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ジャパンハウス『隈研吾-エターナル・エフェメラル』展

7月17日、ジャパンハウスサンパウロにて建築家である隈研吾氏の展覧会『隈研吾-エターナル・エフェメラル』の開会式が行われました。 その際、隈氏より呉屋春美文協会長へ文協が管理するイビラプエラ公園内の日本館(1954年堀口捨巳氏建築)に関するエッセイの贈呈がありました。 2015年、隈氏がサンパウロ日本館を訪れた際、同館は1988年より修復工事に携わっている中島工務店による4度目の改修工事中でした。岐阜県中津川市に本社がある中島工務店は、日本のお城、お宮、茶屋などの木材建築はじめ、鉄やコンクリートをも用いて幅広く仕事をこなす工務店です。中島紀于社長と6人の職人たちは修復のために来伯し、使用された木材も日本から取り寄せました。1988年の修復工事から、全4回に及ぶ工事はすべて中島氏のご好意により実現し、修復に使用される材木もすべて提供していただきました。 このサンパウロ日本館への訪問は木造建築を専門とする隈氏にアルミの外観を予定していたジャパンハウスの設計図を考え直させる出来事となりました。また、今年5月6日、パウリスタ大通りに開館した同施設の建設を中島工務店に依頼するきっかけともなりました。 伝統を残しつつ、現代の日本を表現するジャパンハウスの外観は、20世紀を代表するモダニズム・木造建築家である堀口捨巳氏が建築した日本館との特別なつながりによって永遠に記憶にとどめられることとなりました。 呉屋春美文協会長は、エッセイを受け取った際のお礼の挨拶で、「堀口先生と隈先生のみが日本建築家として、ブラジルの大地に作品があり、両方とも木造であることはたいへん喜ばしいことです。隈先生がデザインされたジャパンハウスとの特別なコネクションをきっかけに、日本館に新たな来場者を引き寄せることになりまして、日本の建築意匠が広く知られるようになってきております。 来年の日本移民110周年記念祭典とともに、これから更なる日伯交流の発展につながることを願っています。」と話しました。 プロフィール 隈研吾(くま・けんご) 1954年横浜生まれ。東京大学大学院工学部建築学科修了。コロンビア大学客員研究員を経て、2001年より慶應義塾大学教授。2009年より東京大学教授。 1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞、同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2002年「那珂川町馬頭広重美術館」をはじめとする木の建築でフィンランドよりスピリット・オブ・ネイチャー 国際木の建築賞受賞。2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。 『隈研吾-エターナル・エフェメラル』展 会期  2017.7.18-2017.9.10 火曜日~土曜日  10h~22h 日曜日・祝日:  10h~18h 入場無料 http://www.japanhouse.jp/saopaulo/event/kengokumaexposicao_00001.html 日本館についての情報は下記リンクからご覧ください https://www.bunkyo.org.br/pt-BR/pavilhao-japones 以下、日本館についての隈研吾氏によるエッセイです。 サンパウロ日本館 1954年の1月から1年間、ブラジルのサンパウロ市で、サンパウロ市制400年記念の万国博覧会が開かれた。会場計画の中心人物は、すでにモダニズムの鬼才として、世界に名を知られていたブラジル建築界のエース、オスカー・ニーマイヤー(1907-2012)であり、彼の力強い造型が、180万㎡のイビラブエラ公園全体で、華々しく展開した。 一方、日本館を任されたのは、和風建築の巨匠、堀口捨巳(1895~1984)であった。片やコンクリートの彫刻家、片や繊細な木造。これほど極端に対照的な組み合わせは考えられない。そして、できあがった日本館も、いかにも堀口らしい繊細な木造建築であった。堀口の設計した建築群の中でも、最も繊細なものと呼んでいい。桂離宮にヒントを得たと思われる、細い木の柱で建築を支える手法は、すばらしい完成度に達し、インテリアでも細い材料が繊細な音楽を奏でている。自由でマッシブな形態、強烈な色彩のニーマイヤーのコンクリート建築とは、すべての点で対極的であった。意図的であるとしか思えない対比が、そこには存在している。 当然堀口はニューマイヤーの会場計画を見せられていた。ニューマイヤーがどういう人物、どのような作風であるかも知っていた。堀口は何を考えながら、どのようにして、この日本館のデザインにたどりついたのだろうか。なぜここまで対極に振らなければならなかったのだろうか。 まず考えなければならないのは、日本のモダニズム建築とは、そもそも何だったのかという問題である。日本のモダニズム建築は、カタストロフと、深い関係をとり結んでいる。関東大震災と、第二次大戦という2つの悲劇(カタストロフ)による都市の消失を経て、日本はそれまでの「木の都市」を捨てて、「コンクリートの都市」を獲得した。それを、国家目標と決め、コンクリート化は日本の建設産業をうるおし、戦後日本の発展の経済的なベースとなった。20世紀初頭の西欧に登場した、コンクリートと鉄でできた機能主義建築、すなわちモダニズム建築が、コンクリート化した日本の都市の「制服」となった。コンクリート化という国家目標を達成することに、官民一体となって走ったのが、20世紀の日本建築史であったわけである。 その大きな流れの中で、堀口という建築家は奇妙なポジションにいた。一言でいえば、堀口は早すぎたのである。あまりに早熟だったのである。彼は1920年、東京大学建築学科在学時に、分離派建築会というグループを同級生6名で立ち上げ、7月には白木屋デパートで、「第一回日本分離派建築会展覧会」を開催し、岩波書店からも「分離派建築会宣言と作品」を出版。 1920年という日付にこそ注目すべきである。関東大震災は1923年9月であった。分離派建築会は、19世紀末に発するウィーン分離派にちなんだ命名で、日本で初のモダニズム建築の運動であった。東大の学生が、突然にして、日本の建築会の渦の中心となり、若きスーパースターが誕生したのである。もちろん、日本のモダニズム建築ととれる前川國男(1905-1986)よりも、丹下健三(1913-2005)よりも、ずっとずっと早いスタートであった そして最も注意すべきことは、堀口が関東大震災よりも早かったという事実である。関東大震災というカタストロフの後、日本の建築界は、木造の否定、都市のコンクリート化へと一直線に走った。最先端デザインであった西欧のモダニズム建築の導入と、大震災の教訓としての反木造とが、ぴったりと併走して、20世紀の日本建築のメインストリームとなった。モダニズムと大震災の同時性という時間的偶然が、その後の日本建築の流れを決めた。建築の流れを決定しただけではなく、日本社会の方向性をセットした。大震災があったからこそ、こんなにも早く、都市のコンクリート化が実現し、土建国家の方向に、国が一気に走り始めたのである。丹下、前川は、その潮流のトップランナーとなって、新しい時代を走り抜けたのである。 一方、堀口は、関東大震災のという笛の鳴る直前に、フライングしてしまったのである。単に分離派宣言(1920)を出しただけではなく、その宣言の延長線上に紫烟荘(1926)という不思議な木造住宅を設計し、発表してしまったのである。紫烟荘は、関東大震災後にメインストリームとなるコンクリートのモダニズムとは、明らかに異質であった。まずコンクリート造ではなく、木造であったし、フラットルーフではなく、茅葺の勾配屋根がのっていた。田園風のとてつもなく「しぶい」ものだった。 1910年代から20年代にかけて、ヨーロッパ建築界をにぎわしたアムステルダム派のデザインから堀口が影響を受けたことは明らかであった。アムステルダム派は大きな意味ではモダニズム建築の一派とくくることができるが、1930年代以降にモダニズムの主流となる、コンクリートボックスのデザインとは、対極であった。コルビュジエやミース・ファンデルローエがリードしたコンクリートボックスのモダニズムは、大量生産、大量消費を基本コンセプトとする工業化社会のニーズに答える優等生的デザインであったが、アムステルダムは、むしろ工業化社会の合理性を批判しているかのように見える。堀口がフライングだとしたら、アムステルダム派もフライングかもしれない。あるいはあえて、水のない地面の上に飛び込んだのかもしれない。 堀口は早熟であり、繊細であり、プライドも高かったのであろう。そのためにフライングし、さらにそのまま宙吊りになってしまったのである。そして堀口という建築家の一番のすごさは、それではコンクリートへと転向しなかったことである。彼はフライングで選んでしまった木造と添い遂げた。そのために、日本の伝統建築を、その後徹底的に学習した。伝統という助けを借りなければ、木造という一種の「過去の遺物」をもってコンクリートという時代の大潮流に立ち向かうことはとうてい無理であると、堀口は察知したのである。その意味で堀口の人生は悲劇であり、喜劇であったかもしれないが、充分に賢明でもあった。 その宙吊りの堀口が、よりによってコンクリートモダニズムのトップランナーであるオスカー・ニーマイヤーのデザインする博覧会の中に日本館を設計することになるとは、なんという時代のめぐりあわせだろうか。そして、これ以上の悲劇/喜劇がありえるだろうか。 堀口が、サンパウロの地で、いかに悩んだかは想像に難くない。この逆説的状況にどう対処すべきか。仕事を受けるべきか受けざるべきか。堀口はこう記している。「私はニーマイヤーのあの烈しい表現を伴った傍らに、自分の設計を試みる勇気を全く欠いていた。(中略)それから半月ほど私は柄にないこの仕事を如何にして断るべきかを考え続けた。」 しかし結局、堀口はサンパウロの仕事を受けた。しかも、『時代遅れ』の木造をもって、ドン・キホーテのごとき構えで、ニーマイヤーにいどんだ。サンパウロの日本館を一言でいえば、20世紀のドン・キホーテということになるだろう。それは喜劇である以上に英雄的であり、それゆえに人を打つ。 ドン・キホーテは、いかにしてコンクリートに闘いを挑んだか。20世紀のドン・キホーテはしばしば、庭を武器とすることを選んだ。和風の庭と抽象的なモダニズムの庭とを、レベル差を用いてセパレートするという巧みな操作によって、堀口は知られる。彼は繊細な木の建築を、庭という囲いを用いてまもったのである。堀口の代表作と呼ばれる岡田邸(1933)は、隔離された和の上に建つ木造と、抽象化された洋の庭の上にたつモダニズム建築を見事に共存させたのである。木造というドン・キホーテをモダニズムと対等に闘わせるためには、庭という強力な助けが必要であると、堀地は直観していたのである。 サンパウロも、堀口は徹底して庭にこだわった。庭の助けを借りて、ドン・キホーテをコンクリートの暴力からまもろうとしたのである。日本館の敷地が、巨大なユーカリの樹々によって、ニーマイヤーの建築群から隔離されていることを知って、まず堀口は安堵した。ユーカリの庭でニーマイヤーの暴力から隔離し、それだけでは足りずに、水の庭によって、さらに隔離を徹底させた。サンパウロの日本館のデザインの中心は、水の庭である。サンパウロ日本館は桂離宮のコピーだといわれてきたが、僕はその説に従わない。空中に浮いたピロティ状のプロポーションは確かに桂離宮の新御殿に似ているが、新御殿は水には浮いていない。堀口の岡田邸で、和庭と洋庭は水で隔離されている。彼にとっては、水が決定的に重要だったのである。建築のプロポーションは二次的な問題であった。それゆえサンパウロの建築には、建築に対する一種のニヒリズムさえ感じられるのである。水がメインであって、建築は脇役であるとうそぶいているような、ニヒリズムが感じられる。博覧会建築という、一種の祭りのためのイベント建築であることが、ニヒリズム感を一層高めている。 堀口は、幸か不幸かニーマイヤーという圧倒的な強敵と遭遇したことによって、庭による隔離を徹底し、建築に対するニヒリズムがめばえ、ドン・キホーテは行くところまで行った。堀口という方法は、サンパウロという場所と出会うことで新しい境地へと到達した。 そこに僕は偶然以上のものを感じる。ニーマイヤーという方法が、そもそもブラジルという場所、ブラジルという遠い場所を必要とした。ヨーロッパの中にいたら、これほどの自由な造型は不可能だったろう。そしてブラジルという遠く自由な場所だからこそ、木造とコンクリートは、こんな乱暴な形で出会うことになったのである。その出会いの緊張感が、サンパウロ日本館という、きわめてユニークな木造建築を創造したのである。 この堀口の水面が、今は白い防水プラスチックシート敷きの、みたこともない不思議な池と化している。まったく日本的でもなく、庭とさえ呼びたくもない。しかし、池が隔離のために用いられたとするならば、これ以上の切断はないかもしれない。この池は今や和庭でもなく、洋庭でもなく、宙づりにされている。この不気味なほどに白い池こそが、堀口というフライングしたドン・キホーテにはもっともふさわしいように、今となっては思えるのである。 Pavilhão Japonês de São Paulo Kengo Kuma, arquiteto Durante

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ブラジル・ニッポン移住者協会主催お花見会

ブラジル・ニッポン移住者協会が2003年に植樹しました雪割り桜のお花見会が今月20日にUSP(サンパウロ州立総合大学)で開催されます。みなさま是非ご訪問ください。 ブラジル・ニッポン移住者協会主催お花見会 日時:8月20日(日)、午前11時~午後3時 場所:USP(サンパウロ州立総合大学)内CEPEUSP お問い合わせ:ブラジル・ニッポン移住者協会、(11) 4611-0159まで。 主催:ブラジル・ニッポン移住者協会 協力:USP(サンパウロ州立総合大学) 入場無料

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Missa de 7º dia em memória de Kazuo Harasawa

Será realizada missa de 7º dia em memória de Kazuo Harasawa, um dos fundadores da Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social – Bunkyo, membro e ex-presidente do Conselho Deliberativo da entidade e ex-vice-presidente do Pavilhão Japonês, além de ex-presidente da Beneficência Nipo-Brasileira de São Paulo – Enkyo.

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訃報 中山喜代治氏

モジ・ダス・クルーゼス文化協会元会長でありブラジル日本文化福祉協会地方理事、評議委員会会員を務めました中山喜代治氏が7月6日、肺がんのため治療中のサンパウロ市内のがん治療センターでお亡くなりになりました。71歳でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 葬儀、埋葬は7月6日にパルケ・ダス・オリベイラス墓地にて執り行われ、初七日法要が13日にサントゥアリオ・サグラード・コラソン・ジ・ジェズス教会にて行われました。 49日法要は今月20日午後4時半よりモジ・ダス・クルーゼス文化協会にて行われます。 中山喜代治氏の49日法要 日時:8月20日(日)午後4時半から 場所:モジ・ダス・クルーゼス文化協会 住所:Rua Presidente Campos Salles, 230 – Vl. Industrial – Mogi das Cruzes – SP お問い合わせ:(11) 4791-2022

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訃報 原沢和夫氏

文協創立会員の一人であり、文協評議委員長、日本館副館長、援協会長を務めました原沢和夫氏が8月13日早朝、療養していた特別養護老人施設「あけぼのホーム」でお亡くなりになりました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 葬儀は13日にアラサ墓地 (Av. Dr. Arnaldo, 666 – Cerqueira César, São Paulo–SP. Tel.: (11) 3256-6486) で執り行われました。 初七日法要は19日午後3時からサンフランシスコ・デ・アシス教会にて行われます。 原沢和夫氏初七日法要 日時:8月19日(土)午後3時から 場所:サンフランシスコ・デ・アシス教会 住所:Rua Borges Lagoa, 1209-A – Vila Clementino, São Paulo – SP お問い合わせ:(11) 5576-7960

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山田彰駐ブラジル日本国大使館新特命全権大使歓迎祝賀会

ブラジルでの任務を終え、日本に帰国された佐藤悟大使に代わって、山田彰氏が「駐ブラジル日本国特命全権大使」に就任されます。 日系社会では、山田大使の就任を祝うため、以下の通り歓迎祝賀会を開催いたします。 みなさま、お誘い合わせの上ご参加ください。 以下、山田彰特命全権大使のプロフィールです。 山田彰(やまだあきら) 1958年(昭和33年1月27日生) 福岡県出身 昭和55.3 東京大学法学部政治学科卒業 56.1 外務省入省 平成9.4  経済協力局政策課企画官 10.2 経済局国際機関第一課サービス貿易室長 11.3 中南米局中南米第二課長 13.4 内閣府 情報公開審査会事務局審査官 15.4 外務省 経済協力局無償資金協力課長 16.8 在イラク日本国大使館 参事官 17.1 在イラク日本国大使館 公使 18.4 在スペイン日本国大使館 公使 20.9 大臣官房参事官兼国際協力局、中東アフリカ局(アフリカ審議官組織) 22.8 大臣官房参事官兼国際協力局(地球規模課題担当) 23.8 大臣官房審議官兼国際協力局(地球規模課題担当) 24.1 中南米局長 大使 26.8 大臣官房 26.10 特命全権大使 メキシコ国駐箚 山田彰駐ブラジル日本国大使館新特命全権大使歓迎祝賀会 日時:2017年8月25日(金)午後7時30分より (開始30分前に受付へお越し下さい) 場所:ブラジル日本文化福祉協会(文協)貴賓室 Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – SP (地下鉄サンジョアキン駅より徒歩5分。駐車場あり Rua Galvão Bueno 540) 会費:100レアル 申込締切:出席ご希望の方は8月18日(金)までに文協事務局へご連絡ください。 担当:ミチエ又はマルシアまで TEL:(11)3208-1755 E-mail:site@bunkyo.org.br 共催団体:ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟、社会福祉法人救済会、希望の家福祉協会、社会福祉法人こどものその、社団法人アルモニア教育文化協会、茶道裏千家ブラジルセンター、ブラジル生け花協会、ニッポン・カントリークラブ、ブラジル日系熟年クラブ連合会、コチア青年連絡協議会、サンタクルス日伯慈善協会、国外就労者情報援護センター、リベルダーデ文化福祉協会、聖北文化体育連合会、ピラチニンガ文化体育協会、外務省研修生OB会、 国際協力機構帰国研修員同窓会、伯日文化社会統合協会、ブラジル日本語センター、ブラジル・ニッポン移住者協会、ブラジル仏教連合会、エスペランサ婦人会、ブラジル日系学術研究者協会、ブラジル農業拓植協同組合中央会、ブラジルふるさと創生協会、ブラジル日系ゴルフ連盟、ブラジル日本青年会議所、日本留学生研修員ブラジルOB会、サント・アンドレ日系連合会、ブラジル桜イッペ連盟

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ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会発足

5月19日、ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会が正式に発足しました。 実行委員長は今年2月に日系主要5団体による協議の末、菊地義治前援協会長に決定いたしました。 記念式典は来年7月21日にSão Paulo Exhibition & Convention Centerで開催されることが決定しました。 同式典は毎年行われるブラジル日本都道府県人会連合会主催のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)内で行われます。 それと同時に画家の若林和男さんによってデザインされた110周年記念ロゴマークも発表されました。 若林さんが「ブラジルにお世話になった気持ちを表しました」とおっしゃったように、日本の象徴である鶴がデザインされ、一羽は日本の国旗をイメージした赤、もう一羽はブラジルの国旗をイメージして黄色地に緑と青となっており、両国間の交流をイメージしております。 2018年は記念式典だけではなく1月7日の新年祝賀会を始め、様々な催しを予定しております。 そして2018年は少なくとも17の県人会が創立記念の年を迎えるのでこの機会に合わせて創立記念式典なども110周年記念行事として行えないかと考えております。 さらにブラジル日本移民110周年記念事業の一環として、すべての方に利用していただける施設を残したいと思っております。そのためにサンパウロ市から51キロ西方面に位置するサンロッケ観光指定都市にある国士館大学スポーツセンター再開発を計画しております。 菊地実行委員長は5月26日~6月9日の間に訪日し10県を訪問、110周年記念事業の主旨・式典内容説明、協力呼びかけなどを行いました。 今後豪華商品が当たる110周年記念リッファ(協力券)の販売も行いますのでご支援、ご協力よろしくお願いいたします。 ※リッファの収益はブラジル日本110周年記念事業に当てられます。 記念事業を成功に導くには皆様のご協力が不可欠です! 皆で手を取り合い、来年の110周年を盛り上げましょう!! ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会 ブラジル日本文化福祉協会2階 Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo – SP 電話:(11) 3208-5519

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下地幹郎衆議院議員による4世ビザに関する説明会

来る7月21日(金)午後6時半より文協貴賓室にて下地幹郎衆議院議員による4世ビザに関する説明会「日系社会と4世の新しい役割」~A comunidade nikkei e o novo papel da quarta geração~を開催します。 昨年6月に日系社会は当時の梅田駐ブラジル大使に対し、6団体の連名で日系4世の在留資格に関する要望書を提出いたしました。 その後、9月に行われたCIATEのコラボラドーレス会議では日系3世・4世の意識調査の結果が発表され、10月の日系人大会においては、4世以降の世代に在留資格で配慮を求める旨の大会宣言が採択されました。 本年2月2日の衆議院予算委員会において、下地幹郎衆議院議員がこの問題を取り上げ、安倍総理大臣が「日系4世の皆さんの熱意にも答えていく必要が日本人としてあるのではないか。4世の皆さんにどういう対応ができるかということをもっと前向きに検討していきたい。」と積極的な答弁をされたのを契機として、日本政府内部においても検討が具体化し、本年5月9日に公表された中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会報告書においては「4世以降の世代にも、在留資格について特別な施策を検討すべきである」とされ、翌10日に自由民主党一億総活躍推進本部がまとめた「一億総活躍社会の構築に向けた提言」においては、「(1)日系4世を日本で受け入れ前段階で、現地での日本文化並びに日本語学習環境を整備する。(2)日系4世が日本文化と日本語を学べるよう『新しいワーキングホリデー』ともいうべき、制度を確立する。例えば、労働時間に制約をつけない2年間の日本語学習を責務とし、地方自治体や地域が受け入れやすい環境を整備する。(3)日系4世の将来の在留資格のあり方については、『新しいワーキングホリデー』の下、実施状況を確認しながら、議論を開始することとする」とされるなど、各方面から積極的な提言が行われています。 今後日本政府においても、この問題についてのパブリックコメントの募集など制度化に向けた手続きが進んでいくと思われますが、本説明会はそれに先立って、検討が具体化する契機を作っていただいた下地幹郎衆議院議員から、日系4世以降の世代の受け入れに関する日本における議論の状況と、議員自身のお考えになっていることを伺い、また同時に立法府の一員である議員にわれわれ日系社会の意見をお聞きいただく貴重な機会であると思います。 下地幹郎衆議院議員は沖縄県出身で、現在は日本維新の会に所属しています。当選回数5回を数え、国務大臣も務められた経験豊富な政治家です。 どうぞ、ふるってご参加いただくようお願い申し上げます。 説明会の参加ご希望の方は国外就労者情報援護センター(CIATE)に電話でお申し込みください。 下地幹郎衆議院議員説明会 「日系社会と4世の新しい役割」~A comunidade nikkei e o novo papel da quarta geração~ 日時:2017年7月21日(金)午後6時半~(6時受付開始) 場所:ブラジル日本文化福祉協会 貴賓室2F Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo – SP (地下鉄サンジョアキン駅近く) ※入場無料、日ポ両語で行います。 お問い合わせ:国外就労者情報援護センター(CIATE)、 (11)3207-9014まで 共催団体: ブラジル日本文化福祉協会 サンパウロ日伯援護協会 ブラジル日本都道府県人会連合会 ブラジル日本商工会議所

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Workshop de Soroban no CIATE

O Centro de Informação e Apoio ao Trabalhador no Exterior – CIATE realiza no sábado, dia 26 de agosto, um workshop sobre soroban (ábaco japonês para contas). As vagas são limitadas e a participação é gratuita.

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Tradição e Modernidade da Arquitetura Japonesa

No último dia 17 de julho, foi inaugurada no Japan House a exposição “Eterno Efêmero” sobre as obras do arquiteto Kengo Kuma, cuja essência de seu trabalho está em utilizar a tradição construtiva japonesa como base para um desenho contemporâneo e inovador. Oportunidade perfeita para Kuma entregar à presidente do

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Selecionados para a 11ª Grande Exposição de Arte Bunkyo

Com o objetivo de divulgar novos artistas e consolidar aqueles em ascensão, anualmente, a Comissão de Arte Craft em conjunto com a Comissão de Artes Plásticas organizam a Grande Exposição de Arte Bunkyo. Os organizadores do evento estão divulgando a relação completa das obras selecionadas para a 11ª edição do

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Solicitação do Logotipo

Para solicitar o uso do logotipo oficial dos 110 anos em seu evento, preencha o formulário e encaminhe para a Comissão para Comemoração dos 110 Anos da Imigração Japonesa no Brasil. >> baixe o formulário PT >> baixe o formulário JP

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Logotipo

Os tsuru e o símbolo de gratidão “Brasil osewa ni natta kimochi wo arawashimashita” (Expressei meu sentimento de gratidão ao Brasil). Com estas palavras, o artista plástico Kazuo Wakabayashi, 86 anos, apresentou a logomarca comemorativa aos 110 anos de imigração japonesa no Brasil durante a cerimônia de lançamento oficial da

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