関係を支援するために非常に重要です。」と述べました。また、日伯友好条約130周年記念を迎えた本年は、文協と文協青年委員会にとって非常に忙しい年になるだろうと話し、「レオナルド新委員長のもと、青年委員会が大いに活躍することを願っています。」と話しました。 在聖日本国総領事館の清水総領事は、昨年2024年4月に、ブラジルを訪問された当時の岸田文雄内閣総理大臣歓迎式典において、同委員会の青年たちがボランティアとして協力したことに対し感謝の意を表するとともに、「在聖日本国総領事館としても、今後も引き続き青年たちの取り組みを支援し、協力していく所存です。」と話しました。また「ブラジルにおいて日本文化や価値観の保存と進化に尽力する若者たちの取り組みを目の当たりにすることは大きな喜びです。」と述べ、本年が文協創立70周年といった節目であることにも触れ「経験豊富なリーダーたちが新しい世代と積極的に対話し、知識を伝承していくことは、ブラジル日系社会が、日本とブラジルの関係において今後も重要な役割を果たし続けるための根幹となります。」と付け加えました。 Foto 1:就任に関する署名を執り行った石川レナト文協会長と文協青年委員会の猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ新委員長   Foto : Aldo Shiguti.Foto 2: 歴代の文協青年委員会委員長たち – (左から)ラファエル・ペッターセン, 玉那覇グラジエラ, 伊藤ダグラス・ミツユキ, イザベラ・チアム・ペローテと猪股・タヒラ・レオナルド・ヒデキ     Foto por: Marcus Queiroz. 文協の石川レナト会長は、自身の3期目最後の任期末を迎えるにあたり、「今日は非常に特別な日であり、青年委員会の新役員への引継ぎに大きな喜びをもって参加しています。」と述べました。そして、「長年にわたり、この活動を間近で見守る光栄に浴してきましたが、年々、努力と献身を重ね、情熱の灯を絶やさぬという決意を新たにする皆さん、若者たちの熱意にますます感動しています。」と語りました。 そして、2024年度のイザベラ委員長とそのチームのにおける青年および他の委員会との素晴らしい活動を称賛し、労をねぎらうと共に「青年委員会の特徴は、常に他の委員会を助ける準備ができていることだと思います。」と付け加えました。 「同様に、私たちの親愛なる猪俣レオナルドさんと彼の新チームに敬意を表し、歓迎の意を表したいと思います。」と続け、「彼らは青年委員会の活動を継続し、さらに発展させる責任をもって役員職を引き継ぎます」と述べました。そして、「レオ、あなたのチームを愛情深く大切にし、常に調和と配慮、特に委員会の新しいメンバーへの配慮を忘れないでください。」と付け加えました。 また「私が2019年に文協の会長に就任して、まず最初に要求したことは『青年たちとの対話』でした。」と話しました。そして、「当時、それを受けて親愛なる故・秀島マルセロ氏が、早速青年たちとのニッケイパレスホテルでの夕食会を設けてくれました。それは素晴らしいものでした。約25名の若者が集まり、その多くが今もこの委員会で活動を続けてくれています。」と振り返りました。 石川会長は、その時、自身の活動方針を説明するだけでなく、若者たちの意見を熱心に聞いたと語りました。そして、「私にとって、青年たちとの最初の対面は実りが多く、大きな学びの始まりだった。」と述べました。 「今日、こうして文協のイベントを企画・運営する責任を、若いリーダーである皆さんがますます担うようになっているのを、私は誇りと喜びをもって見守っています。」と続け、「皆さんの活動は本当に刺激的です。」と語りました。また、ブラジル国内外の他団体への度重なる訪問を通じて、「年長者の先輩たちが、自分たちの団体をこれから若い世代が引き継ぎ、運営していけるよう、若者に主役の座を譲ることにますます関心を寄せています。」と強調しました。 「文協の青年委員会は『他の団体にも伝えるべき模範的な存在』であり、そしてそれは非常に重要なことです。文協をこれから担っていくのは、まさに皆さんなのです!」と鼓舞しました。 就任式の後は、Banda Sankyoによる演奏および、その演奏に合わせて皆で輪になって踊るなど、にぎやかなひと時を過ごしました。 Fotos: Aldo

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日本ブラジル友好交流130年ロゴマーク発表!

在ブラジル日本国大使館サイトより 日伯友好通商航海条約130年記念ロゴ 2025年1月15日、在ブラジル日本国大使館の林禎二大使と、在日ブラジル大使館オクタビオ・エンリッケ・ジアス・ガルシア・コルテス大使により、日伯友好通商航海条約130年を記念するロゴマークが発表されました。 なお、ロゴマークの使用に関しての詳細は、以下の在ブラジル日本国大使館のホームページをご覧ください。

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BUNKYO NEWS コロニア No.147

表紙の写真:2023年の第17回文協文化祭りの期間中に、 茶道裏千家ブラジルセンター林宗一代表の生徒である9歳の横畠 高橋アルツール君が、 公衆の前では初めてとなる、客をもてなす 「亭主」を務めている場面です。 半東 (サポート役) の父親の横畠勇造 (宗勇) 氏およびパトリシア・ノヴェリーニ・ドス・サントス氏を伴って、正確な作法を披露する姿を、 誰もが驚きと称賛の気持ちを持って見つめました。 実はこのアルツール君、サンパウロ市創設四百周年祭において「日本館」の建設時に発足した 「日本人協力会」において実行委員長という重責を担い、日系社会を率いた武田俊男氏のひ孫さんに当たります。 この写真は、ブラジルにおける日本文化の継承の成功を証明する象徴的な一枚であると言えます。 ちなみに日本館は2024年に建設70周年を迎えました。   写真: MARCEL UYETA BUNKYO NEWS コロニア No.147 この文協年鑑「コロニア」には、文協が主催したイベントおよび参加イベント、並びに文協の各委員会の活動状況報告や次年度の活動計画等を詳細にまとめて、年に1回のペースで発行している文協年鑑です。 この度、2024年度の活動報告を掲載した第147号BUNKYO NEWS コロニアを出版致しました。どうぞご一読下さい! BUNKYO NEWS コロニア に広告を掲載しませんか?

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文協年鑑誌に広告を掲載しませんか

文協年鑑誌 『 BUNKYO NEWS コロニア 』とは 「ブラジル日系社会の中心的機関としてブラジルにおいて日本文化の継承と普及を促進すると共に、日本においてはブラジル文化の紹介と普及に務める」という弊会の理念のもと実施した活動記録誌で、 1956年から年に1回発行しており、現在は2024年に発行した第147号が最新版となっています。 同誌は日伯両語で出版され(カラー印刷、108ページ)、国内外の会員、日本とブラジルの政府機関および関連団体、中南米の日系団体などへは郵送、当会に来られた各国要人には必ず手渡しで贈呈するなど、発行部数は1500冊となっております。(無料配布) またそれだけでなく、出版物の内容は、ウェブサイトおよび文協のソーシャル ネットワーク (Facebook および Instagram) にも掲載しています。 特典として、カバー広告主は、6 か月間、文協の Web サイトおよびBunkyo e-ニュース (月間メルマガ) に会社のロゴを掲載。 広告掲載に関するお問合せ:担当 今本  正美  (11) 3208-1755  e-mail atendimento@bunkyo.org.br                 

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文協選挙2025🗳️シャッパ受付〆切は4月9日18時

写真:連立名簿を受け取る事務局の今本正美、届け出を行うシャッパ名〈Transição〉理事会会長候補の西尾ロベルト義弘、評議会会長候補の山下譲二、会計専任理事候補の原長門(敬称略) 文協の役員選挙プロセスもいよいよ最終段階に入りました。 連立名簿-シャッパ―の提出は4月9日の18時が締め切りでした。 今回、正式に立候補届を提出したのは、シャッパ名〈Transição〉のみでした。 これを受け、選挙管理委員会の木多喜八郎委員長率いる選挙管理委員会は、このTransiçãoの立候補者が定款の要件を満たしているかを確認した上で、Transiçãoを正式に承認しました。 なお、Transiçãoで理事会会長に立候補しているのは、前期に第1副会長を務めた弁護士の西尾ロベルト義弘氏です。また、評議員会会長には山下譲二氏が再選を目指して立候補しています。 来たる4月26日(土)に予定されている第166回定期評議員会において、評議員会会長、理事会会長、監査役会の信任投票が行われます。 シャッパ-Transição 陣容 【理事会】会   長:西尾 ロベルト 義弘第1副会長:佐々木 ワルテル第2副会長:平野 オストン第3副会長:原沢 カルロス第4副会長:山下 リジア第5副会長:上田 マサミJr第6副会長:福原 ケンジ・カルロス第7副会長:上辻 照子専任理事 :猪俣 レオナルド会計専任理事:原 長門  【評議員会】会 長:山下 譲二第1副会長:桂川 富男第2副会長:島袋 栄喜第3副会長:西村 リカルド第1幹事:頃末 アンドレ第2幹事:カワセ・アレシャンドレ第3幹事:楠本 留巳     【正監査役】木多 マサミ・ロジェリオ石川 タケシ藤井 ヒロシ・カルロス 【補欠監査役】清原 健児清水 リジア島袋 カミロ 文協選挙2025 スケジュール 【 第1フェーズ 】 1月13日 評議員立候補受付開始 2月14日 評議員立候補受付〆切 2月26日 立候補者の名前を記載した単一投票用紙を会員へ向け送付 3月 7日 2024年までの会費完納〆切 3月21日 郵送による投票用紙受理〆切

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Save the date!第2回万国祭り-4月26(土), 27 (日)

🟦🟦🟦第2回万国祭り🟦🟦🟦 日 時:2025年4月26日(土)、27日(日) 10時~17時場 所:文協国士舘公園    Estrada Municipal do Carmo, 801, Canguera, São Roque-SP入場料:無料駐車場:🚗車1台につき25レアル送迎バス:1座席につき60レアル       ※時間やご予約方法の詳細は下記の通り🐕‍🦺ペット同伴可👨‍👦‍👦キッズスペース有 文協ビル⇔文協国士舘公園 送迎バスご予約について ※座席は、26,27日両日とも売り切れました 料 金:1座席につき60レアル(往復)出発場所:文協ビル前(Rua São Joaquim, 381 – Liberdade)時 間:① 文協ビル前 8時 出発 / 文協国士舘公園17時出発    ② 文協ビル前 8時 出発 / 文協国士舘公園18時出発 チケットは Sympla からお買い求めください。   注意事項:チケット購入時に復路の時間を選択してください。座席の予約の関係上、後から変更することはできません。乗車券は往復のみ購入可能であり、片道のみの購入はできません。キャンセルおよび払い戻しはSymplaを通じて直接行ってください。キャンセルおよび払い戻しのポリシーについてはこちらをご確認ください。バスの保険の関係上、フォームには乗客ごとにCPF(個人納税者番号)を必ず記入してください。帰りのバスの降車場所は必ず文協ビル前となります。安全上の理由から、地下鉄駅など周辺の別の場所での降車はできません。 第2回 万国祭り 「人種のるつぼ」と言われるここブラジルは、実に多くの国の移民の子孫が一同に、しかもお互いの文化を尊重しながら平和に暮らしています。 これは世界に誇り得る内容ではないでしょうか。 昨年、文協国士舘公園の自然豊かな環境の中で開催した「第1回万国祭り」が大変な好評を博したことにより、本年も開催を決定致しました! 現在参加が決定している国々はこちら:日本、ドイツ、アルメニア、ギリシャ、イタリア、ロシア、パラグアイ この2日間は、民族舞踊だけでなく、参加国の郷土料理などの販売コーナーもあります。 みなさまのお越しをお待ちしています! 昨年の「第1回万国祭り」がTV Tem / G1で放送されました。 問い合わせ:文協事務局 ✆11-3208-1755

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いけばな展&工芸フェア~秋の彩り~🍁4月26,27日

いけばな展&工芸フェア ~ 秋の彩り ~ 日 時:2025年4月26日(土)、27日(日)10時 ~ 18時場 所:文協文化スペース    Rua Galvão Bueno, 596, Liberdade, São Paulo入場料:無料委託駐車場:Rua Galvão Bueno, 540 ※料金は各自払い 日本とブラジルの間で正式な国交が結ばれてから130周年、そして文協創立70周年を記念して、文協のいけ花委員会と工芸員会が協力し、4月26日・27日の両日、文協文化スペースにて「秋の彩り(Cores de Outono)」を開催します。 広々とした文協文化スペースには、工芸委員会の陶芸家たちが制作した花器を使用し、いけ花委員会のメンバーが心を込めていけた作品が展示されます。 またそれだけでなく、「工芸フェア」も開設され、陶器、文具、織物、木工品、ジュエリー、刺し子、押し花など、多彩な手工芸品が並び、購入することが出来ます。 また、いけばなを含む様々な技法のワークショップも開催され、日本食を楽しめるスペースも設けられます。 母の日のプレゼントにぴったりな、創造的で唯一無二の作品を手に入れる絶好の機会です。 どうぞお見逃しなく! お問合せ:artekoguei@bunkyo.org.br

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オンライン講座「日本の歴史」全20回

この歴史講座はブラジル漫画家協会とブラジル三重県人文化援護協会が2017年から共催しており 「 縄文、弥生時代から 現在に至るまでポルトガル語で日本の歴史が学べる」と毎回好評を博しています。 昨年2020年はCOCID-19の影響を受けオンラインによる講座に変更、本年も引き続きオンラインにて開催します。なお、講座は全20回(有料)です。 第1回オンライン講座「日本の歴史」  日 時:2021年2月21日(日)9時~10時半  プラットフォーム:zoom  言 語:ポルトガル語  受講料:1回につき 27.50レアル      (受講料25レアル + システム使用料2.50レアル) 受講申し込み / お問い合わせ:ここをクリック 

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ライブ配信「ブラジルの祭り」2月10日(水)20時~

ライブ配信 ブラジルの祭り:テーマ「人々を繋ぐハーモニー」日 時:2021年2月10日(水) 20時~リンク: https://www.facebook.com/festivalbunkamatsuri/     ※ポルトガル語のみ ブラジルでは「祭り」が熱い! 「七夕祭り」「文化祭り」「桜祭り」 「盆踊り」 「秋祭り」「いちご祭り」。。。など、ブラジルでは今、各地の日系人が様々な「祭り」を開催しています。 年々規模も拡大し、各地の政府当局による「観光カレンダー」に掲載されるまでに成長した「祭り」も枚挙にいとまがありません。 今回は、その中「祭り」の中から6つの祭りとその代表者が集います。どうぞお楽しみに! 「JUNGLE Matsuri」 : トミオカ・エリカ(マナウス)「Festival Cultural Japonesa de Salvador」 : ミズシマ・ロベルト(サルバドール)「FESTIVAL DO JAPÃO 日本祭り」:キャロル・アヤコ(ポルト・アレグレ)「盆踊り BONODORI」 : マスダ・レオナルド(ゴイアス)「AKIMATSURI 秋祭り」 : アオヤギ・ダニエル(モジ・ダス・クルーゼス市 SP) 「BUNKA MATSURI」:カトウ・タカユキ ( サンパウロ )  

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訃報 本山省三氏 

サンパウロ州立総合大学(USP)教授で、科学史センター理事、ブラジル日本移民史料館館長、サンパウロ人文科学研究所理事長を務めた本山省三氏(二世)が、1月26日(火)午後8時50分頃、自宅でお亡くなりになられました。81歳でした。1月5日に81歳の誕生日を迎えたばかりでした。 夕方になっても、昼寝から起きてこないのを心配し、家族が部屋に様子を見に行ったところ、意識の無い状態で発見されました。救急車で緊急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。死因は不明です。 葬儀は翌日27日に執り行われ、ゲッセマニ・アニャングエラ墓地に埋葬されました。 本山・ミズノ・ジュリア夫人との間に2人のご子息(ショウイチさん、シンジさん)そして、3人のお孫さんに恵まれました。 飽くなき探究心 本山氏はサンパウロ大学(USP)にて物理学を専攻(1967年卒業)、1971年には同大学の科学博士号を取得しています。日本の早稲田大学理工学研究室博士研究員(招待研究員)でもありました。1975年には東京大学の宇宙線研究室に在籍しています。1976年にはサンパウロに戻りUSPで無料指導を行っていました。また本山氏は、USPの哲学・文学・人間科学部の歴史学部の教授(1999/2009)として教鞭をとり、ユニット間科学史センターの所長も努めました。 1966年からサンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事を務め、2004年から2019年まで会長の職を担いました。それ以外にも ブラジルの日本移民史料館の館長(1991/1997および2008/2009)およびアカデミアパウリスタデヒストリアの議長15番のメンバーでもありました。 執筆活動 今までに、科学技術史をテーマにした32冊以上の本を執筆し、2011年は、第二次世界大戦の到来までの日本の移民の歴史について執筆した「日の出の象徴の下で(Sob o Signo do Sol Levante)」を出版しました。 その後、2016年にジャーナリストのホルヘ・オクバロとともに、1941年から2008年までの日本の移民の歴史を取り上げた「戦中戦後編『対立から統合へ』(Do Conflito à Integração – Uma História da Imigração Japonesa no Brasil)」も出版しています。これらは、ポルトガル語版のブラジル日本移民『百年史』全5巻中3巻目です。 現在は、USPおよびブラジル日本移民史料館で主任研究員を務め、日本移民文化研究センターに参加し、史料館の9階に設置される展示会のキュレーターコーディネーターを務めていました。 本山省三氏のブラジル日系社会に対する数々の貢献に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。

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追悼 石井賢治氏

去る1月17日、澄んだ青空が広がった日曜日の朝8時58分、石井賢治氏は2か月間の癌との闘いに終止符を打ち、イスラエリタ・アウベルト・アインシュタイン病院(SP)にて息を引き取られました。88歳でした。翌日、家族葬によってゲツマニ墓地(SP)に埋葬されました。 奥様のミネコさんとの間に、息子のロベルトさん、フェルナンドさん、娘のイザベルさんを授かり、7人の孫にも恵まれました。 石井賢治氏とブラジルをつないだ「陸上」 日本の長野県に農家の末息子として生を受けた石井賢治氏は、慶應義塾大学時代、エリート陸上競技チーム(5千メートルと1万メートルの選手)に所属し、日本の全国陸上競技大会で2度も優勝するなど、将来を期待された選手でした。 アスリート達がフィンランドのヘルシンキで開催される1952年のオリンピックに向けての準備に専念するなか、陸上では、様々な国から名だたる選手が参加することで世界的に有名となった「サンシルベストル国際レース」に、1951年の大晦日、多くの国から選手が送り込まれました。 ブラジルの反対側である日本からは、オリンピック出場候補選手として慶應義塾大学が負担した費用のもと、石井賢治氏と高橋進氏が送り込まれました。 石井氏は既に多くのレースに参加し、ボストンマラソンを含む国際的なレースでのメダルを獲得していましたが、日本人として初参加となったこのレースにて、8位入賞という快挙を成し遂げました。 そしてこのレースに参加するために来伯したことがきっかけとなり、当時日本より豊かで無限の可能性に満ちたブラジルにすっかり魅了され移住を決意、大学を卒業するとすぐ移民船「さんとす丸」に乗りブラジルへと移住しました。 ブラジルでの第2の人生の始まり 石井氏はまず、サンパウロ内部の穀物販売店で働きました。続けてマウアー農業共同組合、リオデジャネイロのヤマガタエンジン建設会社で働く中、南米銀行の創設者でありラテンアメリカにおける日本人移民の中で大きな力を持っていた宮坂国人氏に出会いました。 その宮坂国人氏に勧められ宝石販売業に従事することとなり、1967年に独立し「ジョイアロレーナ石井宝石店」が誕生しました。 ちなみにこの宝石店は、石井氏の3人の子供が後継者になることに興味を示さなかったため、2017年に閉店、50年という歴史に幕を閉じました。 石井氏とブラジル日系社会の関わり 石井氏が文協に入会したのは1959年10月2日のことでした。1987年からは審議委員会の委員を務めるなど、常に協力を惜しみませんでした。それ以外にも、在伯長野県人会およびと慶應義塾大学三田会の会長も務めました。 また「ブラジル法の会」の会員であり、慶應義塾大学ロースクールとの関係に大きく貢献しました。 そして、1960年代半ば以降、ブラジル日系社会において発行される全ての出版物には、「JóiasLorena」のバイリンガル広告が掲載されていたと言っても過言ではありません。そしてこれは石井氏自身の宝石店のマーケティング戦略というよりも、ブラジル日系社会の活動に対する支援が動機となっていることは誰の目から見ても明らかでした。 石井氏と小渕恵三元首相との友情 現在、お二人の友情物語はブラジル日系社会において有名な話ですが、それが公になったのは、1997年のことでした。当時外務大臣だった小渕氏が、東京で開催された石井賢治氏の長男ロベルト氏の結婚式に出席されたのです。ロベルト氏は「父との約束を小渕氏が守ってくださったのです。」と話しました。同じく結婚式に出席していた石井氏の長年の友人であるサンフェルナンドゴルフクラブ創設者であるフリオ・クルス・リマ氏は「二人の間に築かれた友情の物語を交えた祝辞は、そこにいた全員の胸を打った。」と話しました。 そんなお二人の出会いは、1960年代のはじめにさかのぼります。 かばんひとつでぶらりとブラジルへやってきた、当時早稲田大学院生、小渕恵三氏。政治家を志していた若い小渕氏は、世界情勢を実際に肌で感じる必要があると、熱い想いを胸に秘めつつアメリカなど36カ国を訪れ、ブラジルにも足を伸ばしました。ここでは早稲田大学の先輩方に宿を借りながら、約2ヵ月間に亘り日本移住地を見て回りました。そこで思いがけず触れた多くの日本人移民の暖かさに、すっかり心を奪われたとのことです。その「暖かな日本人移民」の一人が石井氏でした。当時、慶應義塾大学の同窓会「三田会」の会長であった石井氏は、日本から来伯するアスリートや若者達の宿や食事などの面倒を快くみることで有名でした。 そんなある日、突然、小渕青年のもとに日本の母親から「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ。」という電報が届きました。 帰国前に食事を共にした石井氏に小渕氏は「偉大な政治家になってまたここに必ず訪れる!」と宣言し、ブラジルを後にしたそうです。 帰国後、小渕氏は父親の地盤を引き継ぎ、26歳で衆議院に当選し4年後に議員として来伯。見事に石井氏との約束を果たしました。 またそれだけでなく1998年のブラジル日本移民90年際には、今度は外務大臣として来伯し記念式典に出席されました。 後に、小渕恵三氏の娘である優子議員は当時の様子を「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです。」と、話しています。 石井氏とスポーツ また息子のロベルト氏は、「父親は常に、バレーボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな分野のスポーツマンに支援し続けていた。」と述べています。 「父は故松平康隆氏※と同級生で、松平氏を通して日本とブラジルの交流を強化しようと一生懸命でした。『エスコラ・ブラジレイラ』という学校を設立し、その結果わが国でバレーボールのチャンピオンが生まれました。」と付け加えました。 ※松平康隆氏(22/01/1930~31/12/2011)とは、日本のバレーボール全日本選手で、後にバレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任した人物 シンプルで正しい人 「石井さんは、サンフェルナンドゴルフクラブのメンバーのために常に率先して協力してくださいました」と同クラブ創立者のフリオ・クルス・リマは、いつも意見を交換していた石井氏について、感謝の言葉を述べました。 「何十年もの間、石井氏は青年たちの宿泊、食事の世話はもちろん、良きアドバイザーとして存在していました。 私たちの倶楽部の青年のためのボール、ティー、キャディが不足することは決してありませんでした。そして石井氏は、誰も知らないうちにそれをするのです。」と話しました。 「これは、常に他人を助けることに関心を持っていた、素朴で正しい人である石井さんのありのままの姿です。 彼は植民地で卓越した尊敬と称賛を勝ち取り、その後数十年でここに到着したすべての移民は、自分達が事業を始める前や、または自分達の家族をブラジルに連れてくる時など、人生の一番大事な事柄は、石井さんに相談しに行きました。」と述べました。 このように、石井氏の人生は常に他者を思いやる大変面倒見のよいスポーツマンだったといえます。 日伯交流への多大なる貢献およびブラジル日系人社会に対する深い愛情に心より感謝するとともに、石井賢治氏のご冥福をお祈り致します。

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訃報 岡野修平氏

ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。82歳でした。同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。 岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。 岡野氏と柔道 1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。 東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。 ブラジル柔道への貢献 岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。 サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。 72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。 柔道を通して日伯交流にも貢献 ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。 なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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追悼 栗原猛氏

去る1月13日に開催した文協理事会において、昨年12月27日午後7時40分に78歳で逝去された栗原猛氏(東京都出身)を追悼する時間を設けました。 石川島ブラジル造船所(略称イシブラス) の出向社員として 栗原氏は明治大学を1965年に卒業後IHI(石川島播磨重工業)に就職、1985年にはリオ・デ・ジャネイロに現地政府当局とIHIの出資による日本・ブラジル合弁の造船・重工業会社「石川島ブラジル造船所(略称イシブラス)」へ出向、1994年にIHIがブラジルから撤退するまで現地で勤務しました。1998年からは、サンパウロのIHI事務所所長として働き、そこで定年を迎えました。その間、妻のヨウコさんとはサンパウロで結婚式を挙げています。ブラジルと日本の両国を常に往来する人生で、日伯交流にも尽力されました。栗原氏はブラジルに長く暮らしていたにもかかわらず、常に日本の上級幹部職者のような雰囲気を醸し出し続けていました。トレードマークでもある上品な白い頭髪と白いあごひげが、それを強調していたと言えます。また常に控えめな態度であるにもかかわらず、誰からも一目置かれる人物でした。 一人息子であった栗原氏は、100歳の母親の介護にも熱心でしたが、とうとう自分自身の体調を崩され4年ほど前から、熊本県にて治療を受けていました。 文協と栗原氏 理事会では、文協において栗原氏と最も多く行動を共にした中島事務局長より、文協での栗原氏の活動の様子が以下の通り語られました。 「栗原氏が文協の活動に加わったのは2004年のことで、当時のサンパウロ新聞社社長で、強力な文協会員だった水本ヘレナ氏が推薦、そして当時の松尾治副会長からの紹介がきっかけでした。推薦理由としては、栗原氏は文協の多岐におよぶ日本語での事務作業における強力な助っ人となってくれるだろうということでした。実際、日本語での文書作成や日本の関連機関との連絡、そして主に当時の文協会長であった上原幸啓氏の心情を日本語の挨拶文に翻訳する作業に携わり、期待以上の活躍をしてくれました。特に、2004年、日本国の小泉純一郎内閣総理大臣が来伯された際に、大変力になって下さいました。このように、日本からの要人の受け入れ時はもちろん、在伯の大使館や領事館、JICA、国際交流基金などとの連絡窓口としての役割も果たして下さいました。 また、上原会長の第二期目(2005-2006)に、会長より会長顧問に任命されました。 それ以外にも、日本政府による叙勲受章者祝賀式、新年祝賀会、天皇誕生日祝賀式典、ブラジル日本移民開拓先亡者追悼大法要などの式典にも携わりました。2005年の文協創立50周年記念における様々な企画と運営、そして文協図書委員会が主催する古本市をはじめとする、様々な委員会への協力、また本人の趣味もかねて、にっけい文芸委員会や音楽委員会などは特に積極的に協力してくださいました。 上原会長(2007-2008)の第3期目に、会長顧問を務めるだけでなく、ブラジル日本移民史料館運営委員長にも就任しました。2008年に、ブラジル日本移民百周年記念式典にご臨席されるためご来伯された徳仁皇太子殿下(当時)が同館をご視察された際には、館内をご案内するという大役もこなされました。 ブラジル移民百周年を記念するために組織された「ブラジル移民百周年記念協会」の執行委員長に松尾治氏が就任して以来、栗原氏は松尾氏の良きアドバイザーとして存在感を示しました。同時に、5巻におよぶ「ブラジル日本移民百年史」を手がけた移民百年史日本語版編纂刊行委員会にも多大な協力をして下さいました。」と語りました。  百周年時に、栗原氏と共に史料館の運営に携わった現ブラジル日本移民史料館運営委員会の山下リジア委員長は「徳仁皇太子殿下(当時)や小泉純一郎内閣総理大臣などの重要な方々のご案内をはじめ、ブラジルを拠点とする日本企業の幹部との関係を築き、重要な財源を史料館に齎してくださいました。」とその活躍ぶりを強調しました。そして「百周年記念事業の一環として栗原氏と共に立ち上げた『足跡プロジェクト』が大変印象に残っております。12年経った現在もこのプロジェクトは多くの方々に利用されており、同館の重要な活動のうちのひとつです。」と話しました。 合わせて、「このように栗原氏が2004年以来、なぜここまで献身的に文協の活動に携わったのかと言えば『コロニー=ブラジル日系人社会』の一員として初めて歓迎された文協事務局との連携を継続すべきだと確信していたからです」と中島事務局長は付け加えました。 また、栗原猛氏は、2014から2016年まで、サンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事も勤めていました。 2013年には、ブラジルのアマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、およびブラジル以外の国々において、自身が若い頃の回想録を、万葉集から選んだ一言を使用し「あらたしき 日伯断想」という題名の書籍を発行しています。栗原が「自分はブラジルのすべての州を知っている」とよく自慢していたことが、つい昨日のことのように思い出されます。 文協の活動を深く理解し、献身的にご協力下さった栗原氏に心より感謝の意を表し、ご冥福をお祈り致します。

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