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日本館🎄年末年始休館日🎍について

日本館からのお知らせ 日頃より日本館に対し格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。誠に勝手ながら、年末年始休暇を以下とさせて頂きます。 年末年始休暇:2023年12月24日(日)~2024年1月3日(水) よろしくお願い致します。 日本館 場 所: イビラプエラ公園    Av. Pedro Álvares Cabral, s/nº – São Paulo – SP   日本館最寄りゲート:ゲート10(徒歩の場合) / ゲート  3(車の場合)                               営業日: 木、金、土、日、祝日時 間: 10時から17時まで お問い合わせ:(11) 99538-1927 または pavilhao@bunkyo.org.br 入館料大人:15レアル学生:  7レアル(要学生証)高齢者(60歳以上): 7レアル 子供(5~12歳):7レアル幼児(4歳まで):無料※チケットは一度購入したら、その日は何度でも出入り可※木曜日は無料 日本館の詳細はこちら

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「文協シネマ&水曜フリマ」🎥1月は10日!

毎月第1水曜日に開催する「文協シネマ&フリマ」(共催:国際交流基金サンパウロ事務所)。2024年1月は、第2水曜日の10日(水)に開催となります!みなさまのご来場をお待ちしております。 文協シネマ 「かもめ食堂」日 時:2024年1月10日(水)13時~場 所:文協ビル大講堂料 金:無料※ポルトガル語字幕付き  映画『かもめ食堂』公式予告編 水曜フリーマーケット 日 時:2024年1月10日(水)10時~15時場 所:文協ビル大講堂前ロビー フリーマーケットには、古着 ( 新品あり ) 、雑貨、古本、アクセサリー、ハンドメイド作品、和菓子、弁当、野菜などが出品されます。掘り出し物が見つかるかもしれません!どうぞ、お気軽にお越しください。 ※この水曜フリマは文協図書館が主催しています。出店希望の場合は文協図書館(ワッツザップ:(11)97522-6101)までお問い合わせください。

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日本映画「怪物」サンパウロ上陸!11月30日~

是枝裕和監督作「怪物」 サンパウロ上陸! 2023年11月30日より、サンパウロの映画館にて、是枝裕和監督の映画「怪物」が上映されます。お近くの映画館をチェックしてください。チケット購入サイト:ingresso.com. 映画の詳細:「怪物」公式サイト 🎥上映中の映画館 ◇ Cinema Belas Artes:Rua da Consolação, 2423 – Consolação◇ Cinema Reserva Cultural São Paulo:Av. Paulista, 900 – Bela Vista◇ Espaço Itaú de Cinema – Augusta:R. Augusta, 1475 – Cerqueira César◇ Espaço Itaú de Cinema – Frei Caneca:R. Frei Caneca, 569 – Bela Vista◇ Kinoplex Itaim:R. Joaquim Floriano, 462 – Itaim Bibi

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報告3:石川レナト会長訪日2023🗾第63回海外日系人大会出席

写真:石川レナト文協会長による特別講演  スクリーンの表は「ブラジル日系人の持つ価値観」 海外日系人協会主催 第63回海外日系人大会 海外日系人協会が主催する「第63回海外日系人大会~テーマ:飛躍するニッケイ社会へ-期待される新世代のイニシアティブ」が10月16日から18日まで東京で開催されました。 本大会は、世界各地に在住する日系人が日本で一堂に会し、相互の親睦を深め、日系社会の課題や日系社会間あるいは日系社会と日本との協力の方途について考えることを目的として開催されています。 主催者によると、17カ国を代表した181人が実際に会場にて、300人以上がオンライン形式にて参加したとのこと。内ブラジルからは65名が参加しました。 16日午後に行われた開会式には、秋篠宮ご夫妻がご出席され、各国代表らと特別謁見(20分間)をされました。 ブラジル代表としては、文協事務局長の中島エドアルド剛氏がそれに臨みました。 石川レナト文協会長 特別講演 開会式では、石川レナト会長が「日系社会:関係性の強化と若者の主役意識を高める」をテーマに特別講演(30分)を行いました。その中で、文協理事会では、文協やパートナー団体に参加する若者の主体性を尊重し、主役意識を持たせることを最重要事項としていると強調しました。合わせて、現在文協が最も力を入れているもう一つの活動として、文協地方理事を通したブラジル国内の日系団体の関係強化および海外の日系団体との関係強化についての活動も紹介しました。 文協理事の栗田クラウディオ氏、竹花パトリッシア氏らによる発表 続いて行われた特別講演では、日本財団 特定事業部部長 世古将人氏によって「次世代日系人との連携可能性検討事業報告 」がなされました。 同事業検討会7名のうちの一人である、文協理事でジャパンハウスサンパウロの職員の栗田クラウディオ氏も登壇しました。 2日目となる17日に開催された「国際シンポジウム」では、「第1部:期待される新世代のイニシアティブ ニッケイ社会の新たな挑戦」「第2部:共生社会実現に向けての努力と貢献」「第3部:コラボレーションの促進」というテーマに沿って、パネルディスカッションが行われました。 第1部のパネルディスカッションには、文協の竹花パトリッシア氏がパネリストとして参加しました。 また、文協の交際交流委員会委員長で、ブラジル日本語センターの理事長を務める矢野敬崇氏が「ブラジルでの日本語教育について」、文協架け橋委員会の副委員長清水伊重ジュニア氏が「ブラジルにおける日系ボーイスカウト団体について」を発表するなど、ブラジルからの参加者の活躍が目立ちました。

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報告2:石川レナト会長訪日2023🗾在名古屋ブラジル総領事館訪問

石川レナト会長による在名古屋ブラジル総領事館訪問 10月6日 10月6日に名古屋入りした石川レナト会長一行は、前日の在浜松ブラジル総領事館訪問に続き、在名古屋ブラジル総領事館を訪問しました。 そこで、ルイス・フェルナンド・アボッチ・ガウヴォン総領事および、同館所属の在日ブラジル市民評議会のメンバーらと、総領事館管轄内のブラジル人コミュニティにとって関心のあるテーマや、在日ブラジル人とブラジル日系社会との連携強化について意見交換を行うなど、大変有意義な時間を持つことができました。 ※ 石川レナト会長訪日中間報告1はコチラ ≫≫≫ 在浜松ブラジル総領事館訪問

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報告1:石川レナト会長訪日2023🗾在浜松ブラジル総領事館訪問

石川レナト会長による在浜松ブラジル総領事館訪問 2023年10月5日 来る10月16日から開催される第63回海外日系人大会出席に向けて、既に日本入りしている石川レナト会長ご夫妻および照屋ウーゴ武次専任理事は、10月5日、在浜松ブラジル総領事館のガルシア・アウデーモ総領事を訪問し同館所属浜松市民評議会の豊橋エベル評議員長や在日ブラジル人研究者協会(ABrJ – Associação de Pesquisadores Brasileiros no Japão)の浦本エリック※会長率いるメンバーらも加わってのミーティングの場を持ちました。 ※浦本エリックさん:サンパウロ生まれサンパウロ育ちの日系3世。JICA日系社会リーダー育成事業留学生として、2021年から早稲田大学大学院生として日伯の貿易関係についての研究を行っている。在日ブラジル大使館の支援を受けて、JICA奨学金の仲間と一緒に、令和4年12月に在日ブラジル人研究者協会(Associação de Pesquisadores Brasileiros no Japão – ABrJ)を設立し、会長に就任。自身のような研究者が日本で行っている研究を促進するだけでなく、在日ブラジル人コミュニティと学会や大学のつながりの強化を目指している。 今回の訪問に際しては、コロナも落ち着きを見せた昨年2022年11月に、日本の関係各所への初めての表敬訪問を実施した時と同様、元在マナウス日本国総領事館の総領事を務めた関口ひとみ氏の協力を得ています。なお、この時表敬訪問したガルシア・アウデーモ総領事は、2023年1月11日にブラジルへ一時帰国した際には、文協にご来館下さるなど、良い交流が続いています。 会議においてまずは、文協の活動内容を紹介した後、浜松市中区のポルトガル語教育機関IIECの代表で、浜松市民評議会の事務局長を務める杉野アドリアナ氏より、同会が今年行ったプロジェクトについての説明がなされました。 それに続き、静岡県に住むブラジル人社会にとって関心のある話題、「社会扶助」「子どもたちのメンタルケア」「家庭内暴力との戦い」「ブラジル人学校での教育、特に日本語教育の改善」といった分野で、ブラジル人家庭を支援するプロジェクトについての意見交換がなされました。さらに、在日ブラジル人研究者協会(ABrJ)が在日のブラジル系高校生と交流し、彼らに日本の大学進学を奨励する取り組みの可能性についても話し合われました。 ガルシア・アウデーモ総領事からは、総領事館が後援するジェブラ-ブラジル人学校競技大会inジャパン(Jogos Escolares Brasileiros no Japão -JEBRA)や、後援したブラジリアンデージャパン浜松2023の成功について報告がなされ、また、来年には浜松にブラジル文化センターを設立する可能性にも触れました。 今後の活動に向けての、大変良い交流のひと時となりました。

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ブラジルいけ花協会/茶道裏千家ブラジル/ブラジル書道愛好会/文協和食普及委員会,工芸委員会主催イベント🎍日本の正月の美🎍1月20,21日

日 時:2024年1月 20 日(土)正午~17時           21 日(日)10時~17時 場 所:文協文化ホール(本館地下1階)     Rua Galvão Bueno, 596 – Liberdade ※ ガルボン・ブエノ通りからお入りください料 金:・ 30レアル:入場料 + 水(500ml) ※12歳までのお子様と65歳以上の高齢者は半額の15レアル     ・210レアル:入場料 + 水(500ml)+ 茶道(抹茶)+ 弁当    ・380レアル:入場料 + 水(500ml)+ 茶道(抹茶)+ おせち購入方法:・サイトSympla・文協窓口でも購入できます(現金のみ)       日本の伝統文化の共演「日本の正月の美」 ブラジルいけ花協会 ・ 茶道裏千家ブラジルセンター ・ ブラジル書道愛好会 ・ 文協和食普及委員会 ・ 文協工芸委員会 が共催し、2024年1月20、21日に 新年会「日本の正月の美」を開催します。文協はこのイベントを後援しています。 参考記事:ブラジル日報 合同新年会初開催、来年20日=「日本の正月の美」テーマに ブラジルいけ花協会、文協工芸委員会:いけ花、門松、陶芸を展示文協和食普及委員会:おせち料理や焼きそば、握り寿司、弁当などを販売ブラジル書道愛好会:書道の展示、書初め体験茶道裏千家ブラジルセンター:初点て、抹茶席また、藤間流日本舞踊学校や花柳流金龍会による日本舞踊披露も行われます。 お誘い合わせの上、ご来場くださいますよう、ご案内申し上げます。詳細 およびお問合せメール:contato@qtmice.com.br電 話:(11) 2938-4202   / 担当:レティシア 後援在サンパウロ日本国総領事館/ブラジル日本文化福祉協会/サンパウロ日伯援護協会/ブラジル日本都道府県人会連合会/ブラジル日本商工会議所/日伯文化連盟アリアンサ

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在聖清水総領事ご夫妻歓迎会:12月21日(木)19H~

在サンパウロ日本国総領事館 清水 享 総領事ご夫妻 歓迎会 日 時:2023年12月21日(木)19時~場 所:文協ビル2階 貴賓室参加費:250レアル/お一人様お支払い方法:Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social・PIX: 61.511.127/0001-60 (CNPJ)・銀行振込: Banco Bradesco (237), Age: 0131 / Conta: 115770-1※お支払い後は、領収書を以下のメールアドレスにご送付ください。    relacionamento@bunkyo.org.br  (担当 – Nilce)※席に限りがあります。事前のお支払い完了をもって、ご予約とさせていただきます。 共催5団体・ブラジル日本文化福祉協会・ブラジル都道府県人会連合会・サンパウロ日伯援護協会・ブラジル日本商工会議所・日伯文化連盟アリアンサ 問い合わせ:文協事務局 (11 )3208-1755  担当 – ニルセ  

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訃報 本山省三氏 

サンパウロ州立総合大学(USP)教授で、科学史センター理事、ブラジル日本移民史料館館長、サンパウロ人文科学研究所理事長を務めた本山省三氏(二世)が、1月26日(火)午後8時50分頃、自宅でお亡くなりになられました。81歳でした。1月5日に81歳の誕生日を迎えたばかりでした。 夕方になっても、昼寝から起きてこないのを心配し、家族が部屋に様子を見に行ったところ、意識の無い状態で発見されました。救急車で緊急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。死因は不明です。 葬儀は翌日27日に執り行われ、ゲッセマニ・アニャングエラ墓地に埋葬されました。 本山・ミズノ・ジュリア夫人との間に2人のご子息(ショウイチさん、シンジさん)そして、3人のお孫さんに恵まれました。 飽くなき探究心 本山氏はサンパウロ大学(USP)にて物理学を専攻(1967年卒業)、1971年には同大学の科学博士号を取得しています。日本の早稲田大学理工学研究室博士研究員(招待研究員)でもありました。1975年には東京大学の宇宙線研究室に在籍しています。1976年にはサンパウロに戻りUSPで無料指導を行っていました。また本山氏は、USPの哲学・文学・人間科学部の歴史学部の教授(1999/2009)として教鞭をとり、ユニット間科学史センターの所長も努めました。 1966年からサンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事を務め、2004年から2019年まで会長の職を担いました。それ以外にも ブラジルの日本移民史料館の館長(1991/1997および2008/2009)およびアカデミアパウリスタデヒストリアの議長15番のメンバーでもありました。 執筆活動 今までに、科学技術史をテーマにした32冊以上の本を執筆し、2011年は、第二次世界大戦の到来までの日本の移民の歴史について執筆した「日の出の象徴の下で(Sob o Signo do Sol Levante)」を出版しました。 その後、2016年にジャーナリストのホルヘ・オクバロとともに、1941年から2008年までの日本の移民の歴史を取り上げた「戦中戦後編『対立から統合へ』(Do Conflito à Integração – Uma História da Imigração Japonesa no Brasil)」も出版しています。これらは、ポルトガル語版のブラジル日本移民『百年史』全5巻中3巻目です。 現在は、USPおよびブラジル日本移民史料館で主任研究員を務め、日本移民文化研究センターに参加し、史料館の9階に設置される展示会のキュレーターコーディネーターを務めていました。 本山省三氏のブラジル日系社会に対する数々の貢献に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。

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追悼 石井賢治氏

去る1月17日、澄んだ青空が広がった日曜日の朝8時58分、石井賢治氏は2か月間の癌との闘いに終止符を打ち、イスラエリタ・アウベルト・アインシュタイン病院(SP)にて息を引き取られました。88歳でした。翌日、家族葬によってゲツマニ墓地(SP)に埋葬されました。 奥様のミネコさんとの間に、息子のロベルトさん、フェルナンドさん、娘のイザベルさんを授かり、7人の孫にも恵まれました。 石井賢治氏とブラジルをつないだ「陸上」 日本の長野県に農家の末息子として生を受けた石井賢治氏は、慶應義塾大学時代、エリート陸上競技チーム(5千メートルと1万メートルの選手)に所属し、日本の全国陸上競技大会で2度も優勝するなど、将来を期待された選手でした。 アスリート達がフィンランドのヘルシンキで開催される1952年のオリンピックに向けての準備に専念するなか、陸上では、様々な国から名だたる選手が参加することで世界的に有名となった「サンシルベストル国際レース」に、1951年の大晦日、多くの国から選手が送り込まれました。 ブラジルの反対側である日本からは、オリンピック出場候補選手として慶應義塾大学が負担した費用のもと、石井賢治氏と高橋進氏が送り込まれました。 石井氏は既に多くのレースに参加し、ボストンマラソンを含む国際的なレースでのメダルを獲得していましたが、日本人として初参加となったこのレースにて、8位入賞という快挙を成し遂げました。 そしてこのレースに参加するために来伯したことがきっかけとなり、当時日本より豊かで無限の可能性に満ちたブラジルにすっかり魅了され移住を決意、大学を卒業するとすぐ移民船「さんとす丸」に乗りブラジルへと移住しました。 ブラジルでの第2の人生の始まり 石井氏はまず、サンパウロ内部の穀物販売店で働きました。続けてマウアー農業共同組合、リオデジャネイロのヤマガタエンジン建設会社で働く中、南米銀行の創設者でありラテンアメリカにおける日本人移民の中で大きな力を持っていた宮坂国人氏に出会いました。 その宮坂国人氏に勧められ宝石販売業に従事することとなり、1967年に独立し「ジョイアロレーナ石井宝石店」が誕生しました。 ちなみにこの宝石店は、石井氏の3人の子供が後継者になることに興味を示さなかったため、2017年に閉店、50年という歴史に幕を閉じました。 石井氏とブラジル日系社会の関わり 石井氏が文協に入会したのは1959年10月2日のことでした。1987年からは審議委員会の委員を務めるなど、常に協力を惜しみませんでした。それ以外にも、在伯長野県人会およびと慶應義塾大学三田会の会長も務めました。 また「ブラジル法の会」の会員であり、慶應義塾大学ロースクールとの関係に大きく貢献しました。 そして、1960年代半ば以降、ブラジル日系社会において発行される全ての出版物には、「JóiasLorena」のバイリンガル広告が掲載されていたと言っても過言ではありません。そしてこれは石井氏自身の宝石店のマーケティング戦略というよりも、ブラジル日系社会の活動に対する支援が動機となっていることは誰の目から見ても明らかでした。 石井氏と小渕恵三元首相との友情 現在、お二人の友情物語はブラジル日系社会において有名な話ですが、それが公になったのは、1997年のことでした。当時外務大臣だった小渕氏が、東京で開催された石井賢治氏の長男ロベルト氏の結婚式に出席されたのです。ロベルト氏は「父との約束を小渕氏が守ってくださったのです。」と話しました。同じく結婚式に出席していた石井氏の長年の友人であるサンフェルナンドゴルフクラブ創設者であるフリオ・クルス・リマ氏は「二人の間に築かれた友情の物語を交えた祝辞は、そこにいた全員の胸を打った。」と話しました。 そんなお二人の出会いは、1960年代のはじめにさかのぼります。 かばんひとつでぶらりとブラジルへやってきた、当時早稲田大学院生、小渕恵三氏。政治家を志していた若い小渕氏は、世界情勢を実際に肌で感じる必要があると、熱い想いを胸に秘めつつアメリカなど36カ国を訪れ、ブラジルにも足を伸ばしました。ここでは早稲田大学の先輩方に宿を借りながら、約2ヵ月間に亘り日本移住地を見て回りました。そこで思いがけず触れた多くの日本人移民の暖かさに、すっかり心を奪われたとのことです。その「暖かな日本人移民」の一人が石井氏でした。当時、慶應義塾大学の同窓会「三田会」の会長であった石井氏は、日本から来伯するアスリートや若者達の宿や食事などの面倒を快くみることで有名でした。 そんなある日、突然、小渕青年のもとに日本の母親から「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ。」という電報が届きました。 帰国前に食事を共にした石井氏に小渕氏は「偉大な政治家になってまたここに必ず訪れる!」と宣言し、ブラジルを後にしたそうです。 帰国後、小渕氏は父親の地盤を引き継ぎ、26歳で衆議院に当選し4年後に議員として来伯。見事に石井氏との約束を果たしました。 またそれだけでなく1998年のブラジル日本移民90年際には、今度は外務大臣として来伯し記念式典に出席されました。 後に、小渕恵三氏の娘である優子議員は当時の様子を「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです。」と、話しています。 石井氏とスポーツ また息子のロベルト氏は、「父親は常に、バレーボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな分野のスポーツマンに支援し続けていた。」と述べています。 「父は故松平康隆氏※と同級生で、松平氏を通して日本とブラジルの交流を強化しようと一生懸命でした。『エスコラ・ブラジレイラ』という学校を設立し、その結果わが国でバレーボールのチャンピオンが生まれました。」と付け加えました。 ※松平康隆氏(22/01/1930~31/12/2011)とは、日本のバレーボール全日本選手で、後にバレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任した人物 シンプルで正しい人 「石井さんは、サンフェルナンドゴルフクラブのメンバーのために常に率先して協力してくださいました」と同クラブ創立者のフリオ・クルス・リマは、いつも意見を交換していた石井氏について、感謝の言葉を述べました。 「何十年もの間、石井氏は青年たちの宿泊、食事の世話はもちろん、良きアドバイザーとして存在していました。 私たちの倶楽部の青年のためのボール、ティー、キャディが不足することは決してありませんでした。そして石井氏は、誰も知らないうちにそれをするのです。」と話しました。 「これは、常に他人を助けることに関心を持っていた、素朴で正しい人である石井さんのありのままの姿です。 彼は植民地で卓越した尊敬と称賛を勝ち取り、その後数十年でここに到着したすべての移民は、自分達が事業を始める前や、または自分達の家族をブラジルに連れてくる時など、人生の一番大事な事柄は、石井さんに相談しに行きました。」と述べました。 このように、石井氏の人生は常に他者を思いやる大変面倒見のよいスポーツマンだったといえます。 日伯交流への多大なる貢献およびブラジル日系人社会に対する深い愛情に心より感謝するとともに、石井賢治氏のご冥福をお祈り致します。

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訃報 岡野修平氏

ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。82歳でした。同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。 岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。 岡野氏と柔道 1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。 東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。 ブラジル柔道への貢献 岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。 サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。 72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。 柔道を通して日伯交流にも貢献 ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。 なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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追悼 栗原猛氏

去る1月13日に開催した文協理事会において、昨年12月27日午後7時40分に78歳で逝去された栗原猛氏(東京都出身)を追悼する時間を設けました。 石川島ブラジル造船所(略称イシブラス) の出向社員として 栗原氏は明治大学を1965年に卒業後IHI(石川島播磨重工業)に就職、1985年にはリオ・デ・ジャネイロに現地政府当局とIHIの出資による日本・ブラジル合弁の造船・重工業会社「石川島ブラジル造船所(略称イシブラス)」へ出向、1994年にIHIがブラジルから撤退するまで現地で勤務しました。1998年からは、サンパウロのIHI事務所所長として働き、そこで定年を迎えました。その間、妻のヨウコさんとはサンパウロで結婚式を挙げています。ブラジルと日本の両国を常に往来する人生で、日伯交流にも尽力されました。栗原氏はブラジルに長く暮らしていたにもかかわらず、常に日本の上級幹部職者のような雰囲気を醸し出し続けていました。トレードマークでもある上品な白い頭髪と白いあごひげが、それを強調していたと言えます。また常に控えめな態度であるにもかかわらず、誰からも一目置かれる人物でした。 一人息子であった栗原氏は、100歳の母親の介護にも熱心でしたが、とうとう自分自身の体調を崩され4年ほど前から、熊本県にて治療を受けていました。 文協と栗原氏 理事会では、文協において栗原氏と最も多く行動を共にした中島事務局長より、文協での栗原氏の活動の様子が以下の通り語られました。 「栗原氏が文協の活動に加わったのは2004年のことで、当時のサンパウロ新聞社社長で、強力な文協会員だった水本ヘレナ氏が推薦、そして当時の松尾治副会長からの紹介がきっかけでした。推薦理由としては、栗原氏は文協の多岐におよぶ日本語での事務作業における強力な助っ人となってくれるだろうということでした。実際、日本語での文書作成や日本の関連機関との連絡、そして主に当時の文協会長であった上原幸啓氏の心情を日本語の挨拶文に翻訳する作業に携わり、期待以上の活躍をしてくれました。特に、2004年、日本国の小泉純一郎内閣総理大臣が来伯された際に、大変力になって下さいました。このように、日本からの要人の受け入れ時はもちろん、在伯の大使館や領事館、JICA、国際交流基金などとの連絡窓口としての役割も果たして下さいました。 また、上原会長の第二期目(2005-2006)に、会長より会長顧問に任命されました。 それ以外にも、日本政府による叙勲受章者祝賀式、新年祝賀会、天皇誕生日祝賀式典、ブラジル日本移民開拓先亡者追悼大法要などの式典にも携わりました。2005年の文協創立50周年記念における様々な企画と運営、そして文協図書委員会が主催する古本市をはじめとする、様々な委員会への協力、また本人の趣味もかねて、にっけい文芸委員会や音楽委員会などは特に積極的に協力してくださいました。 上原会長(2007-2008)の第3期目に、会長顧問を務めるだけでなく、ブラジル日本移民史料館運営委員長にも就任しました。2008年に、ブラジル日本移民百周年記念式典にご臨席されるためご来伯された徳仁皇太子殿下(当時)が同館をご視察された際には、館内をご案内するという大役もこなされました。 ブラジル移民百周年を記念するために組織された「ブラジル移民百周年記念協会」の執行委員長に松尾治氏が就任して以来、栗原氏は松尾氏の良きアドバイザーとして存在感を示しました。同時に、5巻におよぶ「ブラジル日本移民百年史」を手がけた移民百年史日本語版編纂刊行委員会にも多大な協力をして下さいました。」と語りました。  百周年時に、栗原氏と共に史料館の運営に携わった現ブラジル日本移民史料館運営委員会の山下リジア委員長は「徳仁皇太子殿下(当時)や小泉純一郎内閣総理大臣などの重要な方々のご案内をはじめ、ブラジルを拠点とする日本企業の幹部との関係を築き、重要な財源を史料館に齎してくださいました。」とその活躍ぶりを強調しました。そして「百周年記念事業の一環として栗原氏と共に立ち上げた『足跡プロジェクト』が大変印象に残っております。12年経った現在もこのプロジェクトは多くの方々に利用されており、同館の重要な活動のうちのひとつです。」と話しました。 合わせて、「このように栗原氏が2004年以来、なぜここまで献身的に文協の活動に携わったのかと言えば『コロニー=ブラジル日系人社会』の一員として初めて歓迎された文協事務局との連携を継続すべきだと確信していたからです」と中島事務局長は付け加えました。 また、栗原猛氏は、2014から2016年まで、サンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事も勤めていました。 2013年には、ブラジルのアマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、およびブラジル以外の国々において、自身が若い頃の回想録を、万葉集から選んだ一言を使用し「あらたしき 日伯断想」という題名の書籍を発行しています。栗原が「自分はブラジルのすべての州を知っている」とよく自慢していたことが、つい昨日のことのように思い出されます。 文協の活動を深く理解し、献身的にご協力下さった栗原氏に心より感謝の意を表し、ご冥福をお祈り致します。

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カーニバル休暇について

文協カレンダー 誠に勝手ながらカーニバル休暇の前日である2月15日(月)は閉館とさせて頂きます。17日(水)は通常通り開館いたします。 ご不便をおかけして申し訳ございませんが宜しくお願いいたします。 お問い合わせ:文協事務局(11)3208-1755

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ご視聴ありがとうございました!一体感、希望に満ちた新年会

司会の中里クラウジア、上原テリオ 江戸時代から始まったとされる新しい年の門出祝う日本の伝統行事「新年会」。 ブラジル日系社会では、去る1月8日、日系主要5団体(文協、援協、県連、商議所、日文連)と在サンパウロ日本国総領事館が共催し、オンラインにて新年会を開催しました。 上段 左から 市川利雄 県連会長 / 吉田エドゥアルド 日文連理事長 / 桑名良輔 在聖総領事下段 左から 村田俊典商議所会頭 / 税田パウロ清七援協会長 / 石川レナト文協会長 運営責任者の山下譲二氏(文協第一副会長)と上原テリオコーディネーターのもと、文協やその他の団体の若い世代が中心となって開催したオンライン新年会は、 希望者 には当日紹介する「おせち料理」の事前注文を受け付け、実物を前にして動画を視聴することができるなどの数々の趣向が凝らされた内容となりました。 レストラン藍染 白石テルマ オーナーシェフ 約2時間の配信の中で、日本の正月文化の基本的な価値観を様々な角度から紹介した動画は大変美しく見るものを魅了しました。 その中でも特に反響が大きかったのは、第一部の最後に配信されたブラジル各地の日系人の子供たちが「一月一日」「ふるさと」を歌って繋いだ場面でした。 配信から5日後の現時点で既に再生回数は1万回に届くまでとなっています。 是非下記よりご視聴ください!

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文協創立65周年オンライン記念式典 2020/12/5

~文協65周年の歩みを支えた創立者、指導者、協力者への敬意を表する式典~文協創立65周年オンライン記念式典 【日 時】2020年12月5日(土)17時~ 【リンク】 youtube.com/bunkyodigital ( 敬称略 ) 【主催者挨拶】ブラジル日本文化福祉協会会長:石川 レナト 【来賓祝辞】在ブラジル日本国特命全権大使:山田 彰        駐日ブラジル大使:エドゥアルド・サボイア       在サンパウロ日本国総領事館総領事:桑名 良輔 【顕彰】文協創立会員:瀬川 正文 / 水野 昌之     前文協会長:山内 淳 / 上原 幸啓 / 木多 喜八郎 / 呉屋 春美     前評議員会会長:大原 毅 / 渡部 和夫 / 杉尾 憲一郎 / 原田 清            スポンサー:宮坂国人財団 【受賞者代表挨拶】文協第11代会長:木多 喜八郎  【文協評議員代表挨拶】評議員会会長:頃末 アンドレ 【司会】ブラジル日本文化福祉協会第7副会長:福原 カルロス ケンジ 【式典総合責任者】ブラジル日本文化福祉協会第1副会長:山下 譲二 ※文協が正式に団体として登記された1955年12月17日を記念し、本年の12月17日には「文協創立65周年記念配信」を予定しています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。文協創立記念配信

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